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第十話 復讐心と守る力の狭間で ≪前編≫

 エレノアは怒涛の展開の連続と、目の前に広がる光景が信じられなくて、ただただ呆然とした。


 けれど、誰に聞かずともわかる。数の優位にあった王国軍を一網打尽にしたこの水氷の計略は、銀糸を靡かせて不敵に眼下の氷花を眺める男が、弄したものだと。



(彼はロクに魔術が使えず、剣にも才能がなくて、戦えない〝最弱無能〟と呼ばれる隊長……。そう、思っていたのに)



 はたして、今の彼を見て同じように不名誉な異名で呼べる者はいるだろうか。

 エレノアはきゅっと唇を引き結び、拳を胸に添える。



(……隊長は、無能なんかじゃ……ない。そして、最弱だからと言って、戦えないわけでもなかった)



 幻想獣使いコンジュラーの男に敗れ、ネズミに食まれて息絶えるのだと思った時。助けに来たのは他でもない、ナイトだった。


 そんな彼が戦場で真っ先に見せたのは、穏やかな微笑み。



(敵に囲まれた状況で、あんな風に振舞えるのは自分に絶対の自信がある者だけ……。虚勢を張ることしかできない私とは違う)



 悔しさと、頼りたくないと思っていた相手に救われた事への羞恥心、そして後ろめたさが胸を締め付ける。エレノアは苦しさを堪えようと、震える指で軍服ごと胸元の指輪を握り締めた。


 視線の先でナイトが耳を飾る最後のピアス、リンクベルに触れる。



「ブロンテ、聞こえる? 作戦は成功だ。水門を閉じていいよ。終わったら先に村へ戻っていて」


『う、うん。上手く行って、良かった……。エレノアさんも、無事?』


「無事だよ。エレノアだけじゃなく、みんなね」


『それを聞いて、安心したよ……。村で、待ってるね』



 彼は柔らかな笑みでリンクベルのやり取りを終わると、今度はアリファーンとヴァンへ視線を向けた。



「アリィ、ヴァン。念のため、周辺を哨戒してもらっていい? 取り逃した兵や魔獣がいるかもしれないからさ」


「逃げられても厄介ですものね。了解しましたわ」


「ちっ、面倒だがしゃーねぇ。行くぞ、アリファーン」


「よろしくね。確認が済んだら、みんなで村へ戻ろう」



 二人はうなずくとヴァンが風纏加速レジェ・レゼールの魔術を発動。一陣の風となり、凍りついた白銀の世界へと疾走していった。


 この場に残されたのはエレノアとナイトとスティーリアの三人。

 ナイトがスティーリアに「少し待っててね」と告げて、エレノアへ振り返った。



「……さて、エレノア」



 名を呼ばれて、エレノアはビクリと肩を震わせる。


 温和な仮面の下に、冷静な策略家の一面を隠した彼に何を言われるのか。叱責を受けるのは間違いないが、どのような言葉でなじられるのか予想がつかない。


 ……それが少し、恐ろしかった。


 目を合わせるのも躊躇ためらわれ、不自然に俯いて固まる。

 すると「ふぅ」とため息を吐く音が聞こえて、



「まずは、傷の手当てをしよう。放っておいて悪化したり、痕が残っても大変だからね」



 至極優しい口調のナイトに手を取られた。


 いつの間に近くへ寄っていたのか。


 エレノアは瞠目し、反射的に彼の手を跳ねのけてしまった。



「これくらい大丈夫……です。慣れていますから……」


「俺が気になるんだよ。ほら、見せて」



 眉根を下げたナイトが再びエレノアの手を取る。彼は辺りを見回して、適当な高さの岩を見つけるとハンカチを敷いてそこへ座るよう促した。


 エレノアは渋々、腰を下ろす。合わせてナイトが片膝を付き、負った傷の一つ一つを目で追った。



「さっきは戦闘中でちゃんと治療できなかったからね。痛むところはない?」


「……別に、平気です」


「本当に? こことか、相当痛そうだよ」



 彼が示したのは、幻想獣使いコンジュラーの男に負わされた肩の怪我。骨が粉砕するほど手酷くやられたので、痛むのは当然だ。


 戦闘中はそれどころじゃなかったので然程気にならなかったが、意識した途端に鈍痛が増し、エレノアは顔を歪めた。



「まったく、素直じゃないなぁ。うちのお姫様は」



 肩をすくめたナイトが患部へ手をかざす。と、彼が親指に嵌めた銀の指輪が輝きを放った。


 戦場でも使っていた、治癒メディの魔術が込められた魔道具マディアナだろう。

 新緑の色を帯びた光がエレノアを包んで、傷を癒してゆく。


 しばらく、陽だまりのような暖かさを感じる治癒の光に身を委ねていると、ほとんどの傷は痛みごと跡形もなく消え去った。



「……とりあえずこんなところかな。でも、戻ったら一度、軍医に診てもらうんだよ」



 彼は纏っていた軍服の上着を脱ぎ、羽織らせながら「いいね?」と念を押してくる。エレノアの軍服は焼け焦げ、切り裂かれ、血とすすにまみれた状態なので、気遣ってくれたのだろう。


 こうまでされては、うなずく他なかった。


 けれど、エレノアは戸惑ってしまう。てっきり、開口一番は独断専行について言及されると思っていたのだ。



「何故、隊長は……咎めないのですか?」


「……咎めて欲しいの? 怪我をしたのは君だろう?」


「負傷したのは、私が勝手に突っ走った結果、自業自得です! なのに……」



 エレノアは膝の上で拳を握り締めた。



「どうして……どうして、私を助けたのですか? 優しく出来るのですか!」



 疑問が雫のように落ちて波紋を、自分でも理解しきれない感情の渦を生み出していく。


 「」と、エレノアは思った。


 ヴェインに転属してからというもの、彼らの言動に感情を揺さぶられる。

 それが、痛くて苦しくて。エレノアは握り拳に力を込め、唇を噛んだ。


 刹那の沈黙のあと。彼は翡翠のように心安らぐ色合いの瞳を真っ直ぐ向けて答えた。



「……放っておけないんだよ。俺は君の〝隊長〟だからね。上官が部下を気にかけるのは──いや、仲間を助けたいと思うのは、同然のことだろう?」


「そんな甘い考え、戦場では通用しません! 仲間であろうと、使えるものは利用し、不必要なものは切り捨てる。そうしなければ、思いを果たすことなど、出来はしない……!」


「エレノアの言うこともわかるよ。でも俺は……助けられるなら、助けたいんだ。〝戦えない〟俺の力が及ぶ範囲なんて、たかが知れているけどさ」



 苦笑いを浮かべ、自嘲めいて告げるナイトに苛立ちが込み上げる。



「隊長は、戦う力を持っているじゃないですか! 『助けたい』と願い『力が及ばない』と嘆くなら、表舞台へ出て才を揮うべきです!」



 エレノア自身は〝武で敵をほふる〟ことしか出来ない。だが、戦場では武を誇る者だけが英雄になれるわけではないと知っている。



「──貴方の力こそ、王国を滅するのに必要な力だ!」



 自分にはない才能を有するナイトを羨ましく思うと同時に、消極的な姿勢にはいきどおりを禁じ得なかった。



「あれほどの知略を持ちながら何故、無能と罵られることに甘んじているのですか! 私には……理解できません」



 怒りで身体が震えている。武器を手に何度死闘を演じても、エレノアが望む〝復讐〟にはほど遠い。


 だというのに、実現できる力を持った者は、ご覧の有様だ。


 「あの力が私にもあれば」と、切望せずにはいられなかった。


 エレノアの訴えを静かに聞いていたナイトは、ゆっくり瞼を伏せて──。


 しばしおもんばかったのち、空を仰ぎ見た。まるでどこかへ思いを馳せるかのように。



「……かつて俺も、君のように考えていた時期があるよ。奪われた悲痛を晴らすことに必死で非情に徹し、周りを顧みることなんてなくて……。ひたすら、戦いに身を焦がした。……だけど、結果は……色んなものを失った。奪ってしまった。俺自身の心の弱さのせいでね」



 過去、その力ゆえに禍根を残したのだと語るナイトの横顔に、暗い影が差す。


 そこに宿る悲痛な色は、悪夢にうなされ「帰る家はない」と呟いた日の姿と重なって見えて、胸に刺さったままの棘がジクリと痛んだ。



「だから、誓ったんだ。この力は〝敵を滅ぼすため〟ではなく〝守るため〟に揮おうってね。たとえ功績が認められなくても、無能とそしられようとも構いはしない」



 穏やかに告げるナイトの言葉は〝王国を討つためにこそ力を振るう〟エレノアとは対極の、あまりにも遠い考え方である。



「君が何を望み、求めているのか……痛いほどよくわかるよ。でもだからこそ、後悔して欲しくない」



 エレノアは息を呑む。


 ナイトの声はどこまでも穏やかで、決して責めることなく、憂いを帯びていた。自分の憎しみや焦りなど、とうに見透かされているのだと知り、恥ずかしくなる。


 「放っておいて」と吐き捨ててしまいたかったが、痛々しいほど優しい彼の視線が、それを許さない。


 わずかな抵抗に、目を逸らすことしかできなかった。



「憎しみは、何も生まない。復讐は、新たな憎しみの連鎖を生み出すだけだ」


「──だとしても……!」



 エレノアは反射的に反論しそうになるが、彼の瞳が放つ静かな意志に気圧され、それ以上言葉が出なかった。


 復讐に突き進むことこそが、自分の生きる理由。


 けれど、彼の言っていることが全くの見当違いではないことも……知っていた。躊躇いが、絡みつく鎖のようにエレノアの心を縛りつけていく。



「今は理解できなくてもいいよ。ただ、心の片隅に留めて置いて」



 夕刻の冷たい風が吹き抜ける中、ナイトの瞳が深くエレノアを射抜いた。


 彼は押しつけるわけでもなく、かといって突き放しもしない。ただ「忘れないで」と語る。


 エレノアは何かを言おうとして口を開きかけたが、声が出ない。ごくりと唾を飲み込み、胸を揺さぶる動揺を悟られないように、遠くを望んだ。


 連なる山稜が滲んで見えるのは、夕陽のせいなのか、自分自身の揺れる感情のせいなのか、わからない。



(……どうして、こんなにも胸が締め付けられて、迷うの……? 復讐を遂げられるのであれば、何を犠牲にしてもかまわないと、思っていたはずなのに……)



 唇をぎゅっと噛み締める。


 復讐を目的とする自分と、守るために戦う彼とでは歩む道が違う。理解し合えるはずがない。エレノアは必死に自分に言い聞かせた。


 沈みゆく夕陽が、どこか寂しげに長い影を地面へ落としていく──。

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