1人どこかに行ってしまった結愛のことをしばし落ち着くまで考えないでおこうと、麻祐子は洸を抱っこヒモでおんぶしながら、台所で夕飯の準備をしていた。包丁を持って、皮をむいた人参をイチョウ切りにトントンと切りながら、背中ではぐずぐずの洸をリズムよく動かして、落ち着かせた。まるで、母親の姿だ。何十年も前に子育てしたことを思い出す。祖母として、しっかりと子守りをしなければならないんだとため息をつきつつ、鍋に水を入れた。
「ばーば! ばーば」
今日初めて会う血のつながらない樹絵瑠は人懐っこい。知らないおばあさんにばーばと笑顔で言えるなんて、可愛い子だなと思いながら、良心の呵責に苛まれる。結愛に言った一言で、飛び出した。どんな思いで実家に帰ってきたのか。生まれた直後には帰って来なかった。初めて母親になったばかりでさらに血のつながらない子との接点が生まれた心境を考えると計り知れないものじゃなかったのかと麻祐子は深刻な顔で樹絵瑠のさらさらの髪を撫でた。少し茶色かかったショートカットの髪が綺麗だった。
「なでなで!」
すごくご機嫌になるが、背中に乗っている洸はやきもちを妬いたのかギャン泣きになった。
「お、お義母さん。俺、こどもたち見てますから。いいですよ。腰痛くなりますから」
碧央は、リビングで結愛の父の耕太郎とお茶を飲みながら、あたりさわりない雑談していると台所で洸がギャン泣きをしている声に気づいてやってきた。
「あー、いいのよ、いいのよ。お父さん、いつも寝てばかりで暇してるから話相手になってて。そのうち、結愛も頭冷やして帰ってくると思うから。ママがきっといいはずよ。碧央くんは今のうちに休んでおきなさい」
碧央は洸が乗っている抱っこヒモの背中をポンポンたたいた。ハッと碧央の姿を見つけると手を伸ばして抱っこを要求した。
「あらあら……洸はそっちに行っちゃうのね」
麻祐子は自分から離れていく洸が少し寂しくなるが、背中が軽くなるとストレッチをした。
「結構、腰に効くのは確かなのよね」
「無理せずに任せてくださいよ。洸、おばあちゃんお休みしていい?」
「だ、だ!!」
少しだけ笑顔になる洸は碧央に抱っこされて安心していた。
「ん? 変なにおいするよぉ」
樹絵瑠は、リビングでお家から持ってきたうさぎのお人形でままごとしてると鼻がむずむずしてきた。匂いがする方に移動すると、碧央に抱っこされた洸のお尻が臭かった。
「くっちゃい!!」
樹絵瑠は匂いを嗅いですぐに耕太郎がいるリビングにスタスタと逃げていく。
「あー。洸くんのトイレタイムね。紙おむつ変えて来ます~」
碧央は紙おむつを取り替えに荷物がたくさんまとめられている和室に移動した。結愛に指導されて慣れてきていた碧央はてきぱきおむつ取り換えの準備をする。ラグマットの上に防水おむつ取り換えシートを敷いて、その上に洸を乗せる。テープタイプの新生児用紙おむつを用意して、ビニール袋を広げた。
「よし! やるぞ」
鼻息をふがっと吹いて、息をとめながら、洸のベビー服のボタンを外して、紙おむつを外した。
「健康的!」
てきぱきとビニールにブツを入れて、綺麗にお尻拭きで拭いていた。すぐに新しい紙おむつをつける。汚れた服を着替えさせ、新しい服を着せた。すっきりすると、洸はにこにことご機嫌になった。
「臭かった!!」
樹絵瑠は、嫌な癖に気になって碧央に近づいてくる。碧央は、よしよしと樹絵瑠の頭を撫でる。洸は寝ながら手足を動かしていた。現代の父親像をイメージしていた麻祐子は、まさかのイクメン姿にほっと安堵した。昔、耕太郎は結愛の世話をしているとき、家事はしてくれたが、おむつ交換はしてくれなかった。
「碧央くん、若いのに、しっかりしてるわね」
「え、いや。その……結愛に指導されたので」
「あー鬼嫁ね」
笑って返答するが、碧央は全然そんなことはないと首を何度も横に振った。しばし和やかな雰囲気になる。
一方、結愛は実家から近くの公園で一人ベンチに座っていた。誰もいない。公園。冷たい風が吹く中、スマホ画面を見るが、特に何をするわけでもなく、ポケットにしまった。ため息をついた。一人の空間が久しぶりでこんなに開放的になるとは思わなかった。まるっきり一人になるとこんなに寂しいのかと涙が流れる。
寂しくて寂しくて、誰かのそばにいたくなる。
自分で自分をぎゅっと抱きしめた。人恋しい気持ちが強くなった。
砂利の音が公園の入り口の方から聞こえた。