薄暗い森の中に、サクラは立っている。
周囲には霧がたち込めていて、不気味な雰囲気が漂っていた。
ときおり、鳥の囀りや羽ばたきが聞こえてくるが、霧のせいで姿は見えず不安を煽られる。
ここは「暗礁の森」の中だ。
サクラはこの世界にやってきた日からやり直そうと思い、ゲームのスタート地点まで戻ろうとしている。
ほとんど思いつきでここまでやってきてしまった。そのため、サクラの状態は、まさに暗礁に乗り上げてしまっているようなものだ。物事が行き詰まっていて、完全にお手上げ状態である。
皮肉なものだなと、サクラはひとり深い森の中で自嘲気味に笑う。
「……まあでも、ね。最初からやり直しなんて、ゲームじゃよくあることだもの」
サクラは強がって声を出す。
もうゲームとは違うのだと理解はできているが、そうでもしなければ恐ろしくて先に進めない。からだが震えてしまいそうなのだ。
「ベルヴェイクがいつまたちょっかい出してくるかわからないもん。てゆか、いまだってどこからか見られている可能性があるもの」
サクラは空を見上げて睨みつけた。
いまは昼間で太陽が出ているはずだが、霧に阻まれて青空は見えない。
だが、どこからか見ているかもしれないベルヴェイクに向かってサクラは吐き捨てる。
「次に会ったときはアンタのペースには乗せられない。いまからしっかり準備するんだからね」
サクラは自分を奮い立たせるために頬を叩くと、周囲の森の様子に気を配りながら先へと進む。
ベルヴェイクに出会ったあの日。
水面に映った稀人の戦闘の様子を見ていて、サクラは気がついたことがある。
負けイベントが発生してしまい、命を落とした異世界からやってきた流れ者。
その彼は、ゲーム開始前の
対して、サクラがこの世界にやってきたときはどうだっただろうか。
熊から必死に逃げ回っていて記憶に曖昧な部分はあるものの、武器は手にしていなかったように思う。
この世界に来たときのサクラの服装はありきたりな布の服であった。まさしく、ゲームの初期装備そのものだったはずだが、武器だけは手にしていなかったのだ。
「うすうす感じてはいたんだけどね。私の馬鹿力って、周回データを引き継いでいるんじゃないかってさ」
周回プレイ。
それは、ゲームをクリアした後に、もういちどクリアを目指して最初からプレイすることだ。
そして、周回データを引き継いでいるということは、なんども同じゲームをクリアすることで得られたステータスや武器、アイテム等を所持したままゲームの再プレイができることである。
いわゆる「強くてニューゲーム」というやつだ。
「このゲームのデータ引き継ぎって、どういうわけか最初のタイトルロゴムービーまでは、プレイ一周目の初期装備状態に戻されているのよね」
多くのロールプレイングゲームにおける周回プレイに入るときのデータ引き継ぎは、クリアした時に身につけていた装備品そのままの状態で再スタートできる。
しかし、このゲームは違った。
ゲームが開始されて最初のムービー、つまりクロビスと出会って会話を終えるまでは、ありきたりな布の服に強制的に戻されてしまうのだ。
おそらく開発側のこだわりなのだろう。
なにもできずに熊から逃げ回るという演出的な都合上、みすぼらしい服装が絵面的によいと思っているのかもしれない。
その方がクロビスの台詞「流れ者」とも、違和感が少なくなるような気がしないでもない。
「だからってプレイヤー側からしたら迷惑極まりないのよね。クロビスとの会話後にいちいちメニュー画面を開いてさ。装備品の付け直し作業をしなきゃいけないから」
そして、ここが重要なポイントになる。
周回に入ったときに初期装備状態に戻るといっても、プレイ一周目と二周目以降ではちょっとした違いがある。
それがキャラクリ時に選んだ武器を所持しているか、いないかの違いだ。
このあたりの細かいゲーム内での事情について、ベルヴェイクは知らないのではないかとサクラは感じている。
もしサクラがあの日のベルヴェイクの立場であったとして、この世界にやってきた異世界人がプレイヤーであるのかを確認したら、次に知りたいのは周回プレイヤーなのかどうかだ。
周回を重ねるごとに、プレイヤーは経験値や新しい装備を得るので強くなっていく。何周目の経験を積んでやってきたのかで、相手に対する警戒度が変わってくる。
しかしながら、それを探るような素振りは、あの日のベルヴェイクにはなかったように思われるのだ。
「……まあ、そのあたりはわずかな差異だって気にしていない可能性もあるけどね」
サクラがベルヴェイクに見せられた、水面に映った負けイベントの場面。あのときの稀人は、間違いなくキャラクリ時に選べる武器を所持していた。
ならば、あの稀人はゲームのプレイヤーではなかった可能性がある、サクラはそう推察している。
「私とは違う世界から転生してきたってことかもしれない。もしくは、事態を悪化させることで定評のあるどこかの元王子に、私を混乱させるために持たされたとか。いや、これはさすがに考えが飛躍しすぎで無理があるか」
サクラはぶつぶつと独り言をつぶやきながら、はじめてクロビスに声をかけられた場所まで戻ってきた。
「とにかくさ。ゲーム内と同じで、周回プレイヤーかそうでないかの違いが、この世界にやってきた稀人たちに適応されている可能性があるっていうのが重要なのよ」
すでに熊の亡骸は無くなっている。
あれだけ大きな熊だったのだ。三か月もあれば、森の中の獣たちにとってはよい食糧になったことだろう。
しかし、崩れ落ちた崖の残骸はまだころがっている。ここがクロビスとの出会いの場で間違いはない。
サクラが武器を持っていなかったのも、異様に力強いのも、周回データを引き継いでいるプレイヤーだから──。
この考えが正しいものなのかどうか、サクラはそれを早く確かめたかった。