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第九話 炎に追われる黄昏、白銀に沈む慟哭 ≪後編≫

 ナイトは荒れた山道を駆け下りながら、耳元で揺れる通信の魔道具リンクベルに触れた。



「ヴァン、ブロンテ。もうすぐ着く、手筈通りに頼むよ」


『オーケー』


『りょ、了解だよ……!』



 リンクベルの向こうから「ガゴン」と重量感のある物の動く音が聞こえる。


 ネズミ退治へ赴いていた彼らには、王国軍の関与が判明し、エレノアが行動を起こした直後に作戦を通達してあった。


 ナイトは額の汗を拭って、後方を確認する。


 敵を逃がすまいと必死の様相で追って来る王国兵と、病毒を振り撒く三つ目の死黒鼠モルトラット、灼熱をほとばしらせる火鼠カソの群れ。雪崩れ込んでくる様子は地獄絵図だ。



火鼠かその数が予想以上だな……。あの男、よほど優れた幻想獣使いコンジュラーだと見える)



 視界の端にエレノアとアリファーンの姿が映る。

 エレノアは敵を牽制しつつナイトと同じく風の魔術で脚力を強化して走り、アリファーンは転移を駆使して攪乱かくらんのために跳び回っていた。


 こんな状態で走り回ること、かれこれ数十分だ。


 ナイトの体力はとうに底を尽いている。気力だけで棒のような足を懸命に動かしていた。



(……ほんと、きっつ……! でも、あと……少し……!)



 夕刻の陽光に照らされ、切り立った山間の狭間に開けた場所が見える。あそこが目的地だ。


 だが、目を凝らすと──そこには王国兵が布陣して待ち構えていた。挟み撃ちにすべく、兵の一部を先回りさせたのだろう。



「囲め! ここで始末するんだ!」



 ナイトたちがその場に足を踏み入れると王国兵の号令が木霊し、兵が一斉に武器を構えて押し寄せた。



「逃げ道を塞ぐのは、戦いの定石だね。エレノア、アリィ、ここが正念場だ! 持ち堪えて!」



 息を整える間もなくナイトが声を張り上げた刹那、エレノアが高く跳躍し、斬り下ろした剣閃が最前列の兵と死黒鼠モルトラットを薙ぎ払った。ひるがえり様に、脇から迫った兵士を叩き伏せている。


 一方のアリファーンは胡蝶が舞うような軽い身のこなしで兵たちの懐へ潜り込み、短刀を鋭く一閃。首筋を掻き斬られた敵が悲鳴を上げる間に、ナイトに迫った火鼠カソへ暗器を投擲し、的確に急所を貫いた。



(二人ともさすがだ。ただ──)



 ナイトは汗を振り払い、八方をにらむ。あの男、幻想獣使いコンジュラーの姿が見当たらない。



(あいつは俺を狙っていた。逃げた……とは考えにくい。どこかに潜んでいるのか?)



 奇襲をかける心積もりかもしれない、と警戒を厳にする。

 すべての条件が整うまで、油断は死を誘う毒にしかならない。



「……っ、はぁ……隊長、いつまで耐えれば……!」



 エレノアが焦燥の帯びた声を発する。


 傍目は傷が癒えたように見えても、万全ではないのだろう。呼吸が荒く、辛そうにしている。



「もう少し……もう少しだけ、頑張ってくれ」



 ナイトも銃を構えてエレノアの援護に何発か放つが、すぐにマナが底を尽きてしまい、大して敵の足止めにならない。


 戦いの才能に恵まれなかった自分を、心底恨めしく思うのはこういう時である。ナイトはギリっと歯を噛み締めた。次の瞬間。



「何か企んでいると思ったんだがぁ、そうでもなかったみたいだな!」



 頭上から鈍く低い声と共に、烈火を脚に纏わせた男が襲撃してきた。


 反射的に防御の姿勢で受ける。重力の加算された重みのある一撃にナイトの足が地へ沈んだ。


 「隊長!」とエレノアとアリファーンの叫びがシンクロして響く。



「俺は大丈夫……! 陣形を維持だ!」



 守護結界ラプロテージュの光の膜越しに衝撃と熱気が伝わる。直に受けたら火傷ではすまない攻撃だが、魔道具マディアナのお陰で痛みはない。



「ちっ、魔道具マディアナとは、姑息な真似をしやがる……!」


「悪いね。利用できる物は、なんでも活用する主義なんだ。君の攻撃は俺には効かないよ」


「ならぁ、通じるまで打ち込むだけだ!」



 エレノアを追い込んだ時よりも速くて鋭い炎の蹴撃が浴びせられ、耳元でピシリと亀裂音が響いた。


 守護結界ラプロテージュ魔道具マディアナはこれが最後の一つ。


 けれど、ナイトは余裕を滲ませて微笑んで見せる。



(〝兵は詭弁きべんなり〟だ)



 いかに不利な状況にあっても、悟られてはいけない。むしろ優位を装って機を待つ。これこそが勝利の秘訣だと、ナイトは心得ている。


 そして、その時はもう間もなく訪れだろう。



「そのすまし顔……気に入らねぇ」


「顔が整っているのは、生まれつきさ。そう嫉妬するなよ」


「オレが嫉妬? 笑わせるなよ!」



 片足を軸に回転を加えた一撃が横から入る。と、ピアスが砕け、破片が頬を掠め落ちて行った。


 つうっと雫の流れる感触が肌を伝う。

 目敏い男は、鮮血を目にしてこれでもかと口角を吊り上げた。



「クク、ご自慢の顔に傷をつけちまったな。ついに魔道具マディアナも打ち止めというわけだ」


「さてね。決めつけるのは早計じゃないかな。まだ切り札が残っているかもしれないよ?」


「ハッ。お前が何を隠していようと、怪しい動きを見せた瞬間、その首をひねり落としてやる。女どもも限界のようだぜ?」



 確かに、男の言葉は的を得ている。エレノアとアリファーンも消耗している上に、敵に間合いを詰められて後がなかった。


 この盤面を覆す駒は、ない。



「くそ、万事休す……か」



 項垂れて力なく呟いてみせると、男が「遊びは終わりだ」と満足げに笑った。パチン、と指を鳴らす音が響く。


 合図で攻勢に転じた敵が、ナイトたちを一カ所に追い詰めた。



「袋のネズミだな。……男は殺せ。女はこいつらの苗床にする」



 男が勝利を確信し、悠々と牙のアクセサリーを撫でた瞬間──地の底から響くような低い音が大地を揺らした。


 火鼠カソが小さな鳴き声を上げて、右往左往しはじめる。



「……どうした?」



 動揺したような火鼠カソの様子に、男が頬を引きつらせて周囲を見回す。王国兵も狼狽えている。


 は水のさざめき。ナイトたちに勝利をもたらす、喝采の轟音。


 地鳴りが一気に近づいたと思うと、山あいの向こうから多量の水が、白い泡沫を伴って流れ込んできた。



「なっんだぁ!? この水は!!」



 男が驚愕の声を上げる。

 せきを切って流れ込んだ膨大な水はゴウゴウと荒ぶる奔流となって、敵を飲み込んでゆく。


 ──ここに、策は為った。



「アリィ、撤退だ!」


「待ってましたわ! 隊長、エレノア、こちらへ!」



 すかさずナイトが指示を飛ばすと、アリファーンは地面へ短刀を突き立て幾何学模様の印を展開。


 ナイトは状況が飲み込めず呆けるエレノアを捕まえ「行くよ!」と手を引いて、アリファーンの元へ走った。


 水流が迫る中、ナイトは差し出されたアリファーンの手を取る。と、視界がぐにゃりと歪み、身体が光に包まれた。


 瞬きの浮遊感の後、立っていた場所が一変し、山間の谷が一望できる高台の上へと移り変わる。


 転移の影響で酔いを感じたナイトだが、口元を押さえて周囲を見渡す。



「よぉリーダー。大立ち回りだったな」



 声の聞こえた方へ視線を向けると、纏うローブと同じく黒塗りのライフルを構えて射撃体勢を取るヴァンと、隣には縦巻きの白金髪を風に揺らして佇む少女、スティーリアが佇んでいた。


 彼女の両手には、氷の結晶に見間違うばかりの透き通る〝マナの銃弾〟が浮かんでいる。



「はは、ちょっと肝が冷えたよね。でも、これで詰みだ」



 ナイトはスティーリアに歩み寄ると、その頭をやんわりと撫でながら銃弾を受け取り、ヴァンへと手渡した。ヴァンが無言で銃弾をライフルに込め、照準器を通して濁流に揉まれた兵や火鼠カソが必死にもがく眼下を睨む。



「隊長、さっきのは……それに、何を……?」



 いまだに状況を把握できないエレノアは、戸惑いの表情だ。ナイトは突き立てた人差し指を口元にあて、それから静かに照準の先を手で示した。



「見ていて。俺たちの勝利を祝う花が咲くよ」



 冷気が辺りに満ちて行く。凍える風が頬を撫で、一瞬の静寂の後。


 パァン──と、乾いた銃声が鳴り響き、ブレることなく一直線に氷の魔弾が地上へ射出された。


 着弾と同時に強烈な冷気が爆発し、氷雪が吹き荒れる。水に飲まれた一帯と敵が、極寒の絶対零度に晒されて、たちどころに氷漬いていく。


 その中で幻想獣使いコンジュラーの男だけが炎を纏って抵抗していた。

 鍛えられた技で砕き、炎の熱で溶かし、氷とせめぎ合う様はさすがというべきか。


 しかし、無駄な足掻きだ。


 二発、三発と乾いた音が続けば、男はよろめきながら動きを止めて、白銀の世界に誘われていった。



「……残念だったね、チェックメイトだ」



 王国軍の襲撃計画はここに潰える。


 山岳に咲いた氷花。不気味なほど澄み渡る光景を、ナイトは不敵な笑みを浮かべて眺めた。

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