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第十四話 蛇影の囁き、守る者の誓い

 人気の薄い廊下をナイトはゆっくりと歩く。宮廷の鮮やかな装飾も、目には全く入ってこない。


 思考が、密輸犯の獄中死へと向かう一方で、イーリスの残響が胸の内を掻き立てる。



(あの人が関わっているのは間違いない。……再び、大きな戦いへ繋がってしまうのか?)



 瞼を閉じれば、無数の残骸と炎、悲鳴、報復に走った王国軍の姿が嫌でも浮かび上がる。



(過去の俺は、敵を焼き尽くすことでしか、何かを守れないと信じていた。だが、それが王国の……)



 あの惨劇を引き起こしたのは、自分が仕掛けた〝苛烈な戦術〟──復讐心が育んだ破壊。


 ──本当に、後悔しても時は巻き戻せない。



「……どうして、こうも繰り返すのかね」



 ナイトは重い瞼を手で覆い隠す。

 すべて失った過去を思い返すたび、この手が震える。



(戦いは虚しいものだ。そして、憎しみも、何も生み出しはしない……)



 奪われた悲痛を晴らそうと復讐に燃えたところで、待っていたのは更なる喪失だった。

 シュトラールもイーリスも──自分が大切に思っていた人たちはもういない。帰る場所もない。


 一度目は奪われて。

 二度目は自らの手で、焼き払ってしまった。



(そんな俺が……本当に〝守るため〟に戦えるのか?)



 恒久の和平。夢物語のような理想だ。

 どれだけの困難が伴い、途方のない道のりであるのかはナイト自身がよく理解している。



(……ああ、くそ。寝不足のせいか、気弱になってるな)



 ナイトは乱雑に後ろ髪を掻いた。

 償いに死を覚悟した時〝生きて足掻く〟と決めただろう、と自分を叱咤する。

 さっきもスレインに同じ言葉を言われたばかりだ。



(はあ、やっぱり寝不足はダメだ。前向きな思考が出来なくなる。戻ったら無理矢理にでも寝よう)



 ナイトはため息を付き、暗闇に支配された廊下を急ぐ。


 不気味に響く靴音を聞きながら進み、城のエントランスへ差し掛かったところで、ナイトは何者かの気配を感じて前方を見据えた。


 人影が一つ。入り口からやって来る。日暮れを過ぎた時間に出入りする人間は少ない。考えられるのは、要職に就く人物だ。


 一体誰だろうか──と、ナイトが足を止めると、



「これは、懐かしい顔と遭遇したものだ」



 バスの利いた渋い男の声が鼓膜を震わせた。

 とても聞き覚えのある声だ。ナイトはそれが誰であるのか一瞬で理解した。



(……よりによって今、この人と出くわすとはね)



 己の不運を嘆きたくなる。心臓がうるさく鼓動している。だが、こらえてナイトは頭を下げた。

 視界の端に白を基調としたロングコートタイプの軍服が見える。



「元帥閣下、ご無沙汰しております」



 男の名はヒュドール・ヴァハトゥン。

 侯爵位を持つ上級貴族にして、元帥の地位に座する皇国軍のトップ。

 魔術師であり、知略に長けた国の重鎮だ。



「ああ、久しいな。ことの他、元気にしているようだ」



 ナイトが顔を上げると、成熟した年頃の厳めしい男性の姿。鈍色にびいろ金青こんじょうのメッシュが特徴的なショートアップバングスタイルの髪型が、年齢以上に若々しさを感じさせた。


 釣り上がった鋭い金眼がナイトを捉える。油断していると飲まれてしまいそうな気迫があるが、ナイトはにこりと笑って見せた。



「そうですね。お陰様で苦も無く過ごせておりますよ」


「それは何よりだ。イーリスの件でみっともなく生き恥を晒したのだ、そうでなくてはな」



 白々しく棘のある言葉を吐くヒュドールに、ナイトは心を乱されそうになる。だが、ここで動揺を見せては相手の思うツボだ。



「……ところで、このような時間に登城とは、何か急ぎのご用件ですか?」



 あくまで冷静に、話題を逸らす。微笑みも崩さない。

 そんなナイトの姿勢をヒュドールが「フッ」と鼻で笑った。



「なに、先日捕らえた密輸組織の実行犯が獄中死したと一報を受けてね。あとは皇太子殿下へ別件で報告があったのだよ」


「なるほど。それはお忙しいところを引き留める形となり、申し訳ございませんでした」


「はは、構わんよ。そういうお前はスレイン殿下と遊びの算段でもつけに来ていたか? 噂は私もよく耳にしている。……が、遊びも過ぎれば毒になるぞ、ほどほどにすることだ」



 ヒュドールが「ポン」と、ナイトの肩に手を乗せる。まるで実の子を憂う父のような表情を浮かべているが、彼の目は笑っていない。



(……ほんと、〝水蛇サーペント〟の異名通り、蛇のような男だな)



 あの表情の裏側で何を考えているかわかったもんじゃない、と辟易しながら、それでも笑顔を守り続ける。



、心に留めておきます。皇太子殿下もお待ちでしょうし、俺はこれで……」



 ナイトは不自然にならないよう話題を切り上げ、立ち去ろうとした。

 別れの挨拶に軽く頭を下げて、ヒュドールの横を抜ける。


 ようやく、肺に溜まった息を吐き出せそうだと気が緩む。



「──それにしても、惜しい事をした。〝彼女〟は、私も目を付けていたのだがな」



 そう思った矢先、すれ違い様に囁かれた。ナイトは思わず立ち止まりそうになってしまう。

 しかし、反応してヒュドールのペースに乗せられたら負けだ。


 嫌な汗が背を伝うのを感じながら、聞こえないフリをしてナイトは進み続けた。蛇に睨まれた蛙の気分である。


 そうして、アウローラ城を後にしたナイトは──外に出て、盛大なため息を吐き出した。



「悪夢といい……厄日かな、今日は」



 ナイトは暗い外気を肺いっぱいに吸い込み、もう一度、盛大なため息を吐く。

 背筋に残るヒュドールの冷たい視線の余韻が、簡単には拭えない。



(……やっぱり、厄日だな。あんな言葉まで聞かされて……)



 先程の〝不穏な囁き〟が耳の奥でこびりついている。〝彼女〟とは、もちろんエレノアのことだろう。密輸犯の獄中死も絡んで、嫌な予感ばかりが増していく。


 ナイトは首を小さく振り、思考の軌道を強引に変えようとする。



(余計なことを考える前に、早く帰ろう。少しでも寝不足を解消しなきゃな)



 半ば自分に言い聞かせるように足を踏み出す。けれども、数歩も進まないうちに、自然と脳裏をよぎったのは、あのピンクブロンドの姫騎士だった。


 今日の彼女は、いつもは憎悪の炎が燃える瞳を、悲しみに揺らがせていた。悪夢にうなされる自分を、エレノアが案じてくれるなど、正直想像していなかった。



(……エレノアは、過去の俺によく似ている。このまま突き進めば、待ち受けるのは破滅だが……)



 彼女はまだ、大きな一線を越えていない。今なら引き返せる道があるはずだ。

 そう信じたいし、そうさせてみせる。



「エレノアには、俺と同じ道を歩ませたくない。……いや、歩ませはしない」



 つぶやきの熱を、静寂の廊下が吸い込んでいく。

 ナイトの足は止まらない。かつて己が招いた破滅を、二度と繰り返さぬために。

 この手でもう一度、守り抜くと決めたのだから。


 薄暗い灯りの先、第零番ナンバーレス小隊ヴェインの隊舎へと続く道は遠い。

 それでもナイトは、奥歯を噛みしめ一歩ずつ踏み出す。


 後戻りできない過去を抱きしめながら──新たな光を掴むために。

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