一体、どうなっている?
二人はどこへ?
困惑のまま、周囲を見渡した瞬間、視線に白色の何かが通り抜けていく。
何だ?
菊?
色とりどりの菊の花が一面に広がっていた。
さっきまで真っ暗な空だったのに、今は太陽が照りつき、自身の足元で砂利が音を立てている。
どこかの庭だ。公家屋敷か?
いや、違う。
定家様の屋敷よりも小さく、簡素。
一般的な
俺はここを知っている。
着物が擦れる音が聞こえて、振り返った。
そこには美しい装束を纏った女性が立っている。
母上?
その姿に貞暁は絶句した。
ありえない。
京におられるはずはない!
それに…。
別れてから何年経っていると思っているのだ!
そこに立つ母上の容姿はあの頃と変わっていない。
俺の記憶の中の姿そのもの。
そして、この場所である!
鎌倉の伊達家だ。
物心がついたばかりの少しの間だけ、滞在しただけゆえ、正確とは言えないが…。
それでも、俺の中にある鬼力はこの状況はおかしいと告げている。
だが、分かっていても何も語らず微笑む母上の姿をした何かに抱きすくめられて体が動かない。
かなり強い力だ。そして、長く艶やかな髪に真っ白だが人形のように固い腕。
息遣いも聞こえない。間近でその女の感触を味わった事で直感は正しい事を理解した。
「やはり本物ではないのですね」
女性は何も語らない。
声は再現できていないのか?
それとも不完全だからか?
「とにかく、よかったですよ。母上を二度も傷つけたくはありませんから」
一瞬、瘴気を纏っていた母上の顔が脳裏にチラついた。
しかし、気づかないフリをして、母上の姿をした何かを優しく抱き返す。
その指は真っ白な首筋に伸ばし、鬼言を一文字、なぞるように描けば、女は姿を消した。
再び、空は闇に染まっていく。
抜け出せたか。
いや、星空一つない。
ならば、霧に包まれた時と同じ場所に戻されただけ…。
推測だが、ここはおそらく誰かが発動させた術の中。
母上の姿をした者が出てきたとなると、入った者の意識に強く残る人間の幻覚を見せるのか?
だが、一体誰が?
悪鬼の中にはこういった力を持った個体もいるだろうが、それなら術に入る前に俺は気づけたはず。奴らの鬼力もそれらが形を成した鬼花の姿もなかった。
なら、陰陽術か?
いや、それなら、鬼力まみれの俺はもっと深い傷を負っているはずだし、この体に流れる鬼力がもっと騒いでいる。残るは妖だが…100年ほど前に交わされた約束事により、人の世に干渉してくるとは思えない。
ああ、一体どうなっている。
その場で叫びたくなったが、足元がふらついた。
少し、精神力を奪われたな。
だが、この身に流れる鬼力の量は増している。
正確に言えば、俺のとは違う別の鬼力が纏わりついているのだ。
それもこの鬼力は…。
「住蘭殿!」
――シュッ!
そう認識した瞬間、肩に触れる着物の音が届いた。
今まさに連想した男が舞を踊っていた。
はあ?
どういうことだ?
「貴方様は斬首されたはず!」
思わず、現れた住蘭に語りかけたが、母上の幻影と同様に何も語らない。
ならば、この男も幻?
しかし、確かに微量の住蘭の鬼力の気配は感じる。
確かめてみるか。
貞暁は軽やかな足取りで音を鳴らす住蘭に鬼言が刻まれた数珠を飛ばした。
けれど、数個の珠は住蘭の体を通り抜けていく。
なるほど。やっぱり、本物ではないな。
う~ん?
だとすると意識に残った者を見せるという推測は外れか?
俺、そこまで住蘭という男に思い入れないんだよな。
まあ、結構、相手をするのは大変ではあったが…。
この術を発動させた者は何がやりたいんだ。
目の前の住蘭は攻撃を仕掛けるでもなく、踊っているだけだ。
俺の鬼言をぶつければ、解けるか?
だが、この力がどの程度のものかも変わらないのに安易に音を出すのは危険だよな。
下手にやって、それこそ、都に張られた結界に傷をつけたらまずい。
とりあえず、二人を探してみるか。
せめて、俺だけが術中にはまっているだけなら、まだいいのだが…。
それは楽観的過かな。
貞暁は法衣を翻し、胡坐をかいた。
意識を集中させるにはこれに限る。
一番、手っ取り早いのは霊力が強い義宗から見つけることだな。
運が良ければ因子様もご一緒かもしれない。
深呼吸を繰り返し、親指と人差し指で鬼言を込めながら指を鳴らす。
―――アッ!
鬼言は記号となり、周囲に飛んでいく。霊力の気配があれば、浮遊する音が弾けるはずだ。
うん?
貞暁は閉じた瞳の先でいくつもの瘴気の気配を感じ取っていた。
色も形も匂いも異なる瘴気が無数に折り重なっている?
妙だな…。
容姿が皆、異なるように瘴気にも個性が見られる。体臭と同様に違う人間に付着すれば、別の色を放ち、空中に舞う物とも違ってくる。しかし、瘴気は一つの所に集まると同じ気配に変わっていく。
それなのに、今、感じる瘴気は違う人間が予期せぬ場所に詰め込まれ、馴染んでいないように思う。しかし、どれも悪臭が濃い。こんな匂いを放つのは死者の体から発せられる瘴気しか…。
「あっ!そう言う事か」
合点がいった瞬間、思わず、目を開けてしまった。
だが、線が繋がったと同時に霊力の気配も見つけた。
未だ、踊り狂う住蘭の幻影を鷲掴みにする貞暁。
「貴方もただの瘴気なのですね」
――ハァッ!
息を吹きかけるように鬼言をつぶやけば、住蘭だった者は埃のように散っていく。
纏わりつく瘴気を祓いながら、貞暁は霊力をとらえた鬼言の方に走り出たのであった。
近づくにつれ、霊力が大きくなっていく。
「うっまい!」
ようやく、見つけた義宗は手に収まる大きさの瘴気の塊を美味しそうに食っていた。
はあ?
よくよく、見ると義宗は眠っている。
つまり、母上の幻影を見た時の俺と同じような状態って事だ。
どんな、夢を見てるんだよ。
「おじさん、起きてください!」
重たい義宗の体を揺さぶったり、背中を叩いたりするが、義宗は無反応だ。
参ったな。この間にも瘴気の塊はその大きな口の中へとおさまっていく。
「そんなの食べたら腹を下します。おじさん!ああっ!もう…」
こうなったら、手は一つしかない。
貞暁は義宗のそばに転がっていた沢山の瘴気の塊を一つ、握りしめ、自身の鬼言を込めた。
すると、瘴気の塊は一層、固くなっていく。
こちとら、瘴気と生まれた時から付き合ってんだ。
怪我しても恨まないでくださいね。おじさん。
貞暁は義宗目掛けて、瘴気の塊を投げつけた。
瘴気の塊は義宗の額に直撃。火花をまき散らして、はじけ飛ぶ。
「まだまだ、食えるぞ!」
目を覚ました義宗は大あくびをしながら、額をかいた。
そこの反応は痛いじゃないのかよ。
霊力の強い義宗なら、鬼言を組み込んだ瘴気の塊をぶつければ、反応が起きると思ったが、そんな蚊がとまったみたいな反応されると複雑だよ。
「あっ!武丸様もどうです?」
「どんな、夢を見ていたんですか?」
「夢?そっか。夢か。おかしいと思ったんだよな。10頭の熊の肉をありったけ食えるわけないもんな」
心底、悔しそうな義宗に呆れて、何も言えない。
熊の肉!
まさか、あの瘴気、熊の肉だと思って食ってたのか?
どんな、腹の構造してんだよ。
瘴気だぞ。もしかして、腹の中で瘴気を浄化しているとかか?
だとしたら、どんだけ、強い霊力なんだよ。
もしかして、俺、コイツのそばにいると浄化されて、消えるんじゃね?
ああ、復讐心捨てさせるとかやめて、逃げよっかな。
「えっと、熊の肉がお好きで?」
「う~ん。うさぎの方がいいな。あっ!タヌキも好きだ」
肉なら何でもいいんじゃねえか!
母上の想いとコイツの食欲が同程度とか…。
認めたくねえ!
「因子様はご一緒ではないんですね」
「姫さん。そういや、いないな。あれ、いつ、夜になったんだ?」
「私達は今、得体のしれない術の中にはまっているんですよ」
「何!悪鬼の腹の中か?」
「ああ、そういう発想もあるんですね。でも、まだ、分かりません」
「こうしちゃ、いられない」
義宗は勢いよく立ち上がり、腰に手を当てた。
「姫さ~ん!出てこいよ」
声がでかい!
ああ、術の効果もよく分からないまま、俺、ここで死ぬかな。
貞暁は耳を守るために両手でふさいだのであった。