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第48話 尺度

京都守護の存在感が未だ残る体面所を後にしても、貞暁の気持ちは重い。


ああっ!足のしびれが一向に収まらない。


クソッ!

正座は慣れているのに…。

修行が足りていないせいか?


いや、違う。物凄い形相で俺を睨んでいる在京御家人達のせいだ。

なんだよ。妙奇薬を取り上げられるのがそんなに癪に触るのか?

あれがどんな物かも知らないくせに恨みを募らせないでくれよ。


勝手に彼らの感情を妄想して、自己嫌悪に陥っていく。


はあ…。


ここにいたら、さらに気分が下がっていくだけだ。


治療法を探すとか無謀な啖呵を切っちまって俺の阿呆!

今からでも取り消そうか?

いや、何を考えてやがる。

それこそ、待っているのは地獄だ。


しかし、今気になるのは少し後ろを歩く定家様がすすり声をあげている点である。

見事な桜が描かれた檜扇で顔が隠れているため、泣いているのか笑っているのか分からない。

だが、聞き返す余裕は俺にはない。

一刻も早く、武士達の本拠地から抜け出すのが最重要事項であるためだ。


「貞暁様」


気持ちとは裏腹に胤長殿に声をかけられ、背筋が伸びた。

その背後には孝道殿が付き従っている。


なっ!なんだよ。

在京御家人達の代表として、俺に文句でもいう気か?


「何用でございましょう?」


貞暁は彼らの言葉を待った。


来るなら来い。

小言の一つや二つ。

聞き流すだけの力量は持ち合わせては…いないが、耐えるだけだ。

命の方が惜しいからな。


「恐れながら、我ら一同感服いたしました」


はい?


「京都守護様への物怖じしない態度。刀を向けられてなお、実朝様への配慮を見せたお姿。素晴らしく存じました」


配慮はしてないが?

もしかして、俺の好感度が上がっている?

さらに、胤長殿の言葉一つ一つ、頷いている孝道殿の態度も恐怖だ。


「勿体ないお言葉でございます。真の武の強者たる御家人方のお心を動かせたのなら本望にございます」

「なんと、慎む深い方でございましょうか。貴方様のような方が次代を担う鎌倉殿のお姿と言えるのでしょうね」


おいっ!

肝が冷える発言やめてくれ!


「私ごときにはとても務まりませぬ。幕府は実朝様の力あってこそ、発展していくのでございます」

「実朝様ですか?」

「ええ~」

「弟君に敬称をお付けになられるか?」

「当然でございましょう。時の将軍と一介の僧たる私では立場が違いますゆえ」

「その将軍が無能であったらどうなさいます?」


この男、俺に何を言わせたい?

京都守護を相手にするだけでも寿命が縮みあがったのにさらにこれか?

気を抜いて、言葉を間違えれば、生きては出られない。


「無能という言葉の意味する所は人の尺度次第ではないのかな?」


緊張感が走る中、定家様が静かに語った。


「さすがは言葉遊びが得意な朝廷の方でいらっしゃる」


定家様は未だ檜扇で顔を隠したまま、頷いた。


「しかし、家人たちの信頼を得ていない君主であれば、無能と言ってよいと思いませぬか?」


この男、過ぎた夢でも見ているのか?

おじい様が溺れたような儚い野望を…。

幕府はこんな連中ばかりなのか?

会った事すらない弟の身の回りが心配になってくる。


「夢を持つのは誰しも自由でありましょうが、口に出すのは如何なものかと存じます」

「仮の話でございますよ。ですが、武士ならば、心から好いた方に仕えるのが本望というもの…」

「そういう方がおありで?」


胤長は年齢に似つかわしくない無邪気な笑みを浮かべた。


「貴方様がその気になられれば、我々はいつでも手を貸しますぞ」

「胤長殿はお若いでしょう。もっと、見聞を広めた方がよろしいかと。出なければ…」

「伊達朝宗のようになると?私を何才だと思っておられる。これでも齢25ですぞ」


嘘だ!

絶対、俺より下だと思ったのに!

和田の一族ってみんな童顔だったりするのか?

それとも彼が特別?


「十分、お若いかと…」

「年下の貴方様に言われるとむず痒いですな」

「恐れ入ります」

「構いませぬよ。やはり、面白い方だ」

「お話が済みましたのなら、失礼いたします」

「御引き止めして、申し訳ありませんでしたな」

「いえっ…」

「ですが、お忘れになられまするな。誰しも好機に恵まれるわけではない。手を伸ばせば手に入る物を掴まぬのは馬鹿というもの」


義宗といい、武士というのは皆、死に急ぎたい連中ばかりだな。


「それこそ、好機とは尺度によって異なりますでしょう」

「であるならば、自ら引き寄せるまでですな」


そのやり方が穏便ならば、誰も文句は言わないだろ。

だが、どいつもこいつも血の気が多すぎる。

和田も北条と同じか。


「行動力がおありなのですね。胤長殿は」

「義盛様が常日頃から言っているものでね」

「では、和田一族の家訓なのでございますね」

「ええ~。だからこそ、肝に銘じておいてくださいませ。貞暁様が夢を見るなら、我々も同じ夢を語るとね。他の在京御家人に聞いても、同じ答えが返ってくるでしょう」


貞暁は小さく会釈するのみで、返答せずに背を向けた。


和田の夢も伊達の夢も俺には迷惑でしかない。


「貴方様ならば、最小限の血を流すだけで済むかもしれない」


甘い囁き。されど、なんと中身がないのだろう。

最小限などと…。

それこそ尺度によるじゃないか。


俺は小心者だ。幕府に巣くう悪疫に怯えるだけの人間。

そのような者に将軍の名を与えようなどと、愚かにも程がある。


何より、その将軍すらもあっさり見放す者達も大勢いる。

俺とは違って誕生を祝われた兄、頼家様ですらあっけなく見放されたのだから。


初代鎌倉の死からそれほどの月日は流れていないのに武士の長は代替わりしすぎだ。

俺が生きている間に後どれだけの人間があそこに座らされる事になるのか?

そしてそんな恐ろしい場所を俺は弟に押し付けている。

卑怯者以外なんだというのだろう。


足を踏み入れた時とは違って、すれ違う在京御家人達の視線に尊敬が混じっているのに気づいて、罪悪感に苛まれていく。


「貞暁殿には在京御家人すら味方に付ける魅力がおありとは…」


定家様の鼻をすする音に振り返った。

檜扇の間から見えた定家様の表情は泣き笑いである。


それ…どういう感情なんです?


緊張感漂う中で、貞暁は苦笑いを浮かべるしかないのであった。

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