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第十一話 復讐心と守る力の狭間で ≪後編≫

 王国軍との戦闘から一夜明けて、早朝。

 澄み渡る空気の下、ドゥエルの村には平穏な光景が広がっていた。


 前日まであれほど人々を脅かしていたネズミの影はすっかり消え失せている。村へ工作を仕掛けていたと思われる、幻想獣使いコンジュラー率いる王国軍を排除した成果だろう。


 また、水路を利用した殲滅の策も、村を避けるよう計算されたものであり、村に目立った被害は出ていなかった。



(……本当に、驚かされる。隊長はどこまで見通していたのだろう)



 もしかしたら自分の行動さえも、彼の計算に入っていたのかもしれない。そう思うと恐ろしくなる。


 見渡せば、ドゥエルの人々の顔には疲労が見えるものの、危機は去ったのだと歓喜する姿がそこかしこで伺えた。


 そんな村に皇都からの援軍、一個大隊が到着したのは正午前。


 ナイトが指揮官らしき髭を生やした貫禄ある初老の男性を出迎えると、男性は恭しく頭を下げた。



「救援要請に応じ、馳せ参じました。今回も大手柄でしたね、ナイト隊長」


「大したことはしていないですよ、少佐。いつも通り、我々の事は内密に。後の処理はお任せします」


「はっ、承知しました。……しかし、相変わらずといいますか、欲がないですな」


「あいにくと昇進や栄誉には興味がないもので。それよりも、治水工事の件ですが──」



 ナイトは淡々と受け答え、次いで連絡や書類の確認など数点のやりとりを経て、ヴェイン小隊の任務は援軍の正規軍に引き継がれた。


 このあとは人数を活かした人海戦術で、死黒鼠モルトラットの巣窟となっていた地下水脈の空洞に残ったネズミの掃討や、周辺の警戒にあたるそうだ。



(……ここでの任務は終わり……か)



 村の人たちの安堵しきった顔を見て、何とも言えない気持ちを抱いていると、一人の村人がエレノアに近寄ってきた。


 前に苦情をぶつけてきた農民の青年だ。彼は遠慮がちに姿勢を正し、丁寧に頭を下げた。



「改めて……ありがとう。王国軍を追い払ってくれたんだろう? みんな心底ホッとしてるんだ。ネズミ退治の時はキツいこと言って、本当に悪かった。……貴女のおかげだよ」



 エレノアは言葉を詰まらせた。

 彼が向ける感謝の念は、まぎれもない本音なのだと伝わってくる。最初は不信感と苛立ちを向けられてばかりだったのに、不思議だ。



「……私は、ただ任務を果たしただけです。お礼を言われることでは……」



 言い終わらないうちに青年は首を横に振る。



「それでも、礼を言わせて欲しい。本当に、ありがとう」



 彼の素直な言葉が胸に染みた。


 〝守るために力を振るう〟なんて考え、自分には縁遠いと思っていた。それなのに、行動の結果、意図せず人を救うことに繋がって感謝されると心中複雑である。



(……こんな形で礼を言われるなんて、思わなかった)



 でも、悪くない気分だった。


 青年と、いつの間にか周囲を囲んでいた村人たちに、「ありがとう」と感謝の言葉で見送られながら、エレノアは村の出口へ足を進める。


 辿り着くと、すでにナイトと他の隊員──ヴァンとブロンテが出立の準備を終えて待っていた。


 アリファーンとスティーリアは、アリファーンの転移魔術で昨晩の内に帰還している。



「隊長、お待たせしました」


「もういいの? 村の人たちと、もっと話して来てもいいんだよ」



 やんわりと微笑むナイトに、エレノアは瞼を伏せて首を横に振る。


 好意は自分にとって毒にしか成り得ない。いつまでも浸っていては、感覚が鈍る。



「……そっか。じゃあ、村長さんにも別れの挨拶は済ませたし、俺たちも帰ろうか、皇都へ」



 ナイトの言葉にエレノアはうなずいた。



「はぁ、今回も面倒な任務だったぜ。ドブでネズミを追い回すのはこりごりだ」


「た、確かに。狭くて暗いところは、苦手だから……大変だったね」



 ヴァンとブロンテの会話を耳にしながら荷馬車に乗り込み、不規則な揺れに身を預けて帰路に着く。


 段々と見送りの村人たちの姿が小さくなっていくのを、エレノアは肩越しに振り返った。


 無傷で守られた平穏。


 ナイトが言うように〝守るため〟に戦えば、いつかこんな日常を当たり前に享受できる日が訪れるのだろうか。


 ぼんやりとそんな未来を想像する自分がいた。



「……守るために力を振るうのも、そう悪くないだろう?」



 胸の内を覗き見たように囁いたナイトに、反射的に顔を向ける。


 すると、彼は綺麗に笑った。そこに含みや、揶揄いの色は一切ない。

 まるで、童心に見せる笑顔だ。


 あまりに眩しく、綺麗に笑うものだから、エレノアはくすぐったい気持ちになってしまい、直視出来ずに顔を背けた。



「……知らない、ですよ。そんなこと」



 誰かを守るために剣を振るう——それは復讐に憑りつかれた自分とは程遠い行いだと思っていた。


 だが、村人からの感謝に胸が暖かくなったのも確かだ。これを真正面から否定する気持ちには、どうしてもなれなかった。


 任務での出来事を思い返しながら、荷馬車が分かれ道に差しかかった時。


 ふと、エレノアは気付く。


 助けてもらったことへの感謝を、彼に伝えていないという事に。

 村の人に散々もらっておきながら、自分だけ変な意地を張るわけにはいかない。


 エレノアは小さく息を吐き、俯きがちに呟く。



「……隊長。……助けてくれて、ありがとうございました……」



 紡いだ言葉は、そよぐ風にさらわれるほど小さかったが、ナイトの耳に届いたのだろう。瞳を細めて穏やかに笑みを浮かべる彼が、視界の端に映り込んだ。


 エレノアはほんのりと身体の熱が上がるのを感じ、切り立つ山々が遠ざかるのを眺めながら──胸に燻ぶる感情を抱き締めるように、形見の指輪を握る。


 唇が自然と孤を描いてしまうのは、もう仕方のないことだ。せめて感情を悟られまいと、瞼を伏せた。

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