「それで、人払いまでして私に話したい事とは何なのだ?」
「うん。まあ、待て」
定家は渡殿の方から感じる人の気配に気づいていた。
先程、出ていった因子達であろう。
全く、この男にはいつも悩まされる。
今年で30を越えるであろう妹の前夫は見た目だけが更けているだけで、中身はどうも成長していない。そんな通具はというと、物陰から娘達の気配が去っていくのを息をひそめて待っている。
それほど、人に聞かれてはマズイ話があるのか?
「よし。いいだろう」
着物を翻し、再び座り直した通具に用意した茶を差し出した。
「ありがとう。相変わらず気が利く」
「やれやれ。若人の話に聞き耳を立てるとはあまり良い趣味とは言えない」
「お前が呑気すぎるだけだ。良いのか。大切な姫君をあんなよくわからん連中に預けておいて」
「貞暁殿達の事か?」
「他に誰がいる」
「私達家族の問題にお前が口を出す権利はないだろう?」
「本当に随分ないい様だな」
「すえ子と情を交わした仲だというのは通用しないと言ったはずだ」
「よほど、妹と別れたのを根に持っているのか?それこそ、お前が口を出すべきではないだろう?すえ子も納得して出ていったのだから」
ああいえばこう言う。口だけは相変わらず達者だ。
妹は一度でもこの男のどこに惹かれたのか?
この歳になってもさっぱりだ。
まあ、いくら妹とはいえ、男と女の事など当人にしか分からぬか。
「まあ、気持ちは分かるぞ」
急に納得し始めた通具に定家は首を傾げる。
「分かったのか?」
「この顔は父上に似ているからな。あの時の事を思い出すか?」
この男は喧嘩を売りに来たのか?
そりゃあ、私だって20代の頃なら乗ったが、今は腰をあげるのもしんどい。
第一、 あの頃は乱闘騒ぎを起こしたせいで、大変な目にあったのだ。
思い出しただけで縮み上がる。
この歳で同じ目にあったら立ち直れる気がしない。
慎重にもなる。
「ちなみにあの時とは何を示しているんだ?」
「以前、父上にお前の歌は情緒にかけるとコケ降ろされていただろう?」
ああ、そっちか。
「別に気にしてはいない。過ぎた事だ。それを言うなら、お前の方が大変だろう。かの有名な歌人、
「おっと、そう来るか。歌がらみになると相変わらず辛口だな」
これのどこが、歌がらみだ。むしろ、政治であろうが…。
確かに目の前の男を見ていると通親の顔と重なる。
血とは恐ろしい。しかし、性格は真逆だ。
あの男は親族の娘を当時天皇だった後鳥羽上皇の後宮に送り込み、皇子様を産ませたのだ。
今やその皇子は土御門天皇となられた。通親は天皇の外戚として権力を欲しいままにしている。
やっている事はかつて栄華を極めた道長と同じだ。
奴のせいで、失脚した中には懇意にしていた者達も多くいる。
「いいのか?私が父上に一言いえば、お前の身だって危ういんだぞ?」
前言撤回。私の前で不敵な笑みを称えるこの男はやっぱり、通親の息子だ。
「帰れ!私はいつでも受けて立つぞ。そもそも、
「落ち着けって。冗談だよ。冗談。不肖の息子の俺の言う事をあの父上が聞くと思っているのか?」
通具の野郎。わざわざ、私を怒らせて慌てるぐらいなら初めからやるなよ。
「本当にお前と話していると疲れるよ」
「それは俺のせいではなく、この屋敷に漂う空気のせいだろう?」
「今度は何の話だ?」
「あの僧だよ。よりにもよって鎌倉に通ずる者を住まわせるとは…」
やはり、貞暁様の素性は把握済か。
「だからなんだという。私の交友関係に口をはさむなと言ったはずだ」
「心配しているんだよ。お前は俺と同じで偉大な父を持つが故に苦悩してきただろう?」
確かに私の父も知られた歌人ではあるが、そのことで弊害が生じた事はあまりない。
しいて言うなら、私が公家社会で軌道に乗る前に出家した点だ。おかげで、人脈作りには苦労した。それでも、歌の才だけで今まで生きてきたのだ。おそらく、父上よりも歌は私の方が上手いと自負している。だから、一緒にされるのは心外だ。
「その理屈で言うなら、苦労されているのは貞暁殿の方であろう。何せ、お父上は天下人であられたのだから」
「守ってくれるはずであろう幕府に命を狙われている身だがな」
「笑いごとではないぞ」
「随分、肩を持つのだな。お前の鎌倉びいきはやはり兼家様のせいか?」
「なんとでも言え」
――
先の関白だったあの方は乱闘騒ぎのせいで、朝廷を追われた私に手を差し伸べ、実務を取り締まる
「そなたは歌で生きよ」
私に語ったその言葉は今も胸に深く刻まれている。
そして、兼家様は幕府との関係に注力されていた。
頼朝の征夷大将軍を
「お前は武士嫌いなようだが、あの方は僧でまだ、若い身だ。朝廷と同様に魑魅魍魎が住まう幕府の呪縛に一人で晒すのは酷であろう」
「優しいのだな。定家だって、野心はあるのだろう?よもや、あの僧を使い、朝廷に返り咲くか?後鳥羽上皇との橋渡しもしたと聞いているぞ?」
貞暁殿の文を手渡しただけで大げさだ。
やはり、この男。通親の差し金で送り込まれて来たのか?
考えても仕方あるまいがな。
「ないとは言わない。これでも公家のはしくれだからな」
この男に言った所で理解もし合えぬはな。
かつての兼家様が助けてくださったのにも思惑はあったのかもしれぬ。
それでも、私は救われた。
ならば、歳を重ねた私が同じことをするのは当然であろう。
若者を導くのは先を歩む者の務めであるはずなのだから。
「まさか、釘を刺しに来たのか?」
「いいや。”定家殿”は僧に執心するぐらい疲れていると噂されているからな。ねぎらいに来ただけだ」
「はあ?」
通具は懐から五芒星が記されている小袋を取り出した。
あれは陰陽師が使うという印?
「奥方が屋敷を出られて、随分経つ。そろそろ、良いんじゃないか?」
「女遊びでもしろというのか?浅はかだな」
「大丈夫だ。これさえ、飲めばどんな女も魅力に感じる」
「うわ~。情感のない言葉だな。そんなことだから、歌の才がないと嘆かれるんだ」
通具は小袋から真っ黒な丸い玉を取り出した。
「
「大丈夫なのか?得体がしれない。不気味にも程があるが?」
「中身はホカリイカリソウだ」
媚薬としては、まあ、知られている草ではあるな。
「試したのか?」
「ああ…。すっごく良かった。媚薬だけではなくて頭の方も透き通ってくる。飲めば10歳は若返るぞ」
「言いすぎだな」
「今、密かに内裏で出回ってるんだ。手にできる人間は運が良いんだぞ」
内裏で?
「毒じゃないという保証がどこにある?」
「なら、私から試そうか?」
定家は謎の薬丸を前に疑念と好奇心に駆られていた。