それから二週間。
遊佐にそれとなく頼んだ本が、数冊ずつ部屋に届き始めた。
それに加え、遊佐が安吾と交わすモールス信号の積み重ねで、ミレニアの内情と安吾の立ち位置が徐々に明らかになってきた。
母──ミレニアの目的は人狼族である安吾の血を一般人に注入し、精神を支配することだけではなかった。真の狙いは幸村藍子が発見したという「磁場エネルギー」だった。
母は「終末思想」というのを掲げているらしい。その磁場エネルギーを手に入れ、最終的にはこの世界を破壊して、新たな秩序を作り上げようとしているというのだ。
これらは私も初めて知る情報。にわかには信じがたいが、安吾の言葉を聞いた瞬間、背筋が凍った。
「これは推測にすぎないが──磁場エネルギーを見つけて、隠したのは幸村藍子。人狼族の血を積極的に医療に役立てようとしたのも、幸村藍子だ。希望の象徴ともいえる彼女が救おうとしたこの世界を、自らの手で滅ぼすことで、桂木芙蓉は幸村藍子そのものを否定したいのではないか?そして今度は、自分の理想郷を作ろうとしているのかもな」
安吾の言葉は静かではあるが、確かな重みがあった。
あり得る。母が幸村藍子に向けていた感情がどれほどのものだったか、私は誰よりも知っている。それは、もはや嫉妬などという生易しいものではない。母はきっと、幸村藍子の生き方そのものを否定したいのだ。
幸村藍子も、母である桂木芙蓉も、優秀な研究者だったことは間違いない。だが、その才能の在り方は、あまりにも対照的だった。
藍子は、まさに天性の秀才。自然体で結果を出し、努力を鼻にかけることもなく、いつも周囲に人が集まっていたという。一方の母は、努力しても決して藍子には敵わなかった。成果が出ない焦燥に駆られ、手段を選ばなくなった。だが皮肉なことに、そこまでしても藍子には決して及ばなかったのだ。
藍子の存在そのものが「お前の生き方は間違いだ」と突きつけられる刃だったのだろう。
母の目的は、藍子の全否定。とはいえ、その執念がこの世界そのものの破壊という考えに繋がるなんて。
「あの人はもう、引き返せないところまで来ちゃったんだね」
ぽつりと、そんな言葉が漏れた。
母もそうだが、ここまでくると藍子にも恨みをぶつけたくなる。藍子さえいなければ、母は少しだけ真っ当な人生を送っていたかもしれないのだから。
「…咲良?」
名前を呼ばれて、私はハッとする。
顔を上げると、安吾が心配そうに私を覗き込んでいた。
「ごめんごめん、ボーっとしちゃった。大丈夫」
私は軽く笑って誤魔化しながら、安吾の手元に目をやる。
彼の膝の上には、見慣れない一冊の本があった。
「その本、新しい情報載ってた?」
「ああ。
──時紡石。
聞いたことがある。たしか、過去や未来に行ける石のこと。あまりに
「都市伝説でしょ?それ」
半ば呆れながら口にする私。だが、安吾は本から目を離さず、静かに言った。
「この本によると、ある条件を満たせば、時紡石は発動するらしい」
「条件?」
眉をひそめて本を覗き込む。案の定、本に書かれていたのはエンタメの延長線上のような内容で、信ぴょう性がかなり疑わしい。
「まさか、信じてるの?」
「これを遊佐はわざわざ持って来た。つまり、何か意味があるのだ」
確かに、関係のない本なら遊佐は持ってこないだろう。つまり、「時紡石」もミレニアや磁場エネルギーと何か関係がある、ということなのか。
「これもざっくりとした推測だが、時紡石の発動条件に人狼族が関わっていたりしてな。桂木芙蓉は幸村藍子に恨みを抱いている。が、藍子はすでに故人。過去に遡って彼女を殺す…なんてことを考えているのかもしれない」
私は黙り込んだ。あの人ならやりかねない。
私は離れて暮らすようになってから、母のことを必要以上に知ろうとは思わなくなっていた。最近は否が応でも考えざるを得ない。昔、毎日のように感じてきた母の狂人さと凶悪さ。当時はそれがとても恐ろしかったが、今は母の心の弱さと脆さがじんわり感じられて、何とも言えない気持ちになる。
「…今日はここまでにしようか」
安吾はそう呟くと、本を静かに閉じた。私はハッと顔を上げ、安吾の袖をぎゅっと掴む。
「ごめんごめん、大丈夫!もっと調べられるよ」
「いいから」
短く、けれど優しく制するその声に、私は素直に口を閉じた。
すると、安吾は私に向き直り、穏やかに告げた。
「私のことばかりで、すまない。今日はお前の話を聞かせてくれないか?」
「私の?」
不意な言葉に、私は思わず苦笑してしまう。
「私の話なんて…大して面白くも何ともないよ」
すると、安吾が一際真剣な眼差しを私に向けた。そっと心に触れるような柔らかな視線に、私は思わず息を呑む。
「知りたいんだ」
言葉が耳に触れた瞬間、胸の奥が僅かに疼いた。