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幕間 紅き王座に仕える銀の軍師

 王都ヴァールハイトの王の間は、いつ来ても慣れない。


 天井の高いホールに鳴り響く靴音が、自分の鼓動を嫌でも意識させる。


 私は他の誰よりも頭脳が冴えている──そう信じているが、この場所だけは私にも知り得ない〝未知の力〟が存在することを感じるのだ。


 巨大なステンドグラス、鋭く切り揃えられた玉座への階段。どこを見ても、悪趣味なほど華美で、居心地が悪い。


 玉座には我らの王マグナス・サングリアが悠然と座していた。その体躯は弱肉強食の頂点に相応しく屈強。長い御髪は鮮血のように鮮やかで、炎のように燃え立っている。


 私は軍師としての立場上、静かに姿勢しせいを正して、王のそばに控えた。


 広間の中央にひざまずくのは、全身を焦げ茶色のローブで包んだ頬に十字の傷がある男……フェルド。

 鍛え抜かれた肉体を持つ戦士、そして〝幻想獣使いコンジュラー〟の一人だ。



(……あの計画は、結局失敗に終わったようね)



 そう思いつつも、決して顔に出さない。何故なら、弱き者はこの王国で生き残れないからだ。王の前でうかつに表情を動かせば、たちまち不況を買うに違いない。


 王は瞼を伏せ、沈黙を貫いている。発言を待っているのだ。


 ごくり、と唾を飲む音が響いたあと、静寂を切り裂くようにローブから浅黒い肌を覗かせたフェルドが口を開いた。



「……ドゥエルの村での作戦は、失敗した。だがぁ、いくつか有益な情報を手に入れたので、報告にきた」



 私はこくりと頷く。王は口を引き結んだままだが、開かれた瞼から覗く、淡い紫に黄金の彩りの差し込んだ美しく鋭い瞳がフェルドを捉える。


 空気が張り詰め、王から放たれる気でビリビリと震えた気がした。



「二名……気になる者と遭遇した。一人目は皇国の女騎士。名はエレノアと呼ばれていた。容姿は……」



 そこで言い淀んだフェルドが王を見上げた。彼の漆黒の瞳には、迷いが見えた。


 私は首を傾げる。一体何を戸惑っているのか、と。



「どうしたの? 続けなさい」



 強い口調で言い放ち睨みつけると、フェルドはこうべを垂れる。



「……はい、お嬢。女騎士の容姿は、ピンクブロンドに紫黄水晶アメトリンの瞳」



 告げられた特徴に、私は息を飲む。反射的に王の顔色を窺いそうになるが、動揺を見せてはいけないと、歯を食いしばって動きを制した。


 女騎士——エレノア。


 女の詳しい素性は知らない。だが「恐ろしい能力を有した女騎士がいる」とうちの〝情報部〟が話していたのを思い出した。



(ただの偶然かしら? それとも……)



 思考してる間に、フェルドが報告を続ける。



「それからもう一人。銀髪で翡翠色の瞳をした男。あの男は厄介だ。お嬢や〝あの人〟と似たニオイがする。あれは能がないと言っておきながらぁ、猛獣を自在に操るようなヤツだ……! 早めにぶち殺さねぇと、ヤバイ」



 ニオイが似ている……。


 私の胸が嫌な鼓動を打ち始める。


 シュトラールで死んだはずの〝兄様〟が生きている——そんな可能性、あるはずがないのに。


 何かが胸に引っかかった。



(……まさかね)



 いつもは表情を動かさない王が、私の横顔をちらりと見やる気配がする。

 しかし、私はあくまで伏し目がちに耳を傾け、フェルドに先を促すよう頷いた。



「うちの兵とネズミは全滅に近い損害を出した。だがぁ、思い出したんだ。女騎士が所持していた白銀の指輪……。あの指輪、ひょっとすると〝王の証〟なんじゃあないかって……!」



 〝王の証〟──それは、サングリア王家に伝わる女神の遺物アーティファクト。呼び名の通り、王たる証として代々引き継がれてきたものだ。


 先の王位継承の際に紛失して、行方がわからなくなっていたのだが……。



(ピンクブロンド、紫黄水晶アメトリンの瞳、それに白銀の指輪……。……そういうこと)



 私は出揃ったキーワードを順に整理して、一つの答えに辿り着く。女の正体は王もお気付きになったことだろう。


 私は口元に笑みを浮かべた。



「侵略は失敗した。けれど、その情報だけでも上出来と言えるわね。ご苦労だったわ、フェルド」



 努めて淡々と言葉を紡ぐ。王からも異論はない。フェルドはホッとしたように息を吐き、顔を上げた。


 計画が失敗したにもかかわらず、情報を掴んで来た点を評価しているという態度を示すことで、彼のプライドを適度に保たせるのがポイントだ。


 決して褒め過ぎず、程よい距離感を保つ。そして必要以上に皮肉を言うのもダメ。かえってフェルドの協力意欲を下げかねないから。


 フェルドはローブを翻して「失礼します」と慣れない礼を取り、退出して行った。


 重厚な扉が閉まると、王の間を支配する空気が一変する。



「……アイナ」



 暗く静かな声が、王から発せられる。名を呼ばれただけだと言うのに、底冷えするほどの寒気と重圧を感じた。



「指輪を確保しろ。〝王の証〟は我が手にあってこそ、意味がある」



 指輪は以前から王が探し続けていたものだ。聞くところによると、あれはただの証ではなく、偉大なる力が眠っているのだとか。



「……女騎士は、如何なさいますか?」


「立ち塞がるのであれば殺せ。我には不要の長物だ」


「承知しました。手を尽くして、必ずや」



 王は再び沈黙し、瞼を閉じて身じろぎすら感じさせなくなった。


 これで会話は終わり、ということなのだろう。私は黙ってそっと一礼し、その場を下がる。




 王の間を退出して、暗い廊下へ出た瞬間、はぁ、と大きく息を吐き出す。


 王宮の装飾がやけに眩しく見える深夜の照明の中で、長く伸ばした銀の髪がわずかに揺れた。



(私と同じ、銀髪で翡翠色の瞳をした男……)



 もしかしたら兄様が生きているのでは、なんて淡い期待を抱いてしまう。


 けれど、そんなはずはないと首を振る。


 兄様の最期を直接見たわけではないけれど、あんな酷い怪我を負った状態で、生き残れるはずがない。



(シュトラールの悪夢が……全部嘘だったら、良かったのに)



 だが、そんな感情が胸を掠めるたびに、自分を救った恩人〝ソフィア〟を皇国に奪われたあの日を思い出し、疼く痛みに胸が引き裂かれそうになる。



(そうよ……今の私は王国の軍師。皇国の悪魔を根絶やしにして、この戦いを終わらせるの。それが、大陸に平和をもたらす道よ……!)



 王国は……王は、力による大陸統一を目指している。


 弱き者は淘汰され、強き者が生き残る。

 けれど、力さえあれば、何者にも侵略されることはない素晴らしい世界だ。


 私は王の理念に賛同する〝今の自分〟を肯定するために、皇国への憎悪をさらに募らせる。

 呪いのように自分に言い聞かせながら、暗い通路を歩き出した。


 女騎士の正体が何であれ、王が要らないと断じるのであれば、構う必要はない。


 〝王の証〟である指輪を取り返し、王へ捧げるのだ。

 我らの王マグナス・サングリアであれば、必ずや理想の世界を実現してくれるはず。


 そのために、私アイナ・エレツ・ルーネントは王国の軍師として采配を揮えばいい。



 迷いも矛盾も、全部、全部、忘れて。

 痛み、苦しみは怒りと憎しみに変えて──。



(──さあ、行きましょう)



 次の一手を練るために、やらなければならないことはたくさんある。

 私は静まり返った夜陰の宮殿に、不気味な足音を響かせて進んでいった。

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