人は今この瞬間にも、生まれては死んでいる。星の数ほどの人がいるのだからそれは当たり前のことで、俺にだって理解出来ることだ。
だから、理解しなきゃならないことだった。
優梨が死んだことは。
藍原 優梨は俺の幼なじみだ。幼稚園から一緒で小中高と同じ学校。家も近く親同士も仲が良くまさに典型的とも言えるほどに幼なじみだったのだ。
そんな優梨が死んだのは、俺たちが高校に入学して間もない頃のことだった。
「ねぇまーくん、きいてる?」
「んー?」
高校生活というものに憧れはあったものの、結局は小中と過ごしてきた学生生活の延長みたいなもの。そう思った俺は入学して早々にその日々に飽き飽きしていた。優梨がいるのだから変に孤立する心配もないし同じ中学の連中も知らないわけじゃない。何も今面倒な自己紹介やらくだらない顔色の伺い合いやらに身を投じたくない。
だから俺はいつまでも教室の机に顔を伏せていたのだった。
「まだ入学して3日目だよ?なんでもうそんな気だるげなの?もっとこう……きらきらとした活力を出そうよ!高校生だよ!?」
優梨はそんな俺に寄り添うように高校生としての在り方を問う。
「高校生だったら……なんだよ?」
半分顔を上げじっと生気のない目を優梨に向ける。
「う……」
「中学の頃も部活に勉強に遊びに時間をつかっただろ。高校生になったからって変わんないって」
「いやでも……ほら……なんか高校生って大人っぽいじゃん?中学とはまた違った青春が待ってるに違いないんだよ……」
説得力に自信が無いようで伏し目がちにそう言う。
「優梨は楽しみなの?」
「もっちろん!制服だってかわいいし~!校舎もおっきいし~!」
途端に優梨は顔を上げふんふんと鼻息を鳴らしながら語り出す。……俺とは違って高校生活に大きな期待を抱いているようだった。
「ふーん……じゃあ俺なんかに構ってないで行ってきたらいいじゃない」
「あっ……でもそうするとまーくんが……」
おろおろとした様子で俺を見る。
「気にしないでいいよ。俺は変に目立つ気もないし友達も多くなくていいんだから」
「そんなこと言わない!じゃあもし今後のクラス替えで知らない人ばっかりだったらどうするの?新しく知り合った子がすごく楽しい人だったらどうするの?踏み出さないで満足してたらきっと後悔するよ!」
優梨が熱く語るものの、俺にはそれがどれだけ素晴らしいことなのかちっともわからなかった。
なにより、めんどくさい。
「はぁ……わかったわかった。で?なにすればいいの?」
「えっと……なんだろ」
優梨は首を捻る。
「……おやすみ」
俺は再び顔を伏せた。
「わぁ~っ!待って!あ、そうだ!屋上!とりあえず屋上にいこ!」
慌てて俺の顔を引き上げると唐突によくわからない提案をしだした。
「なんで……」
「なんでってそりゃ……青春っぽいでしょうが!」
「ちょっとわかんない……」
「いいからいくよ!」
優梨に手を引かれ屋上のある校舎4階まで連れていかれた。
「あ……あれ?」
屋上へと繋がる扉の前で優梨が困惑の声を上げる。
「どうしたの?」
「これ……開かない……」
ドアノブを何度も捻りながらがしゃがしゃと音を立てて扉を引いているが当然ながらその扉が開くことはない。
「……まあ鍵かかってるよね、屋上は」
「ちょっと!知ってたの!?」
優梨は驚いたようにこちらを見る。
「多分そうだろうなとは思ってたよ」
「なんで先に言ってくれないの!」
「乗り気だったから」
「はぁ……しょうがない。戻りましょ」
優梨はがっくりと肩を落として踵を返した。
「うん」
「……あ、待って……。ここ、人の気配が全くないんだね」
しかし何かを思いついたようにぴたりと足を止める。
「……それが?」
「……あの……さ。私たちって、結構付き合い長いじゃない?」
「そうだね」
「……それで……その……もし良かったら……これからもずっと一緒に帰れたらなぁ~って……」
もじもじしながらそんなことを言い出した。
「……?いつもそうだろ?おかしなことを言うんだな」
「………う、うん!そ……そうだよね。どうかしてた……いつも通り!これからもよろしくね!」
「うん。よろしく。……戻ろうか」
「あ……うん。いこ」
俺たちは何かぎこちない雰囲気の中教室に戻った。
「おっすお二人さんっ!」
教室に戻ると見知った顔が声をかけてきた。
「茂野か」
それは俺と優梨の共通の友人である茂野 大智だった。
高校入学以前からよく3人で行動している……なんていうんだろう。イツメンってやつ。
ただし茂野は中学から仲良くなったからたまに話が合わない時もある。こればかりは仕方の無いことだ。
「やっほ~」
優梨が茂野にひらひらと手を振る。
「なにしてたんだ?」
「ちょっと校内探索」
「意外だな。お前がそんなことするなんて」
茂野が俺の脇腹を小突く。
「優梨がうるさいんだ」
「うるさいってなによ~!」
「はは、妬けちゃうな。仲が良くていいねぇ」
茶化すように笑うとばんばん俺の背を叩く。
「付き合い長いからな。今じゃもう妹みたいなモン」
「私がお姉ちゃんですっ!」
優梨が胸を張る。
「いや、どっちでもいいけど……」
「ほんと昔っから仲良いよな」
茂野がぼそりと呟く。
「まあこいつがいれば孤立はしなくて済むな」
「私をなんだと思ってるの!」
「だから妹みたいな」
「そうじゃないでしょっ!」
優梨はぽかぽかと俺の頭を叩いた。
「また始まっちゃったよ……じゃあまたな」
「おう、またな」
茂野は手を振り去っていった。
「やっぱり私たちって仲良く見えるんだね」
「そりゃあ一緒にいる時間が長いからな」
「……えへへ」
俺の言葉を聞いた優梨が嬉しそうにはにかむ。
「……なに」
「なんでもないっ!」
「……」
これだけ一緒にいるわけだから、本当は気づいてた。優梨は俺のことが好きだ。
そして、俺も……。
でもそれを認められない自分もいて、それを達成してしまったらもう戻れないと思っている自分もいた。
こんがらがる感情の葛藤が俺にあえて無関心を装うという必死の抵抗をさせていたのだ。
「……優梨」
「なぁに?」
くりんとした瞳がこちらを見つめる。
「……今日、帰りにちょっと伝えたいことがある」
「……っ!」
「またあとで、な」
「……うんっ!」
だから俺は、もう一歩進もうと思った。最近の俺はあまりに優梨に無愛想すぎたと思う。失って始めて気づくことがあるという。だから逆に愛想を尽かされる前に、この想いを伝えてしまった方がいいだろう。
……優梨の言う青春とやらの時間を無駄にしないためにも。
放課後の鐘が鳴った。いつも通りに家路につくわけだが、今日ほど特別な帰宅はないだろう。
優梨と幼なじみから恋人になる。どれだけ長い付き合いでもこれを言い出すのには勇気が足りなかった。
しかし今日、遂にきっかけを言い出した。後は家に着くまでに俺がまたその話を振るだけ。
……しかし、沈黙したままどんどん学校は遠ざかっていく。優梨は口を開かない。開けるはずもない。俺と同じく極度の緊張状態に陥っていたはずだから。
「あ……あの……」
「は、はいっ!」
やっぱりだ。
少し俺が声を発しただけで上擦った声を上げる。
……その少しの声を発することに手こずっていたのは俺なんだがな。
「えぇっと……その……」
「……」
いつまでうだうだやってるつもりなのか……自分でも笑えてくるほどに言葉が出てこない。何度となくシミュレーションしていたはずなのにいざとなるとこうも身体が固まるものか。
さりげなく言う?ロマンチックに言う?どんなポーズで?どのタイミングで?想定していたあらゆるシナリオは優梨の一挙手一投足で次々と分岐していく。
口を開きかけてタイミングの合わなかった言葉の欠片が情けなく口から漏れでては消えた。
「……ふふっ」
「わ……笑うなっ……!」
「ごめ……ふふ……でも……ふふふ……っ」
吹き出すような笑いが次第に堪えきれないように大きく長くなっていく。
「~~っ!あーっ!もういいっ!」
「あっ!ちょっとまーくん!」
途端にバカにされたような気分になって頭が真っ白になった。頬の紅潮はきっと先程までは羞恥によるものだったろうが今は憤慨によるものに違いない!
「帰るっ!」
大人げなくそう言い放つと俺はずかずかと前に進んだ。
「ちょっ……ちょっと!まーくん!まーくんてばっ!」
「笑ってればいいだろ!」
「ごめんって……」
うん……やっぱり大人げなかった。というか男としてもアウトだよ。情けない……。
冷静に考えてみると今のは本当に良くなかった。
俺は何度も自分を責めながら呼吸を整えていた。
よし、今度こそ伝える!俺は今一度決心するとくるりと振り返った。
「優梨っ!……好きだ!」
遂に喉から送り出された盛大な告白の言葉が前方に放たれる。
だが……目の前でこの想いを受け取るはずだった優梨はそこにいなかった。
「……え!?」
困惑する他なかった。今の今まで話していたのに少し目を離した一瞬に優梨は消えてしまったのだ。
「……優梨?いるんだろ?俺が悪かったから!おーい!返事をしてくれ!」
「あ……か……っ……」
聞こえた返事は酷く弱々しく小さなものだった。
「優梨!?」
「まぁ…く…」
今にも消えてしまいそうな程の呼び声は苦しげで助けを求めているかのようだった。
「優梨!どこだ!どこにいる!?」
その声を最後に優梨は返事をしなくなった。
「おい!どこだ!優梨!優梨ィ!!」
結局その後も優梨は見つかることはなく、仕方がないので日が落ちる頃に俺は家に戻った。
「あいつも帰ってるといいけど……」
心配とは他所にその事実は訪れてしまった。
「あんた……落ち着いて聞いて……」
「え……」
目を赤く腫らした母が部屋に入ってきた。その時点で嫌な想像がより確信的な不安となって俺を襲う。
「優梨ちゃんが……遺体で発見されたって……」
それを聞いた途端に俺は全てが足元から崩れるような錯覚に陥り天井を仰いでいた。
「ごめん……1人にして……」
「……わかったよ」
ただ一言捻り出せた言葉をきいて、母はそれ以外何も言わずに静かに戸を閉めた。
その夜は一晩中泣いた。優梨は俺の1番の心の支えだった。彼女がいたからこれからの学校生活に新しいものを見出す必要はないのだと思っていた。いつまでも一緒にいられると思っていた。なのに……なのに…………。