「ご冗談が過ぎます」
在御家人を味方に付けるという言葉が独り歩きしたらどうしてくれる!
北条家の耳にでも入ってみろ。
“貞暁は京で兵を集めている”
とかなんとか言われて、刺客の数がさらに増えるだろうが!
それこそ、恐ろしい未来が待っている!!
「さあ、定家様も病み上がりでいらっしゃるのですから、早く帰りましょう」
行きは俺が牛車に押し込まれたが、帰りは俺が押し込んでやる。
「貞暁殿は恥ずかしがり屋でいらっしゃる」
いやいや、俺の知らぬ所で勝手に評価がついていく事に耐えられないだけだ。
それにしても月が傾いているな。
本来なら、眠りに誘われる時間だというのに。
ゆったりと進む牛の前を誰も遮ったりもしない。
まるで幻想の世界に迷い込んだような感覚すら湧いてくる。
武士方は夜型ばかりなのか?
さらに灯される松明は不気味さすらも演出してくる。
本当になぜ、このような刻に呼び出されたのか?
いや、これは嫌がらせだったのやも…。
「肩を落とされますな。貴方様はよく頑張りましたよ」
「これからが大変なのです。治療法など何も知らない」
「鬼言ではどうにもならぬのですか?」
「私の力は神聖な物とは程遠い。確かに悪鬼をねじ伏せる事はできます。されど、それだけにございます。本来ならば、このような人災は陰陽師の管轄だというのに…」
「京都守護殿にも人災と申しておられましたな」
「疱瘡は悪疫と呼ぶには恐ろしい人知を超えた病ではございます。されど、今起きているのは回避できたかもしれぬ現実。妙奇薬なる珍薬には程遠い品さえなければ…」
平安の世に忘れられたはずの鬼脂を服用という形で復活させるなど、一体どんな人間が考えるんだ?
「一度生み出された物を失くすのは難しいものなのですな」
定家様は檜扇を静かに閉じた。
「そうですね」
昌家様のように外法術に手を出す方も武士の世に現れたのだから。
「だからこそ、この京にもかつてのように神秘の力で守護する者が必要なのです」
俺のようなまがい物ではなくてな。
「私のような歌にしか才のない人間には貞暁殿の苦しみなど分かるはずもないでしょうが、貴方様がいてくださってこの京は幸いだと思っておりますよ」
だから、なぜ俺への好感度がそれほどまでに高いんだよ。
「そう言っていただけると私の立場もあると言う物でございます。それにしても、妙奇薬をばら撒いている人間は何が狙いなのか?見当もつきませぬ」
「一番に考えられるのは金の調達でしょうな。私の口には合わなんだが、公家も体力勝負なのです。精力の強さはそれに直結する。ゆえに、媚薬を所望する人間も多いのですよ」
「つまりは?」
「金に糸目は付けぬ者もいると言う事です。通具もその一人でしょう。あやつは現右大臣の息子。このご時世であっても他の公家よりは財力を持っている」
妙奇薬を売った者に金が流れているというわけか。
「通具様が意識を取り戻してくれされば、話を伺えるのですが…」
「女から貰ったと言ってはいましたが、あまり目ぼしい情報は聞けぬでしょうな。妙奇薬は武士の間にも広がっている。想像する以上にその糸は絡まってると考えてよいでしょうからな」
「売った人間もさらに別の人間から買い付けたとおっしゃりたいのですか?」
「ええ~」
やっぱりそうなるよな。
朝廷の管轄下にあった住蘭の遺体から鬼脂を作ったぐらいだ。
よほど、内裏に繋がりの深い人間か。
だが、それで言えば、幕府内にいるものでも可能なはずだ。
さらに鎌倉も汚染されつつある。
誰が黒幕でもおかしくはない。
「だからって、実朝様まで毒牙にかかられるとはな」
我が弟には未だお子がおられない。
もし今亡くなりでもすれば、次の将軍として真っ先に名が上がるのは頼家様のお子達だが、まだ幼い。
胤長殿の態度も考慮に入れれば、俺が否応なく祭り上げられる可能性も多いにある。
その前に京都守護に殺される気もするがな。
「弟君が心配ですかな」
「多少はですが…。お会いした事はないとはいえ半分は血がつながっておりますから」
「その弟君が刺客を送り込んでいるかもしれませぬのに?」
「ですから、多少なのですよ。私も人の子でありますから憎しみだけに囚われたりはいたしませぬし、胸を砕くほど心に留め置く事もできません」
「それでよろしいかと存じます。ですが、貞暁殿には申し訳ございませぬが私は実朝様には踏ん張って頂きたいと思っておりますよ」
「それはまたなぜです?」
「あの方は朝廷との関係を重視しておられますからな。正室も後鳥羽上皇様の縁者の姫君であられる。お子が出来れば、さらに良いのですが」
「なるほど」
側室の話題を一向に聞かぬ実朝様はご正室様と仲が良いという話だ。
そう考えるとあの方の周りは京にゆかりのある方々が多いのも頷ける。
和歌に精通しているのもそれゆえか?
そうなると、妙奇薬を運んだ人間がその辺りに紛れ込んでいるとも考えられるな。
だが、定家様の言う通りならば朝廷寄りの鎌倉殿を消す理由はないはず。
しかし、朝廷とはいえど一枚岩ではない。
通具様のように不信感を抱いている者も多い。その父親たる右大臣様も同様だろう。
だとすると、幕府と戦う口実を作っている可能性もある。
それこそ、考えすぎだろうか?
「嫌な事ばかり浮かんでまいります」
「疲れておいでなのですよ。治療法を見つけるのは明日に致しましょう。日が昇れば、気も変わるでしょうから」
定家様の言う通りだな。
屋敷まで後少しだ。
肩の力が抜けたようであった。
だが、それも一瞬のうちで消えていく。
――バンッ!
突然、牛車が傾いたからである。
「なっ!何事か?」
屋型に大きな亀裂が入った。
刀によるものだ。
閉め切られた牛車の中で大勢の足音が耳を通り抜けていく。
どうみても、賊に襲われている!
定家様の背後で人の気配を感じ、思わずその背を地面に押し当てた。
それと同時に牛車の中に刀の先端が突き抜けてくる。
「定家様!逃げましょう」
思わず、牛車の外に出ると護衛としてつけられていた二名の在京御家人達が血まみれで倒れていた。
「覚悟!」
切り裂くような叫びと共に貞暁に刃が振り下ろされる。
それを寸前でかわし、地面に膝をついた。
「貞暁殿!」
怯えるような、それでいて庇うように定家様に抱きすくめられる。
「金目の物ならくれてやる!」
定家様は懐から財布を取り出すが、賊は見向きもしない。
人数は十人ほどか?
身なりは気崩しているが、髪は整い、爪も綺麗だ。
そして、刀の構え方は義宗とよく似ている。
こいつら、御家人だ。
京都守護の野郎!
やっぱり、俺を生かす気はなかったんだな。
鬼言を使えば、目くらましぐらいはできるだろうが…。
だが、彼らは才を持たぬ者達。
もし、俺が鬼力を放てばそれこそ、悪鬼とやっている事は変わらぬのではないか?
しかし、定家様を見殺しにするわけにも…。
俺はどうしたらいい?
「狙いは私であろう。ならば、定家様は見逃してくだされ」
貞暁の声に反応する事なく、賊の刀は間近まで迫ってくるのであった。
ばあさん。悪いな。
俺はもしかしたら、悪鬼以外に鬼言を使ってしまうかもしれない。