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第十二話 月下の城で交わす陰謀

 ドゥエルの村での任務を終えて、皇都ルーチェへ戻ってきたその日の深夜。


 月明かりが薄い雲に遮られた闇の中、ナイトは人目を忍んで裏口からアウローラ城へ潜り込んだ。


 警邏けいらが手薄なタイミングを狙って、足早に渡り廊下を抜ける。


 静寂を切り裂く音は己の靴音だけ。いつもながら、この城は夜更けになると、まるで死んだように静かだ。


 もっとも、眠らない人間が一人いることを、ナイトは知っている。



(こんな時間でも、スレイン殿下は起きているはずだ)



 そう確信しながら通い慣れた回廊を進み、やがて行き着いた先は第一皇子スレインの執務室。扉越しに微かだが灯りが漏れていた。


 ノックもそこそこに名を告げる。しばしの沈黙ののち「どうぞ」と低い声が返り、ドアを開く。


 そこには煌びやかな衣装のまま、机に頬杖をつき書類を睨むスレインがいた。


 夜が更けているとは思えないほど、眠気を欠片も感じさせない菫青石アイオライトの瞳が、ナイトを見つめて微笑む。



「遅かったじゃないか、ナイト」


「お待たせして申し訳ありません、殿下」



 さっと会釈しつつ執務机の前へ立つと、スレインが楽しげに笑みを深めた。



「構わないさ。私が〝お願い〟した件について、さっそく聞かせてくれるかい? ドゥエルの村で何があった?」



 ナイトは簡潔に報告を始める。


 まずは村を脅かしていた〝ネズミ騒動〟の真相、そして王国軍の一団が入り込んでいた経緯への推測、さらには〝幻想獣使いコンジュラー〟の指揮官がいたという事実——。


 漏れなく伝え、最後に敵の侵入経路について、憶測を述べる。



「彼らは、東の山岳地帯から入り込んだ可能性が高いと思われます。あそこは天然の要害ですが、越えた先は今〝空白地帯〟に近い状態です」


「……空白地帯、ね。あそこは、君と縁深い土地じゃないか」



 スレインは興味を引かれたようだ。「フッ」と口元に笑いを浮かべて、筆先を書類へ走らせている。ナイトは唇を結び、吐息混じりに続けた。



「ええ。俺の故郷、シュトラールがあった地です。山と海の双方に面し、かつては繁栄した領土でしたが……王国軍の侵略で焦土と化して以降、管理の手が届かない危うい地域になっています。今回の王国軍は、そこを足掛かりに入り込んだのではないかと。あの一帯に近い国境と海岸線、そして山岳地帯の警備強化が課題となるでしょう」


「なるほどね。密輸ルートに紛れ込んできた線も、考えられるのではないかな?」


「その可能性も否定はできません。例の密輸事件も、まだ解決には至っていませんからね」



 近頃、この国を脅かすサンクリッド王国は、正面からの大規模侵攻とは別に様々な裏工作を仕掛けてきている。

 ドゥエル村の件が、その一端であることは間違いなかった。



「問題ばかりが山積みだね、頭が痛くなる。今回交戦した敵の指揮官、幻想獣使いコンジュラーの男も、遺体が見つかっていないのだろう?」


「はい。指揮官は生け捕りを考えて、そのように指示を下していましたが……水流にのまれたか、部下に回収されたか、あるいは自力で逃げおおせたか……。肝心の彼の姿を見失ってしまいました。申し訳ございません」


「ふむ。君から逃れるなんて、悪運の強い男だね。しかし、王国軍がいよいよ侵略に本腰を入れてきた印象を受けるな。こちらの中核に潜む内通者も、その毒牙を隠す気がないように思える。近い内に大きな動きがあると睨んでいるけど、君はどう思う?」



 スレインが椅子を揺らし、夜の闇を溶かし込んだ青髪を弄びながら、遊ぶように問いかけてくる。ナイトは眉根を寄せた。



「……好機と見れば、動くでしょうね。だからこそ、東の監視網の再整備と、密輸ルートの洗い出しは急務ですよ。兵力の配置から物資の流れまで、全体的にテコ入れをすべきかと」


「やれやれ、忙しくなるな。これではいくつ身があっても持たない。皇帝陛下父上はここのところ体調が思わしくないし、我が弟ラウルは皇太子のくせに毛ほども役に立たない。かと言って今さら私が政治の矢面に立てば、要らぬ派閥争いを生んで国を二分する」


「そうなれば〝あの人〟の思う壺です。今は水面下で最善を尽くし、耐え忍ぶ他ありません」


「まあ、足掻くと決めた以上、どれほど困難な道のりであろうと優雅に乗り越えて魅せるさ。理想を叶えるために、ね」



 まるで遊戯に興じるかのような言い草だが、スレインが本気であることを知っている。ナイトはうなずいて同意を示した。



「殿下と俺は一蓮托生。どこまでもお供いたします」


「ああ、頼りにしているよ。……ところで、彼女は元気にしているかな?」



 不意にスレインが声の調子を変える。彼女とはエレノアのことだと、すぐに思い至った。スレインは最高の駒となり得るエレノアをいたく気に入っているのだ。



「彼女、ドゥエルでも大活躍だったそうだね」


「……ええ。彼女の行動は読み易いですし、最大限活用させてもらいました」


「フフッ。君って温厚そうに見えるけど、やっぱり容赦ないよね。……で、どう? 使い物になりそう?」



 筆を置き、ゆるりと首を傾げて頬杖をつく彼は、どこかえつに浸っているように見える。自分よりよほど、為政者の器たるスレインの方が冷徹だと思うが──口には出さない。



「今は〝未完成〟ですが、素質は十分です。だからこそ、道を踏み外すことのないよう、見守る必要があるかと……」



 告げて、ナイトは瞼を伏せた。


 エレノアには〝自分のように過ちを犯して欲しくない〟という思いがやはり強い。



(……けれど、言葉でさとしても、彼女は聞き入れない)



 そうなると、今回のように〝失敗から学ばせる〟しかないが、毎度痛みを伴う試練を与えなければならないと言うのも、気が重いものだ。



(他に何か……彼女のために出来ることがあればいいんだけど)



 ナイトが小さく息を吐く。と、「へぇ」と楽し気な音がスレインからこぼれた。



「ずいぶんと気にかけているね。情でも移ったのかい?」



 スレインが半眼を向け、愉悦を含む笑みを浮かべている。些細な動作で心の機微を感じ取る彼の慧眼けいがんは、さすがだ。


 しかしながら、ナイトは穏やかな表情を崩さず、胸の内を秘して応じる。



「まさか。エレノアは、今後の計画に必要不可欠な〝駒〟の一つにすぎません」


「駒として扱うならそれこそ情で絡め取り、君に縛り付けるのも手だと思うけどね。愛をささやくのは得意だろう?」



 くすくすと揶揄い交じりに語るスレインに、ナイトは辟易した。思わず大きなため息をついてしまう。



「殿下、邪推はお止めください。ただ……妹が生きていれば、彼女くらいの年頃であったな、と……。そこに感化されているだけです」


「ならば尚のこと。情でもなんでも利用して、導いてあげなよ。可愛い、可愛い妹分が道を誤らないようにね」


「……無論です」


「では、引き続きうまくやってくれると期待しているよ。ナイト」



 スレインが退席を促す仕草を見せたため、ナイトは深く一礼したのち、執務室をあとにした。






 ほのかに照明の魔道具マディアナが照らす廊下を歩みながら、思考を巡らせる。



(〝愛〟……か。簡単に言ってくれるなぁ……)



 上辺だけ取り繕った言葉なら、いくらでもささやけるだろう。これまでにそういった謀略を用いたこともある。


 だが、何故か。エレノアにはそのような姑息な手を使いたくない、と思ってしまう。



アイナと同年代って理由だけじゃなくて、エレノアが真っ直ぐだからだろうな、きっと)



 〝復讐〟という目標へ向かって、愚直なまでに一直線に、自分の力で突き進もうとする彼女が、時々まぶしく見える時がある。

 血に塗れた過去を持ち、裏ではかりごとくわだてる自分とは真逆。


 そんな彼女をけがしたくないという淡い想いが、心の片隅に芽生えていた。



(この感情は……エレノアを利用しようと考えるなら、枷となる。……頭では、理解しているんだけどね。感情を切り捨てるのは、難しいな)



 本心は決して明かせない。明かしてはならない。


 彼女を〝駒〟として飼い慣らすと決めた時から、自分にはそのような感傷を抱く資格などないのだから。



❖❖❖



 ナイトは、闇に沈むヴェインの隊舎の一角にある自室へ戻ると、静かな深夜のベッドへ身を沈めた。


 瞼を閉じると映し出されるのは、いつもの悪夢——。


 どれほどきつく封をしようと、ホコリを被ることなくふたは開かれ、記憶の断片が溢れ出す。


 始まりはシュトラール。


 燃え盛る炎に呑まれた屋敷で、焔の中へ消えていった妹アイナ。

 猛獣使いテイマーの操る魔獣に食い殺された父と母の無惨な姿。



「──う……うぅ……っ」



 激しい怒りの炎に身を委ね、敵兵を虐殺し、鮮血の海と屍の山を築き──。


 〝復讐〟の果てに、大きな代償を払うこととなった過去。


 〝苛烈な戦術〟が生んだのは、更なる悲劇。王国軍の激しい報復の対象となったイーリスは、凄惨な地獄と成り果て、養父母も──。



「……やめろ……やめて……くれ……!」



 汗が頬を伝う。熱く重い息と共に、ナイトはもがき苦しんだ。


 ここは過去のあの場所、あの時ではない。安全な場所ベッドの上だと理解しているのに、脳に焼き付いた記憶が、焼けつく痛みを心に刻む。


 安眠できることはない。今夜も浅い眠りのまま、夜明けを迎えることになるのだ。


 〝あの子〟——エレノアには、誤った道を歩んで欲しくない。こんな悪夢に苛まれて欲しくない。


 自身の痛みを抱き締めながら、ナイトはそう強く願った。

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