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重信八歳(2)

「なぁ、しげ。燕の巣の言い伝えって知っとるか?」


 夕食の時間、利治は顔を赤くさせ、気分上々といった風な声色で重信にそう言った。

 今日は利治の応援しているチームが大勝したため気分がよく、するすると酒を飲んでいる。普段ならばコップ二杯に収めているところが、既に四杯目を妙子に注いでもらっている最中だった。


「えっ、なにそれ、しらない!」


 利治の言葉に、重信は目を輝かせて食いつく。そんな重信の口には夕飯に出たハンバーグにかけてあるケチャップがべったりと付き、まるで口紅のように唇を真っ赤にさせている。そんな息子の口を妙子はちり紙で拭いてあげていた。


「そうかそうか、なんとな燕の巣がある家はな幸せになれるんやぞ」


 利治は大笑いしながらそう口にし、「今日の大勝もそのおかげかもしれんな!」と言葉を続ける。それを聞いた重信は「え、ホントなの?」と、歓喜の声を上げた。


 その目は好奇心に満ち溢れていた。あの燕が、自分の家に幸せを運びに来てくれたのだと思い、重信は元々抱いていた嬉しさが更に膨らんでいくのを感じた。


「ああ、ホントや」利治は大きく頷く。重信は幸せという物を理解していなかったが、今よりももっと素晴らしいことが起きるのだと思い気分がよくなって、家に来てくれてありがとう。と、心の中で燕に感謝をした。


 妙子は一言も発さず、そんな父と子の話を微笑みながら見ている。「お母、おかわり!」と言って茶碗を差し出してくる重信の茶碗を受け取り、多めに盛り付けて重信の前に置く。それを受け取るなり、重信はハンバーグと一緒にご飯を口の中に掻きこんだ。


 今日の晩御飯は重信の大好物であるハンバーグだ。この家では重信が誕生日を迎える度に、彼の好物を夕飯にすることにしていた。去年は、豚の生姜焼きだった。


 ご飯を美味しそうに食べる息子を妙子は笑顔で見つめている。そんな彼女の前に置かれていたおかずはまだ一口も手が付けられていない。

 妙子はいつも、二人が食べ終わってからご飯を食べ始める。重信と利治の二人が食事を終えたのはそこから三十分後だった。


「しげちゃん、春休みの宿題は終わってる?」


 食事を終えても、食卓の席に座ったままの重信へ妙子は声をかけた。利治はもう自分の寝室へと戻っている。


「うん、あと算数の宿題だけ!」


 重信は元気よく答えた。算数は重信の一番苦手な科目で、彼はいつも苦手な物や嫌いな食べ物を最後に回す癖があった。


 妙子は、重信の言葉に「そうなの、わからないことがあったら聞いてね」とだけ言い、ご飯を口に含んだ。

「うん、わかった」


 それ以上妙子は何も話さず黙々とご飯を食べ始めたので、重信は「ごちそうさまでした」といいながら食卓のある部屋から自室へと戻った。


 その晩、勉強する気が起きずに重信は布団に入って目を閉じたが興奮から眠れず、結局寝ついたのは深夜を回ってからだった。

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