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第50話 老武者

暇だな。

やはり、姫さんの言う通り、後をつけるべきだったか?

だが、どうも、あの人に名前を呼ばれると従いたくなっちまう。

これが主を決めた武士の弊害というものだろうか?


静まり返る定家屋敷に不気味な風が吹き抜けて義宗は思わず、笑い声をあげた。


「俺があの僧を真の主だと認めているだと?」


心の中に蠢く感情に困惑と不安感がぬぐいされない。

あの僧はただの駒だ。確かに興味深い男ではある。

だから未だ、好き勝手させているのだ。

俺がその気になりさえすれば、武丸様などどうとでもなる。

どんなに泣き叫ぼうともお飾りの将に担ぎ上げる事も容易なはずだ。


「それが伊達の父上の願いでもあるのだから」


この場にいるのが意識のない定家殿の友人だけで良かった。


「そういや、あんたは武丸様が気にくわないようだったな」


微動だにしない通具とかいう男に語りかけた所で返事が返ってくる事はない。


武丸様をなぜ、自分に敵意を向ける男を助けようとしたのか?

頼朝は気に入らない人間であれば、実の兄弟すら残酷に殺すような男だったというのに…。


あの時だって…。

外法術の中で俺を呼んでいた。

言いたくもない”将軍”という言葉すら口にして…。

あれも武丸様の鬼言とかいう力なのか?

あの方の必死な叫びはなぜだか、胸の辺りがじんわり熱を帯びるんだよな。


「気持ちわりぃじゃなくて、気持ちが良いのはなぜなんだ?」


こんなのは初めてだ。


「うっ!」


心臓が大きく脈打ってその場に膝をついた。


――あの僧は憎い男の息子。

――己の願いを忘れるな。


頭の中で声が響いた。幼少期から何度となく語りかけてくる痛みだ。

それはまるで、夢と現の狭間に落ちるような感覚を呼び起こす。


情が移ったか?

あの僧は所詮、ぬるま湯で育った男だ。

だから、平気で優しい音を吐けるのだ。


「忘れてはいない」


鎌倉の長たる頼朝の死から数年経ったとはいえ、幕府は安定には程遠い。

俺が幼少期の頃ですら昨日まで仲良くしていた人間が次の日には敵となり、粛清されるのが日常茶飯事だったのだ。義経の血筋であるこの身にいつ火の粉が降りかかるのか常に不安で仕方がなかった。そんな中でも挫けずにいたのは心の奥底に住まう怒りがあったからだ。


それに気づいたのはいつだったか?

もう、思い出せはしない。

だが、ある時からその怒りは言葉を持って、俺を奮い立たせるのだ。


京の都に来てからはその声は小さくなったが…。

しかし、消えてはいない。


そうとも…。

武丸様ごときに俺は懐柔されたりはしない。

あの男は愚かにも長年、育ててきた復讐という芽を摘もうとしている。

それだけは絶対に許さない。

主導権を握るのは頼朝の血ではない義経なのだ。


その決意を示すために気持ちよさそうに眠るこの公家の男を殺ろうか!


「己が不在の時に俺が蛮行をしたと知ったら、武丸様はどんな顔をするのか?」


叱責するか?

憎むか?

泣くか?


「う~ん」


泣かれるのは嫌だな。


「やめやめ!」


無抵抗の人間に刀を向けるなど、武士としてあるまじきだ。

それにしても寂しい屋敷だ。

公家と言えば、豪華絢爛な暮らしをしているものと思っていたのに従者一人いないとは…。

娘を蘇らせようとしていた昌家殿とやらの所も従者はいたが、少なそうだった。


「ああ、早く武丸様帰ってこねえかな」


相変わらず頭の中はうるさいが無視するように瞳を閉じたのであった。


――ヒュッ!


どこからか笛の音が聞こえてくる。

今度はなんだ?

こんな音は初めてだ。


咄嗟に体を起こす。


「これは外だ」


武丸様が戻られたのか?


大慌てで裏門を走り出た。

しかし、揺れる柳しか迎えてはくれない。


なんだ。戻ってないのか。

やはり、今からでも京都守護の屋敷に行くか。

あの方は戻ると言ったが、信用するべきではなかったのかもしれない。

もしかしたら、もう消されているやも。


「それは困る!」


武丸様を生かすのも殺すのも俺でなくては…。


「義宗様…」


表通りに走り出ようとしたその時、かすれた声に呼び止められた。

振り返ると柳の下に老人が立っている。


「お前は…」

「先日ぶりでございます」


念仏会に紛れて、武丸様を仕留めようとした老武者だ。

あの時よりもさらに痩せ焦げた印象を受ける。


「何をしている?」

「わたくしめは貴方様のいるところにおります」


この男も俺に一目ぼれっているのか?


「俺は女しか興味はない」

「さようでしょうとも…」

「お前、雰囲気変わったか?」

「当然でございましょう。わたくしめは義宗様に賭けると決めたのでございます。生霊のごとく彷徨っていた以前とは違いますぞ」

「そうか」


俺も京の都に慣れすぎたようだ。

武士とはこうでなくては…。


「それで、守備はどうなっておられるでしょう?あの僧をいかほどのようになさるのか。気が気でないものでして」

「それで、わざわざ来たのか?」

「申し訳ございませぬ。計画の邪魔をしていなければよいのですが…」

「う~ん」

「なんと!苦戦を強いられるほどの男であるか!」

「まあ、そうだな。武丸様は上に立つ者の気概が備わっている」

「悔しい限りですな。腐っても頼朝の子という事か!」


腐ってはいないだろ。

むしろ、清廉潔白すぎる。


「わたくしめに出来る事があればおっしゃってくだされ。そうだ。適当な女を連れてきて参りましょう。あの僧とて美しい女に堕ちれば操るなど…」

「それは無理だな」


武丸様、その方面にまるっきり興味がないからな。

わりと目麗しい姫さんに駄々洩れな好意を寄せられていても全く、なびく素振りがない。


「いや、あれの場合は性格のせいか?」


げっ!

姫さん、聞いてないよな。


思わず辺りを見渡すが、老武者と俺の姿しかない。

よかった。


「弱りましたな」

「お前は俺に付き合わなくていいぞ。どこか好きな所にでも行け」

「なんと、お優しい。ですが、この…………。どこまでも、義宗様にお付き合いいたします」


うっとうしい!

助けたのはほとんど気まぐれだったんだがな。

だが、老人を無下にも出来ん。


「分かった。もう、夜も遅い。早く帰った方がいいぞ」


どこで寝泊まりしているのか知らんが…。


「そう致しまする。義宗様!」


丸まった背は柳の中へと消えていく。

あっちは行き止まりしかなかった気がするが?

まあ、道があるのだろう。


そういや、じいさん。

自分の名を名乗っていたが、なんだったかな?

物覚えが悪いのは俺の弱点だな。


「次、会った時に聞きゃいいか!」

「うっうううっ!」


裏門に手をかけた瞬間、女の泣き声が漏れてきた。

もしかして、姫さん?

やっぱり、さっきの失言聞かれていたか!


どうにか弁明しねえと…。

あの姫さんの事だから、蹴りの一発ぐらいお見舞いされそうだ。

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