油断していた。
襲撃者がプレイヤーであるならば、ここでクロビスと対立するはずがないと思い込んでいた。
ゲームストーリーを進めていく中で、プレイヤーはクロビスというNPCとはいつでも敵対することはできる。しかし、彼はゲームの序盤から中盤以降も専用のNPCクエストが用意されているキャラクターだった。
メインストーリーとは直接関係ないとはいえ、クロビスから与えられるサブクエストをクリアすると、その度に報酬が得られる。
クロビスから獲得できるアイテムの中には、獲得数の限定されているレア素材が含まれていた。そのため、序盤で倒してしまうのはプレイヤー側に利点が少ない。
まったく相手にせず先に進むならまだしも、まさかこんなところで殺そうとするのは予期せぬ事態だ。
とはいえ、ここがすでにゲームとは違うのだということを、サクラは嫌というほど実感していたはずだ。
なぜ気を緩めてしまっていたのだろう。自分を責めるが、落ち込んでいる暇なんてない。
「──っふざけんなあああああああああ!」
サクラは叫び声を上げながら、一瞬で魔法使いの男との距離をつめた。
クロビスから杖を引き抜いた魔法使いの男めがけて、おもいきり剣を叩き込む。
しかし、いくらサクラが足に自信があるとはいえ、広場の入り口からでは遠すぎた。
魔法使いの男はサクラの突進に気がつくと、ぎりぎりのところで攻撃をかわす。
サクラの剣は男の肉体を傷つけることはできなかったものの、彼が身に着けていたローブの生地を切り裂くことはできた。
魔法使いの男は、すっぱりと斬られたローブを見て舌打ちをすると、慌ててサクラから距離をとる。
相手は遠距離攻撃特化の純魔法ビルドの魔法使いだ。近距離戦闘特化の脳筋ビルドのサクラであれば、そのまますぐにあとを追えばあっさりと殺せたかもしれない。
だが、サクラは傷ついたクロビスを放ってはおけなかった。
体制を崩してゆっくりと地面に倒れていく彼のからだを、抱きしめるようにして受けとめた。
「ねえクロビス大丈夫、なわけないよね」
サクラはクロビスのからだをしっかりと支えながら地面に寝かせると、意識確認のために声をかける。
「お願いだから、まだ生きてるよね。返事はできる?」
「………………っ、サクラ、さん…………?」
「ああ、やっぱり喋らなくていいから。とりあえずさっさとコレを飲んで。話はそれからにしましょう」
サクラはアイテム鞄の中から回復瓶を取り出すと、すぐに蓋をあけてクロビスの口に突っ込んだ。
クロビスの腹のあたりには、魔法使いの男に刺されてできた大きな穴があった。
その傷口があっという間にふさがり、クロビスは深くため息をつく。
「……まったく、あなたという方は。こんな規格外の回復薬を持っていたのですか」
「残念だけど、そのとんでもない回復薬はあと一本しかないのよね」
「それならば私などに使わず、とっておいたらよかったではないですか。貴重な品をいただいても、私はなにもお返しできませんよ」
「そういうわけにはいかないでしょ。悪態つけるならもう平気ね」
上半身を起こしたクロビスを見て、サクラはほっと胸を撫でおろす。そのまま彼の肩に額を擦りつけると、大きく息を吸った。
死んでしまうかと思った。誰も死なせたくないから覚悟を決めてここまで来たのに、目の前でクロビスに命を落とされてはこちらの心が持たない。
「……生きてて安心した。あなたのこと、頼りにしてるんだから……」
「そりゃどうも、ありがとうございます」
クロビスはよほど慌ててこの場に駆けつけてきたのだろう。
少し汗くさい匂いがするが、それは彼が生きている証なのだと、サクラにしみじみと感じさせてくれる。
「それにね、私のことを拝みだしたり、女神様だとか言い出さなくてよかった」
「どうしました? いよいよ頭までおかしくなりましたか」
「頭までってなにさ。……よし、チャージ完了!」
小馬鹿にしたように話すクロビスの態度が、よりサクラを安心させてくれた。
サクラは気持ちを切り替えると、真剣なまなざしで立ち上がる。
そんなサクラの態度を、クロビスは顔をしかめて見上げていた。
サクラはそのままクロビスに背を向けると、魔法使いの男に視線を移す。
サクラに見つめられた魔法使いの男は、杖を構えた。彼はすぐにでも戦闘をはじめられる緊張感を漂わせている。
だが、サクラは武器をしまった。背筋をすっと伸ばすと、相手に向かって片手をあげる。
「こんにちは!」
「はあ、なにを言って……」
サクラは元気よく魔法使いの男に向かって挨拶をする。
場違いな明るい声が広場に響いて、背後のクロビスから驚いた雰囲気が伝わってきた。
クロビスはサクラに向かってなにかを言いかける。しかし、サクラの取った行動で魔法使いの男の放つ雰囲気が変わったことに気がつくと、すぐに口を閉じて黙りこむ。
魔法使いの男はサクラと同じように構えていた杖をおろすと、ぴしっと背筋を伸ばした。男は両手を前にすると、腰を90度にまげてサクラに向かってお辞儀をしてくる。
「……こんにちは」
落ち着いた声色で挨拶を返された。
サクラは魔法使いの男が取った一連の行動を眺めながら、口の端を吊り上げて笑っていた。
「こっちが挨拶のジェスチャーをしたら、ご丁寧に返してくれる。対人戦闘経験ありのマルチプレイヤー確定ってところだわね」
このゲームはソロプレイが基本となる。
しかし、オンラインに接続時のみ、最大4人での協力プレイが可能だった。
ただし、複数人でマルチ攻略中にかぎり、それを妨害するために他プレイヤーが敵対者として
決められた場所に決められた装備で配置されているモブ敵とは違い、多種多様なビルドを組んだ相手と思いがけず戦うことになる。
とっさの判断力が求められることになるのだ。
それに慣れたプレイヤーであればあるほど、当然ながら対人戦闘スキルが高い。
「……マルチ経験なしのプレイヤーだったらよかったのになあ。対人戦闘の心得がある相手だと、戦闘が長引きそうで嫌になるわ」
やっぱり回復瓶はあるだけ持ってくればよかったと、サクラはほんの少しだけ後悔した。