「……いかがでしょうか?」
目の前にはぐつぐつと音を立てている鍋がある。
サクラはそこからひとくち分だけスープを掬い上げると、取り皿にのせた。
見た目はけして悪くはない。
おいしそうか、そうではないかと問われたら、前者だと答える。
見映えだけならば、いまのサクラのように完璧だ。
サクラは神妙な顔をして、隣に立つヴァルカにスープを注いだ皿を手渡した。
ヴァルカは厳しい表情でサクラから取り皿を受け取ると、両手で持って慎重に口へと運ぶ。
「うんうん。よい味がいたしますわね」
「……はあ、よかったあ。ちょっと自信がなかったから、そう言ってもらえてうれしいわ」
「
サクラがこの世界にやってきて、三か月ほどの時間が過ぎた。
なんとか死なずに、健康体で安全に生活することができている。
しかし、サクラはヴァルカによる厳しい指導のせいで、気力が尽きそうになっていた。そんな現状に、少しばかり頭を抱えている日々だ。
「さあさあ、お早く食卓へ。できたお料理からさっさと運んでくださいませ」
いまから三か月前。
クロビスはヴァルカに「お世話を頼みますね」と言って、サクラの面倒をみるように指示を出していた。
サクラ自身も、その言葉をはっきりと覚えている。
たしかにクロビスは世話を頼むと言っただけで、あれをして欲しい、これをして欲しいという、具体的な業務を命じてはいなかった。
だからといって、サクラは家の中でぼんやりと過ごすつもりは毛頭なかった。衣食住を与えられているのだから、それなりに働くつもりではいた。
「……まさか、ここまで家の中で動き回ることになるとは想定外だったな」
どうやら、ヴァルカは主人であるクロビスからの言葉を、サクラへ花嫁修業をしてやってほしい、そう仰せつけられたのだと受け取ったようなのだ。
おかげで、あの日の翌日からはじまったのは、ヴァルカによるサクラへの、料理・掃除・洗濯などの、厳しい家事の特訓だった。
「まあまあ、なにかおっしゃいましたか?」
「いいえ、なにも」
「でしたらお急ぎくださいませね。旦那様たちが起きてきてしまいますわ」
ヴァルカはサクラの肩を強く叩いてから、手にしていた取り皿をつき返してくる。彼女は忙しい忙しいと口にしながら、そのままサクラに背をむけて歩き出した。
ヴァルカは日の出と共に目覚めてから、こうしてずっと家の中を動き回っている。
つらいことは慌ただしく過ごしていると思い出さなくてすむ。だから無理にでも理由を作ってからだを動かしているほうがよい。
サクラが三か月この家で過ごしてわかったのは、ヴァルカのそういった考え方だった。
サクラが家族と死別したばかりだと思い込んでいるヴァルカは、次から次に家事を教えてくれたり、用事を言いつけてくる。
考えごとをする時間がないくらいに、つきっきりで面倒をみてくれている。主人から与えられた「世話を頼む」という指示を、ヴァルカなりに忠実に守っているのだ。
「……たしかにさ。異世界っていう慣れない環境であれこれ悩む暇がなくここまで生活できているのは、ありがたいことかもしれないよ。でも……」
そこまで口にだしてぼやいてから、サクラはスープの入った鍋をじっとみつめた。
「この世界の情報を集めるっていう個人的な課題がまったく進んでいないことも、事実なんだよね」
サクラは大きくため息をついてから取り皿を流しにおくと、朝早くに起きて作った料理を食卓へ運ぶために動きだした。