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第30話 山月外法陰陽術書

よし。外法術は完全に解除されているようだな。


先程まで、術の渦中にあった場所とは思えぬほど、清々しい空気に満ちている。


「他に人はいないみたいだぜ」


大きな音を立てて渡殿を歩いてくる義宗。


「ちょっと、昌家様がお休みされている最中ですのよ。もう少し、静かにできないんですか?」

「悪い」


寝殿に横になる昌家様の顔に血色が戻り始めている。


「貞暁様。昌家様はもう大丈夫なんですか?」

「ええ。すべては因子様のお力です」

「私の?」

「貴女様が紡ぐ歌には瘴気を癒す力があるようでございます」

「それはどういう?私には貞暁様のような特別な力などありません」

「めっそうもない。因子様の力は私のような悪疫に通じる物ではない。正真正銘、神聖な霊力に由来するものでございます。ご安心くださいませ」

「でもなぜです?今まで、このような事など…」

「以前、悪鬼に魅せられた事がございましたでしょう」

「はい。あの時はご迷惑をおかけいたしました」


肩をすくめる因子様は顔を真っ赤にして俯いた。


「人は危機に瀕した時、思わぬ、力に目覚める事があると聞きます。悪鬼をその身から追い出すために、眠っていた霊力が覚醒されたのでしょう。あくまで、推測ではありますが…」

「あまり、実感がありませんわ」

「そういうものでございますよ。ですが、私の目には因子様の周囲に霊力が流れているのが分かります。負の気に塗れた昌家様のお心をとらえ、引き出したのも因子様なのでしょう」


以前、悪鬼と育てるに至った因子様のお心が歌となって、広がったのもおそらく霊力の兆しだったのであろうな。義宗といい、因子様といい、俺の周りは正真正銘の人の世の守護者たる霊力保持者ばかりじゃねえか。何?もう、俺に死ねって事?


まあ、義宗の巨大な霊力は義経公を抑えつけるために使われているようだから、すぐに俺の鬼力がどうこうされるわけではないだろう。因子様の方も、覚醒したとはいえ、微量だ。

だから、多分、そばにいても大丈夫なはずではある。

それでも、身は引き締まる!


冷や汗を隠すように一歩、後ろに下がると書物の束に足をぶつけた。

まずい。人様の屋敷に勝手に上がり込んでいるのに荒らすような事…。


散らばった書物を拾い上げると、ある文字が目に入った。


山月外法陰陽術書さんげつげほういんようじゅつしょ…」


所々に血の染みが目立つ古びた書だ。

この手の代物を実際に見る日が来るとはな。


外法術が流行った平安の頃に出回った外法術の指南書。

そのほとんどはまがい物のだったが、これは違う。

何せ、作者は有名な陰陽師だからな。

それ故なのか、まがい物の書とは比べ物にならないほど効果も高い。

そう考えたら、俺よく頑張った方じゃねえ?


ひらひらと紙をめくっていくと真新しい印が押されている箇所があった。


昌家様がつけたのだろうか?


そこには死んだ者を生き返らせる術という文字が浮かび上がっている。

なんと、ひどい。


親しい者を失くした人間にとっては魅惑的な言葉だ。

外法術はこうやって、人の心に付け入る。

その中身など、悪鬼製造の術が記されているに過ぎないというのに…。


「お~い。あっちに干し柿があった」


場違いな義宗の声に頭を抱えたくなる。


「まさか、勝手に食べたのですか」


もう、泥棒だよ。


「そんな事しねえよ。後で武丸様がなんか、買ってくれるんだからよ」


約束したの、完全に忘れた!


「呆れた」


因子様は義宗に顔も合わせる事なく、檜扇を握りしめた。


「ううっ!」

「昌家様」

「因子様?私は一体何を…。浪子は?」

「浪子様は…」


因子様はなんと言っていいか分からない様子で視線を逸らす。

義宗も何も語らない。

ここは僧である俺が対処するべきか?


「浪子様はお亡くなりになられたのでございます」

「そうだ。だが、私は…。ああっ!そうだった。私は…。浪子を…。あんな…」


震え出す昌家様のそばに膝をついた。


「お会いしたかのでございましょう。だから、外法術で蘇らせようとなさった。ですが、それで浪子様にお会いできましたか?」

「いいや。最初はよかったのだ。夢であっても…。だが、そのうち…。あれは私に襲い掛かった。浪子の姿を借りて…」

「それが外法術の本質なのでございます。人の心に強く残る残像の姿をして、近づき、命を奪う」


俺が母上の幻を見たのもその理屈であう。だが、義宗は食欲の方が勝っていたがな。


「私は奪われてもよかったのだ。あのまま…」

「お察しいたします。ですが、浪子様は外法術によってご自身の姿を借りた悪鬼の悪意を振りまくのをお望みにはなられませんでしょう。外法術は数多の人の命を奪うのですから。お父上として、浪子様を想う貴方様ならば、どうか、美しい姫君のお姿をとどめておかれるのがよろしいのでは?出なければ、浪子様の魂は救われぬどころか悪疫の糧となってしまう」


人の念とは恐ろしい。

たとえ、外法術に手を出さずとも人が過度にため込んだ瘴気ならば、また、悲劇は起こる。

昌家様のお心が救われないのなら、同じことの繰り返しだ。

だが、俺にそのような事できるのか?

ただ、見習い僧の俺に…。


「分かっております。受け入れられなかったのです。あの子の死を…。ですが、もう、いないのですね。親の私の方が長生きしてしまうとは…」

「昌家様」


この方はよくできたお方だ。さすがは、大納言となられるはずだった御仁。

自ら、悲しみを受け入れられたのだ。


外法術がある意味、悲しみを癒したのか?

それならば、なんと皮肉な事だろう。

いや、それとも因子様のお力か?

どちらにしても、俺は何もできない。

人一人、慰める事すら叶わないのだ。


「申し訳ございません。私が浪子様を見殺しにしたばかりに…」

「謝らないでおくれ。浪子の友人を泣かせたとあってはあの子に怒られてしまう」


因子様は檜扇を差し出した。


「浪子様からお借りしていたのです。昌家様にお返しいたします」

「ありがとう。だが、それは因子様がお持ちくだされ…」

「ですが…」

「その檜扇を見ているとやはり、辛いのだ。親友だった因子様がお持ちくださるなら喜ぶ事でしょう」

「分かりました。私が大切にお預かりいたします」


檜扇を大きく開く因子様の瞳にうっすらと涙が滲んでいる事に気づかないふりをした。

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