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第15話 接触

 遊佐の通信は、午後の採血と点滴を午前中に済ませたいというものだった。指定の時刻は午前九時。いつもは午後一時過ぎなのに、早すぎる。


 数時間後、部屋を訪ねてきた遊佐に聞いてみたものの「仕事の都合」と言うだけで、詳しい話は特になかった。考えてみれば当然か。今この男には、ミレニアが監視カメラと盗聴器を仕掛けているんだから。


 手際よく安吾の採血と点滴を終わらせた遊佐は、颯爽と部屋から出て行った。あまりにも自然な対応に呆気に取られる中、寝室に戻ると、安吾が神妙な表情を浮かべていた。


「…どうしたの?」

「先ほどの、遊佐のマッサージだが…」

「また、暗号?」


 一呼吸おいて、安吾は頷くと静かにその暗号を口にした。


「『時間がない。芙蓉が動く』と」


 私はギョッとした。今まで以上に深刻だ。なにより「時間がない」とは、一体どういうことなのか。


「…やはり、限界があるようだな」

「え?」

「モールスでのやり取りだ。こちらからは何も聞けないし、情報は遊佐からの一方通行。その場で言葉も返せない」


 安吾は深く息を吐き、考え込むように視線を落とす。


「どうやら、こちらも腹を括らねばならんようだな」

「どういうこと?」

「遊佐と話す」

「話すって…どうやって!?」

「奴を呼び出す」


 安吾の決断の速さについていけず、私は情けないほどに目が泳ぐ。

 そんな私をよそに、安吾は淡々と思考を巡らせていく。


「口実は…私の様子がおかしい、とでもしようか。遊佐なら来る」

「でも、あいつには監視カメラと盗聴器が仕掛けられているんでしょ?」

「奴が部屋に入った瞬間に、私が壊す」


 安吾の瞳は鋭さを増し、ぐっと私を捕える。あの威圧的な人狼族特有の「気」で電子機器を破壊するつもりなのだろう。


「もしミレニアにバレたら…」

「恐らくバレるな。私が本当は起きていると」

「そんなの…!今まで隠してたことが水の泡じゃん!」

「そうかもな」


 あっさりと答える安吾に私は言葉を詰まらせる。彼の声には、微かな覚悟が感じられた。


「これは賭けだ。直感だが、今遊佐と話さなければ取り返しのつかないことになる気がする」


 突然の急展開に、私は言葉を失ったまま、立ち尽くしていた。すると、私の心を読んだかのように、安吾が私に向き直る。


「だが…お前が遊佐を呼びたくないなら、呼ばない。これから私がすることは、確実にお前を巻き込む。お前は一般人。これ以上…危険な目に遭わせたくないんだ」


 優しさが滲む言葉に、胸の奥がきゅっとなる。

 安吾は、私の返事を待っている。どんな言葉でも、受け止めるつもりなのだろう。

 でも、私は──。


「話そう。遊佐と!」


 拳を握りしめて、そう答えた。

 安吾が腹をくくるなら、私だって。


 私は心の熱を目に宿しながら、真っ直ぐ安吾を見つめた。すると、彼は一層穏やかに、そして力強く微笑んでくれた。


* * *


 それから、私は「安吾が痙攣けいれんを起こしている」と遊佐に伝えた。

 彼は慌てて「すぐに向かいます」と告げると、通信を切った。


 今、安吾は入口の扉の前に佇んでいる。その眼差しはこれまでの柔らかい雰囲気とは一転、覚悟を決めた者がまとうような貫禄があった。


 ──コン、コン


 私は安吾と視線を交わし、頷いた後で扉を開けた。すると、遊佐が勢いよく、隙間から身を乗り出す。


「咲良様!お待たせ──」


 次の瞬間、安吾が一気に陰の気を放った。気は遊佐の体を瞬時に覆い、バチッという鋭い音と共に、消え失せる。


 驚いたのか、遊佐はその場にぺたりと尻もちをついた。そして慌てて、懐や胸元のネクタイピンをまさぐる。その時、小さな破片が床にカラリと音を立てて転がった。


 やはり、遊佐にはつけられていたのだ。

 安吾の読み通り、盗聴器と発信機が。

 そしてそれらは、安吾の「気」を受けて、完全に壊れたらしい。


「驚きました…これが…人狼の…」

「御託はいい。何事だ?」


 安吾は自己紹介も前置きもせず、いきなり核心に踏み込んだ。

 遊佐はきゅっと唇を噛み締め、一呼吸を置いた後、やや早口に言葉を続けた。


「話せる時間は、二十分もございません。私に仕掛けられていたカメラは、十五分置きにミレニアの者が確認しております。映像が確認できなければ、即座に奴らはこの部屋に踏み込んで来るでしょう」


 話せる時間はニ十分。その言葉が放たれた途端、部屋に緊張が走った。


「率直に申し上げます。桂木芙蓉は、時空を超える石──時紡石じぼうせきを発動させ、過去に行くつもりでございます。そのためにはあなたの血、ルナブラッドの力が必要。桂木芙蓉はあなたを『鍵』として利用するつもりなのです」

「私の血の力が、時紡石の発動に必要、だと?」


 安吾が低く問い返す。


「正確には、あなたのルナブラッドともうひとつ。希少なソルブラッドです。そして、飛石と境界石。ミレニアは、ソルブラッド以外の条件をすでに満たしております」

「なぜ、桂木芙蓉は過去へ?」

「理由は二つございます」


 遊佐は一度息を整え、言葉を選ぶように続けた。


「ひとつは、因縁の相手、幸村藍子を自らの手で殺すこと。そして、もうひとつは、幸村藍子が隠した磁場エネルギーの在処を突き止め、この世を一度破壊する『終末思想』を実行するためです」


 遊佐が言い終わったのと同時に、室内の空気がさらに冷えたような感覚が襲う。安吾は「やはりな」と小さく呟いた。それと同時に、私は戸惑いながらも声を上げる。


「ちょっと待って!ソルブラッド以外の条件は満たしてるってことは…つまり、ソルブラッドの宿主はまだミレニアに捕まってないんでしょ?それなら、時紡石は発動しなんじゃないの?」

「…恐らく、時間の問題でしょう。ミレニアはこれから、その者を拉致するつもりでございます」

「どういうことだ?希少なソルブラッドだぞ。まさか、他にも生き延びている人狼族が──」

「いえ…」


 遊佐は一拍置いた後、驚きの事実を口にした。


「ソルブラッドの宿主は、あの幸村藍子の孫、幸村凪です。藍子は研究過程でソルブラッドのサンプルを持っていたようで…。それを孫に凪に与えた。さらに報告によると、幸村凪にはSPT幹部の御影稜馬がつきっきりでそばにいるようです。護衛も兼ねているのでしょう」


 私と安吾は同時に息を呑み、顔を見合わせる。

 だが、遊佐はその一瞬さえも惜しむように、次の話を切り出した。


「ミレニアとSPTは十月、横浜の中央刑務所の跡地で決戦を迎えることになります」

「決戦?」

「時紡石の発動には、強力な磁場を持つ地盤が必要。それが、中央刑務所の跡地なのです。ミレニアはすでにそこに拠点を構え、刑務所の解体作業に合わせて秘密裏に準備を進めています。一方、SPTもその動きを察知している様子。つまり十月、SPTはミレニアを一網打尽にするために必ず来る。その混乱の最中、ミレニアは幸村凪を拉致し、時紡石を発動させるつもりでございます」

「なるほどな。焔…稜馬が幸村凪を護衛しているということは、SPTも時紡石や磁場エネルギーの秘密に気付いているというわけか」


 遊佐は喉を鳴らし、ゆっくりと頷いた。


「それで、お前は何をそんなに焦っていた?『時間がない』とはどういうことだ?」

「桂木芙蓉は、すでに戦力を中央刑務所の跡地に集結させ始めております。私も明日にはここを発たねばなりません。そして、あなた様も連れて行かれる手筈になっております」


 私と安吾は、ほぼ同時に目を見開いた。


「我々が接触できる時間は、もう残されていないのです。ミレニアを内部から切り崩すためにもう少し時間をかけてミレニアの情報を探ろうと思っていましたが…遅すぎました」


 部屋に沈黙が落ちる中、秒針の音だけが響く。

 数秒後、その緊張を破るように、安吾が口を開いた。


「なぜ私を利用しようと?」


 遊佐は一瞬顔を伏せる。そして、静かに語り始めた。


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