その日、ナイト達が訪れたのは皇都より南西にある〝ドゥエル〟という小さな農村。
開拓計画が推し進められる土地である。
ヴェイン小隊は、計画の一端として着工が決まった治水工事の手伝いと、近頃農村を困らせている〝ある問題〟を解決するために派遣された。
そのある問題と言うのが──。
「ネズミの大繁殖ねェ……。なんでオレらがその退治に駆り出されなきゃいけねェんだって話。その辺で暇を持て余してるヤツらにやらせろよ」
村に到着して早々、入口でチッと大きな舌打ちをしたのはヴァンだ。漆黒の髪の合間から覗かせた深い青色、
ナイトは彼の言い分に堪えきれず笑いをもらす。
「はは! 周りからすれば、俺達がその〝暇を持て余してしるヤツら〟に見えているんだよ。こんなの今に始まったことじゃないんだからさ。そうカッカせず出来ることをやろうよ」
「笑いごとじゃねェぞ、リーダー。隊長のお前がそんなだから舐められんだろうが! 毎度毎度……落とし物や迷子のペットの捜索だ、街のどぶさらいだ、他には関係ないパシリまでやらされて……! いいように雑務押し付けられてんじゃねーよ」
「いいじゃないか。血生臭い戦場に出るよりよっぽど安全で有意義だろ?」
「そういう問題じゃねェ!」
掴みかかりそうな剣幕で詰め寄るヴァンを、ナイトは「まあまあ」と宥めて見せる。が、さしたる効果はなく、もう一言、二言、怒号が飛びそうだ。
すると、ナイトの背後でその様子を見ていたブロンテが、二人の間に割り入った。
「ふ、二人とも、こんなところで喧嘩はよくないよ……」
大きな巨体に似合わず、おどおどとした態度を見せるブロンテ。彼は
ヴァンは割って入られたのが気に食わなかったのだろう。悪人のように人相を凄めて、ブロンテを睨んだ。このままだと、ヴァンはブロンテが言い返さないのをいい事に、毒舌を繰り出すだろう。
先ほどから無駄に村人の視線を集めてしまっているし、ヒートアップしたら面倒だ。
ナイトはブロンテを追い越して、ヴァンの耳元で囁く。
「……これ、君のお兄さんからヴェインへのいつもの〝お願い〟なんだよね。〝
ヴァンは一瞬の硬直の
皆まで言わずとも、察したようだ。
「勿体ぶらず、それを先に言えっつーの。リーダーのそう言うところ、マジで嫌いだぜ」
「あはは! 俺は君のこと、愛してるけどね」
「あ……!? 気色悪いこと言ってんじゃねェ!」
茶化して見せれば、ヴァンは再び激高した。彼は揶揄い甲斐のある反応を返してくれるので、退屈しない。
愛してるは言い過ぎだが、仲間として信頼と好意を寄せているのは間違いなかった。
ヴァンが盛大にため息を付いている。
「……まあ、そういうことならオレは単独で動くぜ。じゃあな」
ひらひらと手を振って、ヴァンは村の中へ消えてゆく。何かあれば連絡があるだろう、とナイトも引き止めはしなかった。
「隊長、彼らは……?」
ナイトの背に、事の成り行きを見守っていたエレノアの声が掛けられる。
振り返ると、彼女の視線はヴァンの消えた方向と、ナイトの隣に立つブロンテを交互に行き交っている。
「ああ、ちゃんと紹介してなくてごめんね、エレノア。さっきの黒ずくめで怒りっぽいのがヴァン、こっちの気弱な筋肉マッチョがブロンテ。二人とも、ヴェインの隊員だよ」
ナイトが手振りを交えて伝えると、ブロンテが申し訳なさそうに大きな体を縮こませ、短く切り揃えた金髪頭を掻きながら、
「エレノアさん、よ、よろしく……です」
と、恥じらう乙女のように頬を染めて挨拶した。エレノアはまっすぐ首を縦に振って「よろしくお願いします」と応じている。
(ふむ、初対面としては無難かな。ヴァンはさておき、ブロンテならエレノアと上手くやっていけるはず。うちの隊員はみんな優秀だけど、個性的すぎるのが難点だね)
ナイトは胸の内で密かにそう思いながら、苦笑した。続けて「さて」と手を打ち鳴らし、任務の話題に移る。
「まずは仕事の確認だね。俺たちが来た目的は二つ。治水工事の手伝いと、増えすぎたネズミの駆除。──そのネズミが、ちょっと厄介なことになっているらしい」
ナイトが近くの民家の軒下を指さす。そこには糞尿で黒ずんだ〝ラットサイン〟と呼ばれるネズミの存在を示す痕がはっきり残っていた。
「うわぁ……ほんとだ、ネズミの気配がすごいね」
ブロンテが顔をしかめる。近付いて中を覗き込んだエレノアも、難しい顔をしている。
「夜中に穀物倉庫や家畜小屋に入り込んで、好き放題荒らしているらしい。このままだと、疫病の原因になりかねないし、これを放ってはおけないよね」
ナイトは軽くため息をつき、エレノアとブロンテへ視線を送る。彼らは同意するように頷いた。
「うん、二人とも同じ気持ちみたいで嬉しいよ。そういうわけだから、二人には協力してネズミの駆除にあたって欲しいんだ。エレノアは初めてのことだろうから、ブロンテが助けてあげてね」
ナイトがちらりとブロンテを見ると、ビクリと身体を震わせて「わ、わかったよ……」と返事した。自信がなさそうだが、こういう地道な任務ほど、彼が生まれ持った優しさと誠実さが活きるものだ。
ナイトは「よろしくね」と短く告げて、エレノアへ視線を移す。
「エレノアも、頼んだよ。まずは被害状況の確認から始めてみて。物理的に駆除するのはもちろん、毒餌も併用すると効果的だと思う。人手が足りなければ、村の人にも協力を仰いでね」
「承知しました。物理的な殲滅と毒餌で、徹底的に駆除致します」
エレノアが淡々と答える。彼女の経歴、士官学校で首席を取ったほどの実力を思えば、ネズミ駆除をあてがわれるなんて心中複雑だろうが──少なくとも、与えられた役目をこなす覚悟はあるようだ。
「それじゃ、俺は治水工事のほうを見に行くよ。何かあったらリンクベルで連絡を。村の人と相談して、できるだけ被害が広がらないうちに処理しよう」
ナイトはくるりと背を向ける。慣れない任務に四苦八苦するエレノアの姿が脳裏に浮かんだが、ヴェインは〝何でもやる〟部隊。それに、どれほど地味な作業でも、解決役を請け負う価値があるとナイトは思っている。
(エレノアには退屈かもしれないけど……細かい積み重ねは大事だ。良い学びにもなるだろう)
ナイトは軽やかな足取りで歩き出す。
背後でブロンテが「ま、任せて。エレノアさん、一緒に行こ……」と遠慮がちに声を掛けているのが聞こえた。
戸惑いの滲んだエレノアの返事も聞こえてきて、ナイトは二人のやりとりを微笑ましく思いながら進む。
(俺は俺で、工事の進捗を確認しないと。この辺りは昔から水害の多い地域だ。場合によっては、軌道修正が必要になるかも)
ネズミ退治に治水工事。どちらも当事者には切実な問題だ。
それに、今回の件は〝お荷物小隊〟としての単純な任務──というわけでもない。
(ネズミの繁殖スピードが、およそ常識の範疇を超えているんだよな……)
聞くところによると、一週間前には数十匹であったネズミが、今では数千匹に達する勢いだとか。
さらには、道端に目を向けると走り回るネズミの姿がある。これも異常なことだ。普通ネズミは夜行性で、日のある時間に活動することはほぼない。
この事件の裏に〝何か〟が潜んでいるのは明らかだ。
(アリィにも探ってもらってるけど、ネズミ退治はそれを見つける大きな糸口になるはずさ)
自分の役割は、その時に備えて打てる手を打っておくこと。
(……何が出て来るのか、楽しみだね)
ナイトは愉快な笑顔を浮かべて鼻歌を口ずさみながら、農村の陽だまりの中を歩んだ。