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第26話


「さて……ここから本題だ」


伯爵の瞳が鋭く光る。

ギラリとした視線に圧倒され、身体が硬直する。まるで鋭い刃を突きつけられたような威圧感に、私は息を詰まらせた。


次の瞬間、伯爵の手が俊敏にこちらへ伸びる。


(しまっ……た!)


私は思わず目をぎゅっと瞑る。

このまま髪を掴まれ、力任せに引き寄せられるのではないか――そんな恐怖が一瞬で駆け巡った。


だが、期待した痛みは訪れなかった。


代わりに、耳元で低く響く声が落ちる。


「ソフィア……命を絶とうとするほど、この城でいじめに遭っているとは、まことか?」


――え?


驚きに目を開けると、伯爵の顔が至近距離にあった。

その表情は嘲笑とも怒りとも違う、ただじっと何かを探るようなもの。


「……何の話、ですか?」


混乱しながら問い返すと、伯爵は手を引き、ゆっくりとソファへと体を預ける。


「とぼけるな。貴族社会の噂というものは、否応なく耳に入ってくるものだ」


伯爵は指先でグラスの縁をなぞるようにしながら、ゆっくりと言葉を続ける。


「お前がこの城で酷い扱いを受け、挙句の果てに死を選ぼうとした……そういう話が、私のもとに届いたのだ」


胸の奥が強く波打つ。


(そんなこと……誰が……?)


伯爵は私の動揺を見透かしたように、すっと目を細める。


「娘よ、そうなのか?」


「……い、いえ?」


「本当のことを言え、ソフィア。公爵家に身を寄せたところで、結局お前は“居場所のない存在”なのだろう?」


伯爵の言葉は冷たく、鋭く、私の心の奥をえぐるようだった。


「お前は昔から、どこに行こうとも邪魔者扱いされる宿命にある。ならば――」


伯爵は私の目をじっと覗き込む。


「我が家へ帰ってこい、ソフィア」


――何を、言っているの?


動揺を隠せない私の前で、伯爵は薄く笑った。


「大丈夫だ。そんな不安そうにしなくても。手は打ってある。お前がすぐにでもこの忌々しい公爵家から戻ってこれるように、最善の道を用意しよう」


そう言いながら、伯爵は懐から何かを取り出した。


「これは……?」


差し出されたのは、封蝋が施された一通の書状。


「“婚約話”だ」


――婚約?


伯爵はまるで朗らかに世間話をするような調子で言葉を続ける。


「意気地なしのお前には、公爵暗殺は少々荷が重かったようだな」


心臓が一瞬、跳ねるように鼓動を乱す。



「だが、もう大丈夫だ、私の可愛い娘よ――」


伯爵の唇がゆっくりと歪む。

それは慈しみを装いながらも、どこか薄気味悪い笑みだった。

まるで獲物が罠にかかった瞬間を楽しむかのように、不吉な余裕が滲んでいる。


「もうすぐこの城に到着する、お前の“第二の旦那様”がすぐに始末してくれるから」


この人は……何を言っているの?


伯爵の言葉の意味を理解するよりも早く、冷たい汗が背筋を伝った。


頭がついていかない。いや、理解したくない。

けれど、伯爵の声音はあまりにも穏やかで、それがかえって異常な不気味さを際立たせていた。


ぞくり、と背中が凍る。


「……どういう、ことですか」


何とか言葉を絞り出したが、伯爵は答えなかった。

ただ、微笑みを深める。


理解が追いつかないのに、身体だけが恐怖を察知していた。

止まらない震えを、私は必死で押し殺した。



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