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第六話 怒り狂う薔薇の嵐

 エレノアは地下空洞で死黒鼠モルトラットを倒して地上に戻ったあと、女神教の神官から治療を受けた。


 ブロンテには「ゆっくり休んで」と言われたが、毒が抜けて傷が癒えると休息もそこそこにナイトの元へと向かう。


 目指す先は治水工事の現場だ。


 川沿いの雑木林の中を駆けて、目的の場所が近付いた時。

 遠目にも眩い銀髪の輝きを川辺に見つけた。白を基調とした軍服に細身の背格好。


 ナイトに間違いなかった。


 エレノアはそのまま駆け寄って行こうとしたのだが──隣にアリファーンの姿があることに気付き、咄嗟に木の陰へ身を隠してしまう。



(──! なんで、隠れて……)



 そのような行動を取ってしまった理由はおそらく、親密そうな二人を見たことがあるのと、孤児院で口論となったアリファーンと、顔を合わせるのが気まずかったからだ。



(地下空洞でのことを報告しないといけないのに……)



 エレノアはため息を付く。


 こんな風に振舞う自分が情けなかったが、出て行く勇気が持てず二人の会話を盗み聞く形になった。


 けれど、その結果、思いがけず情報を手に入れる。



(王国軍の襲撃計画……それに、幻想獣使いコンジュラー……!)



 胸の鼓動が早鐘を打つ。


 この情報を掴んだ今、敵を叩いて戦果を上げれば、再び最前線に戻れる。


 そんな希望が、エレノアの胸に熱く灯った。



(これは私にとって最大のチャンスだ。逃す手はない)



 逸る気持ちを抑えて、静かにその場を離れる。

 エレノアは来た道を戻って雑木林を抜けると、東へ針路をとった。



『女神ルクスよ、我に汝の加護を。く翔る恩寵を授け給え──風纏加速レジェ・レゼール



 囁くように魔術を詠唱すると、淡い若草色の風が身体を包み込んだ。その状態で地を蹴れば、魔術で強化された脚力が疾風の如き速度を生み出した。


 羽根を得たように身体が軽く、どこまでも自由に飛んで行けそうな錯覚に陥る。


 魔術の助けを借りて駆けると、すぐに険しい岩肌が剥き出しの山岳地帯が視界に入った。


 無造作に積み重なった岩と鬱蒼と生い茂る木々が、人を拒むかのように道を阻んでいる。


 エレノアは岩を飛び越え、倒れた樹々を踏み越えて──。


 風となり山道を駆けながら、探知魔術を展開した。自身を中心に知覚できる範囲が広がって行き、やがて不自然にマナの揺らぐ場所を感じ取る。



(このノイズ……隠蔽いんぺい魔術か?)



 まだ距離があるためはっきりとしない。エレノアはその方向へと急いだ。


 数十分ほどかけてノイズを感じた地点に近付くと、自身に隠蔽の魔術を掛けて速度を落とした。


 慎重に見落としのないよう周囲を探っていく。目を凝らせば、地面には踏み慣らされた草と土の跡。枝が折れ、わずかに樹皮の剥がれた樹木もある。



(人の通った痕跡……間違いない)



 足跡や枝の折れ方を注意深く観察し、微かな物音にも聞き耳を立てる。


 そうして、息を殺して警戒を最大限に進んで行くと、前方の木々の間に立ち並ぶテントを見つけた。


 きっとここが王国軍の野営地だ。


 エレノアは軽やかに樹上へ跳んで身を隠して、野営地を観察した。


 短くない時間、観察してわかったのは、王国軍の象徴である〝龍の紋様〟が入った赤い軍服を纏った兵士が多数いること。


 警備に当たる人員は比較的少なめ、呑気に談笑する一団が見える。さらに、大きな檻には魔獣の影があった。



(……密集した配置だな。敵国内だというのに、警戒もまばらで緩い。国境や海岸線と違って、この辺りに軍の監視が及ばないのを知っているのか……?)



 不用心にも焚火の煙が空へと上がっているし、自分たちが襲撃される側になることを、まったく想定していない様子だった。


 けれど、それならそれで都合が良い。


 十分に観察を終えたエレノアは〝敵〟を視界に捉えると口角の端を上げ、冷ややかな笑みを浮かべた。



(ここは、地下空洞とは違う。遠慮なく魔術が使える)



 大きく息を吸い込んで呼吸を整える。瞼を伏せて神経を研ぎ澄ませていく。


 周囲の音が消えて、集中が最高潮に高まった時。


 体内を巡るマナ、そして大気中にマナが辺りに満ちていくのを感じながら、エレノアはうたう。神の名の下に、無慈悲なる賛歌を。



『──女神ルクスよ、我に汝の加護を。

 漆黒を裂く紅の薔薇よ、狂乱の風に舞え。

 怒りの咆哮は棘となり、世界は朱に染まるだろう。鮮やかに……』



 詠唱に感化され、マナを含んだ風が吹く。術の完成はもう間もなくだ。

 エレノアはすっと手を差し出し、まなこを開いて照準を定め最後の一節を紡いだ。



『吹きすさべ、深紅の烈風──怒り狂う薔薇の神嵐フュルール・ディ・ローゼンヴィント!』



 詠唱を終えると同時に、巨大な竜巻が野営地を直撃した。


 薔薇の花びらを思わせる赤に染まったマナの混じる風がテントを引き裂く。激しい風圧に耐え切れず吹き飛ばされた兵士たちが、悲鳴を上げて彼方へ消えていった。



「敵襲!? どこからだ!?」


「陣形を整えろ!」



 気付いたところで遅い。術はもう発動しているのだから。


 エレノアは剣を抜き放ち、混乱に乗じて敵陣へと突っ込んでいった。


 吹き荒れる風により舞い上がった砂埃で視界が死んでいるが、関係ない。むしろ単独で斬り込むには有利である。



「はぁぁぁっ!!」



 握り締めた剣で敵影に一閃。鎧を切り裂き、返す刃で次の兵士をなぎ倒す。視界不良で狼狽える兵士を、エレノアは流麗に斬り捨ててゆく。



「ぐぅっ、止めろ!」


「魔獣を、死黒鼠モルトラットを出せ!」



 その声もすぐに断末魔に変わる。嵐に紛れて手あたり次第、剣閃を走らせ命を奪う。

 いとも簡単に刈り取ることができるものだから、死神にでもなった気分だった。


 戦場の喧騒が鼓膜を震わせ、血臭が鼻孔を刺激し、ひりつく空気が肌を刺す。

 身体を動かすたびに汗が流れ、煮えたぎるように沸騰した血液が身体を火照らせた。



(そうだ……私が求めていたのはこれだ。この手で敵をほふり、戦いに身を投じることが、復讐のために歩むべき道。……お父様、お母様、リヒト……ようやく戻って来たよ)



 くすぶっていた感情の炎が燃え上がっていく。懐かしい感覚だ。

 水を得た魚のように、歓びが胸に満ちる。



「いたぞ、こっちだ!」


「皇国軍か!? 他に仲間がいないか探せ!」



 しばらくして魔術の勢いが弱まると、エレノアは敵に姿を補足された。


 初手で打撃を与えたため、敵の数はだいぶ減っている。それでも、油断できる人数差ではなかったが、不思議と負ける気はしなかった。



「王国の蛮族ども、私はここだ! 逃げも隠れもしない!」


「好き勝手暴れてくれたな……生きて帰れると思うな!」



 敵が得物えものを手に、憤怒の形相で襲い掛かって来る。檻から解き放たれた死黒鼠モルトラットも、鞭の音に従ってエレノアに食らいつこうと大顎おおあごを開けた。


 それを剣でいなして、身体を捻ってかわし、跳び上がって──。



『──夜天の空よりくだりて輝け。閃星の墜撃ファルステラ!』



 箒星ほうきぼしのように流れ落ちて撃ち抜く、光線の魔術により制した。


 着地したあとも間髪入れずに剣を振るい続ける。時には再度魔術の妙手も交えて、襲い掛かって来る敵を斬り捨てた。


 戦場に剣戟と絶叫が響き渡る。


 いつの間にかこの場はエレノアの独壇場、復讐者が敵を蹂躙する殺戮さつりくの舞踏と化していた。


 阻むものはなにもない。このまま怒りの炎に任せて燃やし尽くすことができる。


 エレノアがそう思った時のことだ。



「監視の目はないって聞いてたんだがぁ、想定外だな。ずいぶんと活きのイイ小娘が迷い込んできたもんだ」



 視界に焦げ茶色のローブをはためかせる男の姿が映った。浅黒い肌に屈強な肉体を持ち、頬に十字の傷痕がある。


 男は自陣が追い込まれているのに酷く冷静で、ただの兵とは思えなかった。


 エレノアは直感で確信する。



「お前が、ここの指揮官……幻想獣使いコンジュラーか?」



 立ち止まって尋ねるとギラリと鋭い漆黒の瞳に凄まれた。背に悪寒が走る。

 強者の纏う覇気を、男は滲ませている。



「あーあ、派手にやってくれたなぁ。兵だけじゃあなく、手塩にかけて育てたネズミたちまでたくさん殺してくれちゃって。このままじゃあ任務に支障が出るな。……どう落とし前をつけさせるか」



 ドスの利いた低い声が、ビリビリと空気を震わせる。男は武器を構えておらず無防備に見えるが、隙がない。


 不用意に踏み込めば、飲まれるのは自分だろう。


 得体の知れない恐怖心が芽生える。気圧されそうになっていると、男がニタリと笑った。



「よし、決めた。小娘、お前は殺した分のネズミが繁殖するための苗床になれ」


「ふざけたことを。お断りだ!」


「大丈夫、死にゃあしないよ。生きたまま血をすすられ、肉をまれるだけだ」



 おぞましいことを平然と口にして男が指を鳴らす。と、その足元に発光する幾何学模様の魔法陣が浮かび上がり、次の瞬間。炎の柱が男を起点として左右へ立ち昇った。

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