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第9話 温度

 安吾の言葉に、私は思わずぽかんとする。

 確かに、「監視カメラは全部壊れた」と遊佐は何度か口にしていたっけ。


「そういえば、あいつ口を滑らせてたね」


 くすりと笑いながら顔を上げて驚いた。安吾が真剣な眼差しを私に向けていたからだ。彼は恐る恐る、私の様子をうかがうように呟く。


「…お前は、遊佐が敵だと思うか?」


 突きつけられたその問いに、思わず顔をしかめる。


「当たり前でしょ!あいつは私をさらったの。あんたの介護も疎かにして雑に扱ってさ。敵に決まってんじゃん」


 即答する私。だが、安吾は反論せず、静かに沈黙を保っている。なにやら考えを巡らせているような、そんな表情を浮かべて。


「どうしたの?」

「私も、遊佐は敵だと思っていた。監視カメラが壊れたと口走ったのも、私が起きていることに勘付き、油断させるための罠だと考えていたのだ。だが、三日前の採血の時、考えが変わった」

「採血?」


 そういえば、あの日の遊佐は安吾にやたらと丁寧なマッサージを施していた。私があいつの介護のずさんさに怒ったから、「心を入れ替えた」とか言っていたけど。まさか、急に手厚い対応をし始めたから味方だと思っているのだろうか。


「騙されちゃだめだって。マッサージくらいでさ。あんなの当たり前だから」

「いや、あれはただのマッサージじゃない」


 ただのマッサージじゃない?

 戸惑う私に、安吾は衝撃的な言葉を言い放った。


「マッサージに見せかけた、モールス信号だ」


 モールス信号──思わずぎくりとした。

 確か、長い音と短い音を組み合わせて、文字や数字を表すことができる通信手段だ。


「モールス信号って、音とか光でやるアレでしょ?マッサージは全然違うじゃん。そもそも、そんなマニアックな通信どうして遊佐が…」

「モールス信号は長さの違いがわかれば伝えられる。タップでも、圧でもな。奴は自衛隊で医官をしていたんだったな。非常時の通信手段としてモールスの訓練を受けていても不思議ではない」


 そういえば…。

 遊佐は確かに自衛隊に所属する医官だったと話していた。具体的な仕事内容まではわからないけど、安吾の口ぶりからすると、どうやら医官はモールスを学ぶ機会があるらしい。


「採血の日、遊佐は長い圧迫と短い圧迫を不規則に繰り返していた。その意味を解読して、私は奴が敵ではないかもしれないと思い始めた」

「意味って…何?」


 安吾はゆっくりと、遊佐から伝えられたというそのを口にした。


 ──サクラハミカタ


「『咲良は味方』…?」


 呆然とする私。だが、すぐにある事実が頭をよぎった。

 二日前、安吾は執拗に私の名前を確かめた。あれは──。


「まさか、二日前に私の名前を確認したのは、私がその『咲良』か確かめるため!?」

「半分はな。先ほども言ったが、お前がミレニアに心酔していたら状況は変わっていた。とはいえ、世話をしてもらった恩もあるから、殺す気はなかったが」


 淡々とした言葉に私はがっくりとうなだれた。

 そういうことかい。

 とはいえ、脅しながら名前を聞き出すなんて流石にやりすぎだ。私はすかさず、安吾を鋭く睨みつける。


「本気で殺されるかと思ったんですけど」

「…それは、詫びたと思ったが」

「『傷つけない』とは言われたけど、ちゃんと謝ってもらったわけじゃない。本当に怖かったんだから」


 あの時のことを思い出すと、今でも怖くて体が震えるんだから。

 ちょっとはこっちの気持ちも考えろ。


 心の中でそう毒づきながら、私は口をつぐみ、目を伏せた。すると、沈黙を破るように安吾の言葉が落ちて来る。それは今までとは違う、穏やかで柔らかな響きだった。


「…怖がらせて、本当に申し訳なかった」


 安吾はそう言うと、静かに頭を下げた。

 私は少し考え込んだ後、息を吐きながら微笑み、安吾の腕をポンっと軽く叩いた。それが意外だったのか、彼は不思議そうに首を傾げる。


「いいよ。私こそ、思いきり殴ってごめんね。ほっぺた、痛くない?」


 すると、安吾は私を見つめて再び黙った。何を考えているのか読み取れず、今度は私が首を傾げる。しばらくして、彼は申し訳なさそうに、ぽつりと呟いた。


「少しだけ」


 そのひと言に、私は思わず吹き出してしまった。「ごめんごめん」と言いながら、彼の頬をそっと覗き込む。ほんのり赤く腫れた彼の頬を見ながら、私は安吾との会話に少しだけ温度が生まれたのを感じていた。


「でもさ、遊佐はどうしてそんなまどろっこしいことしたんだろ?『味方です』って直接言ってくれれば良かったのに」

「伝えたくても伝えられなかったのだ」


 安吾の声が、再び真面目な響きを帯びる。


「恐らく、奴は監視されている。私たちの前で何も言わなかったということは、あいつ自身に監視カメラか盗聴器、もしくは両方がつけられているのだろう。だからこそ、こんな回りくどい方法で、お前と私を繋ぐしかなかったのだ」


 思わぬ言葉に、私は反射的に口を両手で覆った。


「監視カメラか盗聴器って…どうしてそんな?」


 安吾はゆっくり頷くと目を細める。長いまつ毛から僅かに覗く漆黒の瞳は、どこか確信に満ちていた。


「遊佐は恐らく、桂木芙蓉から完全に心を許されているわけではないのだろう。私の血は相当高値で売れるらしいからな。この血はミレニアにとって、いわば生命線。そんな私と接するからこそ、万が一に備えて監視されているのではないだろうか」


 呆然とする私。周囲の空気がわずかに張りつめる。


「そう考えると、お前がここに連れて来られたのも納得がいく」

「え?」

「恐らく、お前がここに連れて来られたのは、芙蓉の命令ではなく遊佐の提案だ。確か、お前がここに連れて来られた理由は『子作り』だったな。その提案なら芙蓉にもメリットがあるし、説得しやすい。監視カメラや盗聴器がある以上、遊佐本人は私と自由に話すことはできないからな」


 ってことは、つまり…。

 私がここに連れて来られたのは、「子作り」じゃなく、疑われない伝書バト役として使いやすかったからってこと…!?

 ……遊佐のヤツ~~…。


 怒りに任せて拳を握る私。そんな私をよそに、安吾の推測は核心へ迫る。


「どうやら、遊佐はどうしても私とやり取りがしたいようだな。詳しい事情はわからんが、私を利用してミレニアの内部崩壊を狙っているのだろう」

「これから、どうするの?」

「こちらも遊佐を利用させてもらう。まずは情報収集だ」

「情報収集?」

「私が眠っていた間、ミレニアがどんな組織になったのか、詳しい情報が知りたい。それと…」


 安吾は言葉を切ると、ゆっくり顔を伏せる。

 その表情には、微かに冷たい影が滲んでいた。


「私は人狼族の末裔、御影安吾。ミレニア──桂木芙蓉は使徒をけしかけて、私の故郷を襲わせた。今の私は、それ以外の記憶がない。自分が一体どんな人間なのだったのか、家族はいたのか…失った記憶を取り戻したいのだ」

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