太陽の光が窓から部屋の中に差し込んでいた。窓辺にくるんと丸まって座る猫。これは野良猫が碧央が出て行ってから迷い込んできた。行く先を伝えずに静かにいなくなる碧央の代わりやってきた耳がくるんと丸くなった小さな白い猫。野良猫にも関わらず、全然汚れていない。ふわふわで白かった。
結愛は、心に引っかかったギシギシとした痛みを背負いながら、迷いこんだ猫の背中を撫でていた。幼稚園に通い出した樹絵瑠がもうすぐ帰ってくる。庭では、走りまわる亜玖亜に歩き方を覚えたばかりの洸がじゃれ合って遊んでいた。コロコロと転がる赤いビニールボールを追いかけている。急にハッと思い出す亜玖亜はボール遊びをやめて、結愛のそばに駆け寄った。
「ねぇねぇ、ママ。昨日、寝る前にシマエナガの人形ね、首また取れちゃったの。パパが帰ってくるんじゃない?」
結愛は、ごろごろと鳴らす猫を頭から背中にゆっくりと撫でる。
「えー、まさか。なんで、帰ってこないよ。連絡しても既読スルーだし、すぐに留守番電話になるしさ。もう、パパに期待しない方がいいって。亜玖亜、洸が一人で遊んで転んでいるよ。助けてあげて」
「ぎゃーーー」
転んですぐに、階段のかどに額をぶつけた洸は手に負えないくらいのギャン泣きだ。結愛は慌てて駆け出した。
「あーあ。もう、慌てて走るからだよ。よーしよし」
首の後ろに手をまわして、ぎゅっと抱き着いてくる。洸は、亜玖亜に置いて行かれて、一人になって甘えたくなったみたいだ。
「あ、ずるい!! 僕もだっこしてぇ」
「えー、嘘。ちょっと、待ってよ。洸の手当してからね。少し血出ちゃったから……あ」
部屋の中に戻ろうとすると、さっきまで一緒にいた白い猫がさらりと家から出ようとする。後ろを振り向いたかと思うと、すぐに駆け出して行った。行き違いに、家の門の前で、静かに立っている碧央がいた。申し訳なさそうな顔をしてじっと見ていた。結愛は、洸を抱っこしたまま見つめた。洸は、碧央が来たことに気づかずにずっと泣き続けていた。
「……碧央」
「あ! パパ」
亜玖亜は、過去の出来事など気にもせず、戻ってきたことが嬉しくて駆け寄っていく。碧央は素直に受け入れて、高い高いしながら、亜玖亜を抱っこした。結愛は、何が原因で出て行ったかわからなかったため、自分のせいではないかと近づけなかった。碧央の気配を感じた洸は、碧央だと驚いて、あんなに大きな声で泣いていたはずが泣き止んだ。両手を伸ばして、碧央に抱っこをせがんだ。
「今は、僕が抱っこの番。洸は、後でね。パパ!! またシマエナガの人形直してよ。また壊れちゃった」
「……ああ」
「亜玖亜、洸が泣いてるよ。すぐにだっこかわってあげて」
「えーー、もう少し」
「そうだな。あと10秒ね。10、9、8、7……」
「やだ!」
亜玖亜は碧央の頬をパンチした。
「おい。まだ数え終わってないぞ」
「僕の抱っこはもっと長いの」
「……その前にパンチ痛いからやめて」
「……むむむ。抱っこがいい」
「パンチの話は?」
「僕悪くないもん」
「…………」
しばらく会わないうちに亜玖亜は口が達者になり、力も強くなっていた。仕方ないなとためいきつきながら、だっこし直して、これでもかと抱きしめた。
「もういい、もういい!! 苦しい!! 洸と交代するから」
「なんだよ。もっとぎゅーしたかったのに」
「……いいの。お兄ちゃんだから洸に譲るんだ」
「あれぇ、 亜玖亜、優しいねぇ」
「そうだよ。僕お兄ちゃんだから」
結愛は成長した亜玖亜を見て、安堵した。碧央は数カ月だけ離れていたが、こんなに成長するんだなと実感した。何だか胸の奥の方が痛い。
きゃきゃッと洸は喜んで碧央に抱っこされた。抱っこした瞬間、変な音が聞こえた。
『ぷぅ~』
「げ、マジか。なんで、俺!? 嘘だろ」
「あ、おむつ交換しないと!」
「洸、わざと、パパが抱っこしたからだ。うわあ」
してやったりの顔をする洸に何だか結愛は嬉しかった。仕返しなんてすることできないが、小さな復讐ができた。洸の頭を何度も撫でた。
「えー。ママ、洸に指示したの?」
「違うよ。たまたまでしょう。たまたま」
碧央は急いで、洸の紙おむつを交換しに駆け出した。そこへ黄色い帽子をかぶった樹絵瑠がおばあちゃんのお迎えでお家に帰ってきた。これからまたひっちゃかめっちゃかな子供たちとの交流が始まる。慌ただしいけど、にぎやかで楽しい空間だ。
碧央がいない間でも、何とか時間をやり過ごしてきた結愛だったが、もう不安は消えた。笑いがさらに増えた気がしたからだ。
「何とかなるね、本当」
「ママ、なんかあったの?」
黄色い帽子を脱いで言う樹絵瑠に結愛はにこっと微笑んだ。
「結愛、おやつの準備は?」
母の麻祐子が叫んだ。
「ごめんなさい。今、準備するぅ!」
「おやつ食べるぅ」
庭に集まっていたみんなはリビングの方へ駆け出した。はたからみたら、仲良しの家族に見えるんだが、どんな関係は家族たちしか知らない。