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第十五話 薄氷に燃ゆる炎

 エレノアは非番の二日間を利用して、皇都ルーチェの西・ヴァロニア領にある伯爵家の本邸へと帰宅した。


 ヴァロニアの地は、ルーチェを西へ下った先に広がる平野部に位置する。


 かつてはありふれた子爵領に過ぎなかったが、父ブライト・リュミエールの戦功により昇爵が叶い、領地は発展。

 今では堂々たる伯爵家の本邸が領内に建てられている。



(だが、皮肉なことにその戦功は父が最期を迎えた、シュトラール襲撃戦であげたもの。……父自身がこの栄誉を享受することは……なかった)



 物悲しさを抱きつつ、エレノアは黒鉄制の門構を越え、四季の花々が咲く賑やかな花壇を横目に、グレージュの敷石で彩られたアプローチを進む。


 頬を撫でる風がどこか冷たい。まるでこれから起きることを、予感させるかのようだと思いながら──エレノアは重厚な邸宅の扉を押し開けた。


 エントランスに人影はない。


 本来であれば家の者が帰宅した際にはメイドや執事が出迎えるのが礼儀だ。しかし、帰省の連絡を怠ったわけでもないのに、この有様である。



(……やっぱり、か。どこまでいっても、こういう扱いなんだな)



 エレノアは納得するように瞼を伏せた。

 耳を澄ませば、伯爵家の巨大な屋敷内でかすかな足音がする。出迎えがないのは意図的なものだとわかる。



(私はこの家の者に、疎まれているからな……)



 その理由は〝母・ルチアの娘だから〟という理不尽なものである。それでも、戻った事を報告しない訳にはいかない。エレノアは応接間へ向けて歩き出した。


 今、伯爵家を取り仕切っているのは、前伯爵夫人ぜんはくしゃくふじん──つまり祖母そぼと、叔母の子爵夫人ししゃくふじん


 父の戦死で空席となった当主の座は、将来的に弟リヒトが継ぐ予定であるが、現状は叔母おばの夫が代理を務めている。


 彼らと顔を合わせなければならないことに気鬱となりながら、 彫刻や絵画が並ぶ広い廊下を進んでいく。


 華やかな装飾のわりにどこか寂しい雰囲気を漂わせているのは、きっと気持ちの問題だろう。


 ──そうして、応接間に辿り着いたエレノアを待ち構えていたのは、いかにも不機嫌な表情の祖母と、叔母だった。


 王城の一角を再現したかのように贅を尽くした部屋。流行のドレスを着こんだ二人は、それに合わせて選んであろう扇子で口元を隠そうともせず、ソファに佇んでいる。



「お祖母ばあ様、叔母様、ただいま帰りました」



 礼儀作法を叩き込まれた貴族の娘として、優雅な礼を取る。

 と、「パシン」と乾いた音を響かせて、扇子を閉じた祖母が眉間のしわを深めた。



「まあ、よくも戻って来られたものね。女でありながら軍人の真似事をして……聞けば、醜聞の絶えない小隊に飛ばされたそうじゃない? まったく……ブライトの面目を、どこまで潰す気なのかしら」


「まったくですわ。優れた武を誇り、数々の戦乱で功を上げたお父様とお兄様の血を継いでいるはずの貴女が、目立った活躍もなく左遷同然の転属だなんて。恥さらしもいいところよ」


「そもそも、本当にブライトの子なのかしら。忌々しいほどあの小娘に瓜二つで、ブライトに似ているところなんて、剣の腕くらいじゃない」


「ええ、今回の件でいっそう怪しくなりましたわね、お母様。こんな不出来な子がお兄様の子だなんて信じられませんもの」



 二人が口々に嫌味を浴びせながら、侮蔑と懐疑の入り混じった鮮やかな黄赤の瞳でエレノアを睨みつける。


 しんと部屋が静まり、空気が張り詰めた。


 これまでも散々に聞いたそしりではあるが、悪意を孕んだ言葉は刃のように鋭い。胸に突き刺すような痛みが走った。


 けれども、傷ついた姿を見せたところで何が変わるだろうか。感情を飲み込んで場をやり過ごすしかない。



「ご心配には及びません。転属先でも、それなりに務めを果たしております。リュミエールの名に泥を塗ることはないと、お約束致します」



 淑女の笑顔を貼りつけてそう返せば、祖母も叔母も鼻を鳴らして、さらに目を細めた。



「当然です。伯爵家の娘であるならば、家門に貢献なさい。お前に出来るのは戦場で功を立てるか、家のため良家の子息と縁を結ぶこと。わかったならもう下がりなさい」


「……はい、お祖母様。失礼致します」



 扇子で追い払うような仕草をする祖母と、睨み続ける叔母に再度礼を取り、エレノアは応接間を後にした。


 期待など、もはや抱いてはいなかったのに、ズキズキと胸が痛む。



(息が詰まる。ここは昔と何も変わらない。この家の人間にとって、お母様と私は余所者だった。……それは紛れもない事実だ。けれども、少し。ほんの少しでいいから、受け入れてくれていたなら──)



 それだけで自分は、母は救われたのに、と悔しさに唇を噛んだ。


 エレノアは廊下の奥へ急ぎ足で向かう。

 悪意に満ちたこの家で唯一、心から再会したい人がこの先にいる。


 そのために帰ってきたのだ。温かみのない魔窟のようなこの場所へ。



「お姉様!」



 暗い道の先から朗らかな声が聞こえる。

 エレノアが足取りを早めると、自分と同じピンクブロンドを揺らす少年が見えた。



「リヒト……!」



 名を呼ぶと、一足飛びに駆け寄ったリヒトが、エレノアの手を取った。



「お姉様、おかえりなさい!」



 まだ十四歳とは思えないほど整った顔立ちに、幼さの残る眩しい笑顔が咲く。

 鬱々と沈んでいた気持ちが、一瞬にして和らいだ。



「ただいま。待っていてくれたのね」


「もちろんだよ! 帰って来るって手紙をもらって、楽しみにしてたんだ」



 はにかむ仕草が愛おしくて、エレノアは弟の頭を軽く撫でる。


 誰が出迎えに来なくとも、リヒトだけは自分の帰りを心待ちにしてくれていた。それがどれほど嬉しくて、支えになっていることか。



「私も、リヒトに会えるのを楽しみしていたわ。元気だった?」


「うん。僕は変わりないよ。お姉様こそ、怪我とかしてないよね?」


「ええ、大丈夫。私が強いのは知っているでしょう?」


「それとこれとは話が別だよ。お姉様はいつも無茶をするから。……はあ、僕も剣の才能があればよかったのにな……。そうすれば、お姉様を守る騎士になれたのに」



 眉根を下げたリヒトが憂慮に瞳を揺らす。その色は祖母や伯母と同じ色彩を放っているが、宿す感情はまったくの別物。

 自分を家のための道具としか思っていない彼らとは似ても似つかないものだ。



「……ありがとう、リヒト。でも、貴方が武器を手にする必要はないの。ただ、この場所で笑っていてくれれば、それで……私は頑張れるから」



 リヒトは納得がいかない様子だが、エレノアは温かな熱に触れて、傷ついた心が癒されてゆくのを感じた。


 父を失い、母を失い、逃れられない血筋と復讐心に囚われてきた。


 そんな中で、リヒトが無事でいてくれることが、自分の支えに、引いては生きる理由の一つになっているのだと再確認する。



(リヒトのためにも、敵は排除しなければ。この子さえ……この子さえ守れるなら、私はどうなってもいい。だけど──)



 不意にエレノアは思い出す。


 戦乱で親を失った孤児院の子どもたちの笑顔。

 悲し気な横顔を見せながら「復讐に周りを巻き込むな」と叱咤するアリファーン。


 悪夢にうなされ、うわ言で誰かへの謝罪を口にし「俺に帰る家はないよ」と言った、苦しそうなナイトの姿を。


 ぐるぐると思考が巡る。



(戦いが生み出す、悲劇……。本当に、復讐を成し遂げるべきなのか。それとも……)



 エレノアは今さら迷いを生じさせた自分に気付いて、首を振る。

 ほんの少し戦いから遠のいたことで、研ぎ澄ませた刃を鈍らせてしまう自分が恥ずかしい。



(あの日の誓いは、 誰かに何かを言われたくらいで揺らぐような、安っぽい決意だったのか? ……違うだろう!)



 燻ぶる炎が再燃する。エレノアは胸元で輝く白銀の指輪を握り締めた。



(決めたんだ。お父様の仇を討ち、お母様の無念を晴らし、リヒトを守るのだと……!)



 だが、今のままでは何も出来ない、何も変わらない。なんとか道を切り開かなければ──と、エレノアは焦りを募らせる。


 リヒトの瞳に映る自分を見ていると、いっそう気持ちが逸る。



「……お姉様? どうかしたの?」


「ううん、なんでもないわ。部屋で話の続きをしましょう? アカデミーでの様子も聞かせてくれる?」



 不思議そうに首を傾げたリヒトの手を引いて、エレノアは廊下の先に見える自室へ通じる扉へと向かう。二人分の足音だけが響く邸内は、どこか冷え冷えとしていたが、弟の存在がエレノアの心を温め続けている。



(迷わない……私は、私の道を行くんだ)



 エレノアは思いを胸に強く刻み込む。


 だが、揺れた気持ちが本当に消えたわけではない。

 復讐の炎で覆い隠したそれは、小さな渦として心に残り続けている。


 廊下を歩きながら、エレノアは「このままではいられない」という焦りを強く噛みしめた。


 弟のため、そして自分のためにも──。






 渦が育ち切る前に。

 烈火の如く思いを燃やし、復讐を遂げるのだ。

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