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第12話 執念

 それから二週間。

 遊佐にそれとなく頼んだ本が、数冊ずつ部屋に届き始めた。

 それに加え、遊佐が安吾と交わすモールス信号の積み重ねで、ミレニアの内情と安吾の立ち位置が徐々に明らかになってきた。


 母──ミレニアの目的は人狼族である安吾の血を一般人に注入し、精神を支配することだけではなかった。真の狙いは幸村藍子が発見したという「磁場エネルギー」だった。


 母は「終末思想」というのを掲げているらしい。その磁場エネルギーを手に入れ、最終的にはこの世界を破壊して、新たな秩序を作り上げようとしているというのだ。


 これらは私も初めて知る情報。にわかには信じがたいが、安吾の言葉を聞いた瞬間、背筋が凍った。


「これは推測にすぎないが──磁場エネルギーを見つけて、隠したのは幸村藍子。人狼族の血を積極的に医療に役立てようとしたのも、幸村藍子だ。希望の象徴ともいえる彼女が救おうとしたこの世界を、自らの手で滅ぼすことで、桂木芙蓉は幸村藍子そのものを否定したいのではないか?そして今度は、自分の理想郷を作ろうとしているのかもな」


 安吾の言葉は静かではあるが、確かな重みがあった。

 あり得る。母が幸村藍子に向けていた感情がどれほどのものだったか、私は誰よりも知っている。それは、もはや嫉妬などという生易しいものではない。母はきっと、幸村藍子の生き方そのものを否定したいのだ。


 幸村藍子も、母である桂木芙蓉も、優秀な研究者だったことは間違いない。だが、その才能の在り方は、あまりにも対照的だった。


 藍子は、まさに天性の秀才。自然体で結果を出し、努力を鼻にかけることもなく、いつも周囲に人が集まっていたという。一方の母は、努力しても決して藍子には敵わなかった。成果が出ない焦燥に駆られ、手段を選ばなくなった。だが皮肉なことに、そこまでしても藍子には決して及ばなかったのだ。


 藍子の存在そのものが「お前の生き方は間違いだ」と突きつけられる刃だったのだろう。


 母の目的は、藍子の全否定。とはいえ、その執念がこの世界そのものの破壊という考えに繋がるなんて。


「あの人はもう、引き返せないところまで来ちゃったんだね」


 ぽつりと、そんな言葉が漏れた。

 母もそうだが、ここまでくると藍子にも恨みをぶつけたくなる。藍子さえいなければ、母は少しだけ真っ当な人生を送っていたかもしれないのだから。


「…咲良?」


 名前を呼ばれて、私はハッとする。

 顔を上げると、安吾が心配そうに私を覗き込んでいた。


「ごめんごめん、ボーっとしちゃった。大丈夫」


 私は軽く笑って誤魔化しながら、安吾の手元に目をやる。

 彼の膝の上には、見慣れない一冊の本があった。


「その本、新しい情報載ってた?」

「ああ。時紡石じぼうせきについて書かれていた」


 ──時紡石。


 聞いたことがある。たしか、過去や未来に行ける石のこと。あまりに荒唐こうとう無稽むけいな話だ。


「都市伝説でしょ?それ」


 半ば呆れながら口にする私。だが、安吾は本から目を離さず、静かに言った。


「この本によると、ある条件を満たせば、時紡石は発動するらしい」

「条件?」


 眉をひそめて本を覗き込む。案の定、本に書かれていたのはエンタメの延長線上のような内容で、信ぴょう性がかなり疑わしい。


「まさか、信じてるの?」

「これを遊佐はわざわざ持って来た。つまり、何か意味があるのだ」


 確かに、関係のない本なら遊佐は持ってこないだろう。つまり、「時紡石」もミレニアや磁場エネルギーと何か関係がある、ということなのか。


「これもざっくりとした推測だが、時紡石の発動条件に人狼族が関わっていたりしてな。桂木芙蓉は幸村藍子に恨みを抱いている。が、藍子はすでに故人。過去に遡って彼女を殺す…なんてことを考えているのかもしれない」


 私は黙り込んだ。あの人ならやりかねない。

 私は離れて暮らすようになってから、母のことを必要以上に知ろうとは思わなくなっていた。最近は否が応でも考えざるを得ない。昔、毎日のように感じてきた母の狂人さと凶悪さ。当時はそれがとても恐ろしかったが、今は母の心の弱さと脆さがじんわり感じられて、何とも言えない気持ちになる。


「…今日はここまでにしようか」


 安吾はそう呟くと、本を静かに閉じた。私はハッと顔を上げ、安吾の袖をぎゅっと掴む。


「ごめんごめん、大丈夫!もっと調べられるよ」

「いいから」


 短く、けれど優しく制するその声に、私は素直に口を閉じた。

 すると、安吾は私に向き直り、穏やかに告げた。


「私のことばかりで、すまない。今日はお前の話を聞かせてくれないか?」

「私の?」


 不意な言葉に、私は思わず苦笑してしまう。


「私の話なんて…大して面白くも何ともないよ」


 すると、安吾が一際真剣な眼差しを私に向けた。そっと心に触れるような柔らかな視線に、私は思わず息を呑む。


「知りたいんだ」


 言葉が耳に触れた瞬間、胸の奥が僅かに疼いた。


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