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第12話


うん……これはどうしたものかしら。

私は、まるで崖っぷちに立たされているような気分。


この赤い髪の青年――カイル・ローレンスが、今まさに私の目の前に跪いているのだから。

そもそも、彼は乙女ゲーム『君が未来を照らすから』の攻略対象のひとりで、その性格や経歴については耳にたこができるほど把握している。


名門の生まれで、騎士団でも屈指の実力を誇り、しかも“熱血騎士枠”と呼ばれるキャラクター。

……その“熱血ぶり”はゲームでもさんざん見せつけられたけれど、こうして実際に目の前で向けられると、まるで迫力が違うわ。


「はじめまして、ソフィア様。私はカイル・ローレンスと申します!」


彼のまぶしいほど鮮烈な赤い髪と、きらきら光を湛える瞳――

目をそらしたくなるほど真っ直ぐで、私は思わず一歩引いてしまう。



「……護衛騎士なんて、頼んでもいないのに」


そう呟く自分の声には、しっかりと重いため息が混じっている。

だって、彼がここに“登場”したせいで、私の脱走計画が根底から揺らぎつつあるのですもの。

これほど厄介な展開、ほかに思いつかないわ。


カイル・ローレンス。

乙女ゲームの情報によると、彼は王都でも有名な騎士で、ゲーム本編では“王道騎士ルート”の定番キャラ。

たしかに“理想の騎士”――まっすぐで熱血、主人公を影から守り抜く姿――と呼ぶには完璧すぎる。

けれど、私にとっては、その“理想”がむしろ強すぎるのよ……。


「ソフィア様をお守りするため、このカイル・ローレンス、命を懸けて戦う覚悟でございます!」


そのまっすぐすぎる台詞に、私はどう返事をすればいいのか、まるで見当がつかない。

ゲームシナリオでは「頼りがいのある騎士」も、実際に隣に立たれると、この熱量に圧倒されるばかりだわ。

向けられた瞳はあまりにも直球すぎて、視線をそらしたくなるくらい――。


「そんなに大げさに言わなくても……」


ごくり、と息を呑みながらこぼれた言葉に、自分でも少し困惑する。

でも、そんな弱々しい態度も、カイルのまっすぐな輝きには微塵も通用しない。

むしろ彼は、いっそう真剣なまなざしを私へ注ぎ続けているのだから。



この騎士が加わることで、私の計画は今後、波乱の連続になるに違いない――と、頭のどこかで察してしまう。


……いったい、どう乗り切ればいいのかしら。


◇ ◇ ◇


そんな熱血騎士をなんとか振り切るように、私は身を翻して、エドガーの書斎へ足早に向かった。

背後からは、困惑混じりの声が追いかけてくる。


「ソフィア様、どうかお待ちください! しばらくはおそばに……」


けれど、私は答えない。

いや、答えたくても、その余裕がなかった。

脱走計画が頓挫する危機感に、胸は早鐘を打っていたのですもの。


勢いよく書斎の扉を開くと、夫であるエドガーが机に向かって書類を整理しているのが目に入った。


「エドガー様……!」


少し震えた声で呼びかけると、エドガーは不安げに顔を上げる。

そして、私の顔色に気づいたのか、すぐに立ち上がってこちらへと歩み寄ってくる。


「どうした、ソフィア。何かあったのか?」


心配そうな声とともに、彼は私の頬を覗き込む。

――私は、どうにか言葉を紡ごうとするけれど、胸がどきどきしてうまく喉が動かない。


「あ、あの騎士が……突然やって来て……私、どうしたらいいか、わからなくて……!」


私が思わず言葉を詰まらせると、エドガーは私の話を最後まで聞かずに、ぐいっと腕の中に引き寄せた。


な……に?

ほんの一瞬、何が起こったのかわからない。


エドガーの腕は、まるで私を閉じ込めるように回される。

彼の胸元のぬくもりが、びっくりするほど近い距離で感じられて……。




頭が真っ白。

熱が顔に上ってくるのがわかる。こんなに距離が近いなんて、反則ではないかしら。


「ソフィア、落ち着け。」


そんな、落ち着けなんて。

ああ、もう……どうしよう。何か言葉を返さなければいけないのに、脳が追いつかない。


「でも、あのカイルっていう騎士が……」


何とか口を開きかける私に、エドガーは困った顔を見せながら、そっと髪を撫でてくる。


「ああ、カイルのことか? 私がつけたんだ。毎日ずっと君のことを見てやれないからな。」


「わ、私は! そんなの必要なんて……!」


思わず声を荒らげた瞬間、エドガーの手が一瞬ピタリと止まる。

そのまま、まるでからかうような口調で、言葉をつないだ。


「護衛騎士をつけたら……私に会えなくなると思ったから、そんなに必死なのか?」


は……?


驚いて見上げると、エドガーがやわらかく微笑む。その瞳は、愛しささえ宿しているように見える。


「なんだ、その顔は。心配いらない。毎日、必ず君には会いに来る。仕事でそばにいられないのは、ほんの少しの間だけだ。辛抱してくれ。」


……えええっ!?

そんな台詞、こんなふうに真顔で言われたら、どうすればいいの?

少なくとも、あの“氷の砦”の異名を持つエドガーとはかけ離れすぎているような……。


さらに、彼は私の髪をやさしく撫でながら、低い声で囁く。


「だけど、ソフィア、忘れるな。これから先も、私はずっと君のそばにいる。」


――!?!?!?


何が起きているの?

これは、まさか私を混乱させるための罠? それとも何かの伏線?


胸のうちで悲鳴をあげながらも、エドガーの腕の中から抜け出せないまま、顔がどんどん熱くなるのを感じていた。



困惑と熱意と戸惑いと……目まぐるしい感情が、私の胸をぐるぐる回り続ける。

まるで物語の結末が、思わぬ方向へと進んでいくかのようで……。


こんな展開、誰が予想できたというの?

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