重信の誕生日が終わった次の日、重信は妙子と一緒に家の前で自転車に乗る練習をしていた。
利治は既に仕事に出て家にはおらず、妙子が重信の自転車の練習に付き合っていた。
まだ練習を始めて二時間にも関わらず、重信はある程度自転車に乗れていた。彼は転びそうになれば地面に足を着ければいいだけだと理解している。友人が自転車の練習で何回か転んだと聞いたが、なぜ転ぶのだろう? と重信は不思議に思っていた。
「すごい、しげちゃん!」
自身の姿を見て喜ぶ妙子の声を聞きながら、まだぎこちないながらも重信は自転車を漕ぐ。その時、頭の上を燕が通っていくのを見て、重信はそちらに視線を取られて転んだ。
「しげちゃん、大丈夫?」
砂利の上に転んだ重信を見て妙子は心配そうに駆け寄った。重信は膝小僧を少しだけ擦りむき、そこがじんじんとした痛みを発するが彼は度々怪我をすることがあって慣れっこだった。
「うん、大丈夫!」と笑いながら妙子に言うが、重信の言葉は妙子に通じず「家に戻って手当しましょ!」と言われたので、自転車の練習を終えて渋々といった感じに家の中へと戻ることにした。
皮の剥けた場所に当てられた消毒液が染みて痛み、重信は少し顔を顰める。そんな重信に、妙子は「運転中はよそ見をしちゃだめよ」と注意する。妙子の言葉に、重信は「はぁい」と流すような返事をした。
妙子は時計を確認すると、「そろそろご飯にしましょうか」と言った。重信は「うん!」と言いながら大きく頷く。今の時刻は十二時を回っており、重信のお腹はきゅるきゅると鳴り空腹を訴えている。
「今日のご飯は?」
「今日はサバの煮つけね」
煮魚と聞き、重信は「えー」と不服そうな声を出した。重信はあまり魚が好きではない。それでも、食べられるようになってほしいという思いで妙子は度々魚を食卓に並べていた。
「しげちゃん、そんなこと言わないの。今日はおやつにおはぎを用意してあるから」
「おはぎ!?」
おはぎという言葉に重信の目の色が変わる。重信は甘い物が好きで、特にあんこの入ったものが好きだった。
軽くなった足取りで重信は茶の間へと向かい、茶の間の床にひかれている座布団の上へと座り、食事を待った。数分もせずに、食卓には次々と料理が並べられていく。
きゅうりの漬物、みそ汁、サバの煮つけが二つ、そしてご飯。それが今日の重信の昼ご飯だ。
それを前にして手を合わせ、「いただきます!」と元気な声を出してから、重信は食事を始める。食事を終えたのは、三十分後。そこには出された食事を綺麗に食べ終え、「ごちそうさまでした」と手を合わせる重信がいた。
重信は食べ終わるや否や立ち上がり、玄関へと向かう。
「しげちゃん、どこ行くの?」という妙子の声に、「燕を見に行く」と答えた。
つっかけを履き、自転車を置いた場所へと向かうと、ちょうど燕が帰ってきたところだった。
燕はきょろきょろと辺りを見回している。重信のことは気にしていないようで、重信はそれに少しだけがっかりしたがこうして見られるだけで満足だった。
「おーい、しげ!」
食後の休憩がてら、燕を見ていると重信を呼ぶ若い男の声が遠くから聞こえてくる。重信は声の方を見ると、そこには重信の級友が彼の家に向かって自転車を漕いでくる姿が見えた。
「おう、やす!」
重信は笑顔で級友である高木康友に向けて手を振った。重信と康友は通う学校の中でも一番の仲良しと言ってもいい程によくつるんでいた。
康友は重信の横に来るなり満面の笑みで「誕生日おめでとうな」と言った。康友は重信の誕生日を知っている。それで、昨日は遊びに来なかった。
重信は「ありがとな」と言って返した。仲の良い友達が祝ってくれることが重信には嬉しくてたまらなかった。
「で、こんなところでなにしてんの?」
「あ、燕見てたんや。ほら、あそこにおるやろ」
康友の疑問に、重信は燕を指を差して答える。康友は燕に興味なさそうに「ふぅん」と言った後、「暇なら今から遊ばへん?」と重信を遊びに誘う。
「ええで、今日自転車に乗れるようになったしな」重信はそう言いながら、にやりと笑い昨日購入した自転車をぽんぽんと叩く。
「おお、これがしげの自転車か、ええ自転車やな!」
「せやろ?」康友の羨ましそうな声に、重信は気持ちよくなった。
「待ってな、今おかあに遊びに行くこと言ってくるわ」
「わかった」
重信は家に戻り玄関から妙子に「やすが来たから遊びに行ってくる!」と早口で伝える。妙子はそんな重信に「気を付けて行ってくるのよ」と返した。
「わかった、行ってきます!」
重信は玄関から康友のところに向かいながら、今日はなにで遊ぼうかを思案するのであった。