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第八話 炎に追われる黄昏、白銀に沈む慟哭 ≪前編≫

 ナイトは、熱気に満ちた荒涼たる岩の合間から、美しき戦場の華を眺めていた。


 復讐に憑りつかれた彼女は、恐れを知らない。魔術で敵を圧倒し、燃え盛る炎を背に剣閃を煌めかせて舞う様は華麗であった。


 だが、それも束の間の事。


 炎の壁から召喚された獰猛な牙を剥く火鼠カソの物量と、幻想獣使いコンジュラーの男の猛攻に晒されて、華はあえなく地へ落ちた。


 彼女を見下ろして悠々と立つ男が、処刑を楽しむかのように笑っている。



(──ここまで追い詰められるとは。想定内だが、見ていて気分の良いものではないね)



 胸の奥に冷たい痛みが走る。


 エレノアが無茶をするのは予測していた。むしろ、彼女が単独で動くよう仕向けたのはナイト自身だ。


 けれど、こうして痛めつけられる姿を見るのは、決して愉快なことではない。エレノアのために必要な試練だと理解していてもだ。



「もう十分だ、行こう。牽制けんせいは任せるよ、アリィ」


「了解ですわ」



 隣で佇むアリファーンが頷くのを確認して、ナイトは地を蹴った。


 燃え盛る炎を纏った無数の火鼠カソに囲まれたエレノアが〝誰か〟に助けを求めた瞬間。


 ナイトは腕輪型の魔道具マディアナを空へ投げ放った。

 脚のホルスターに納めた銃を抜き、夕空を舞うそれを氷の属性を付与したマナの弾丸で射抜く。


 すると、耳をつんざく炸裂音が響き渡り、敵を穿うがつ氷雨の魔術が降り注いだ。


 そこに紛れてつばのない短刀を逆手に握ったアリファーンが、宙を裂いて男へ奇襲をかける。



「──ぉお!?」



 ナイトは不意をつかれて驚く男を横目に、怯む火鼠カソを追い越して、エレノアの手を握る。と同時に〝治癒メディ〟の魔道具指輪と〝守護結界ラプロテージュ〟の魔術が込められた魔道具ピアスを起動した。



「……まったく、無茶ばかりするな。『何かあったら、いつでも頼ってね』って言っただろう? 俺は君の〝隊長〟なんだからさ」



 魔術の護りが展開し、淡く青白い光の膜がエレノアと自分を包み込む。

 結界の外側を鋭い牙を剥き出した火鼠カソがひっかいている。だが、当分はこの防御を破れないはずだ。

 ナイトは全力疾走で乱れた息を落ち着かせながら、地面に伏す彼女へ視線を落とす。


 白い軍服は血と土にまみれてボロボロ。切り裂かれた衣服の隙間から覗く肌は咬創が無数にあり、火傷や打撲の痕で赤黒く腫れている。顔色は真っ青で、見た目にも酷い状態だ。


 エレノアは視線が合うと「……どうやって、ここに……」と苦し気な掠れ声を漏らした。



「簡単に言えば、アリィのおかげ。あらかじめ〝転移先〟にマークしておいた地点に、彼女が俺を連れて来てくれたんだ。……すごい魔術だろ?」



 そう言いながらナイトはエレノアを抱き起して、額に指輪をかざす。暖かな白い光が淡く揺らぎ、エレノアが負った傷を徐々に癒やしていく。



(ごめんね、本当はこんな目に合わせたくはないんだけど……)



 往々にして、人は失敗から学ぶもの。荒療治ではあるが、大火事を起こしてからでは遅いのだ。

 ナイトは複雑な心境を悟られぬよう優しく微笑みながら、彼女の唇の端を伝う血を拭った。


 結界の外で、甲高い鳴き声が上がり、金属の飛び交う音が聞こえる。

 顔を上げれば、アリファーンが持ち前の機動力を活かして、群れ合う火鼠カソの猛攻をかわしては匕首あいくちの鋭い一撃を男へ放っていた。



(アリィ一人ではあまり長く持たない。ぐずぐずしていられないな)



 ナイトは結界の様子を確認する。絶えず火鼠カソが爪や牙でガリガリと削っているため、微かな亀裂が生じていた。

 まだ大丈夫だろうが、油断は禁物だ。


 再びエレノアへ視線を落とす。

 痛みは残っていそうだが、目に見える範囲の傷は消えている。呼吸も正常に戻り、顔にも生気が戻りつつあった。



「良かった、だいぶ回復したみたいだね。どう? 動ける?」



 彼女は無言でうなずいたあと、汗ばんだ前髪をかき上げて眉を寄せる。



「……どうして、助けたのですか? 私は独断で……」


「それは後で。今は敵を排除して村を守るのが先だよ。動けるのならエレノア、君にも手伝って欲しい」



 ナイトはエレノアの瞳を見つめて問う。彼女はためらうそぶりもなく、大きく首を縦に振った。

 淡い紫に黄金の彩りが差し込んだ紫黄水晶アメトリンのような虹彩──神秘的で美しい彼女の瞳は、闘志を宿して燃えている。


 その意志の強さは賞賛に値するものだ。



「ですが、一体どうやってあの男を止めるのですか? 悔しいですが、あの男は強い。本気を出していれば、私はとっくに……殺されていました」


「……だろうね。今も余裕綽々と兵に静観させているし、嫌味な奴だよ。でも、そこが付け入る隙さ。まずは奴らを〝ある場所〟に誘導するよ。そこに勝利の秘策がある」



 にやり、とナイトは薄ら笑いを浮かべた。エレノアが訝し気に表情を変えるが、全てを説明している時間はない。



「ともかく、目指すのはここから西へ下った先の山間部だ。辿り着いてさえしまえばいい。あとはが上手くやってくれるから」


「……わかりました、西の山間部ですね」


「うん、頼んだよ。俺は援護に回るから、エレノアはアリィと協力して──」


「なーにをこそこそと話してやがる!」



 ナイトの言葉を遮って男の喚声が飛ぶ。時を同じくして、ピアスが割れて結界が砕け散り、気付くとかかとを振り上げる男の姿が目の前にあった。



「隊長、下がってください!」



 瞬時にエレノアが剣を拾って、斬り込む。男の背後からはアリファーンの投擲した刃が飛翔する。ナイトは彼女たちの足手まといになってはいけないと考えて、距離を取った。


 しかしながら、男の視線はエレノアとアリファーンのどちらでもなく、ナイトを捉えている。難なく攻撃を一蹴した彼が、鋭い目つきでこちらを睨んだ。さながら獲物を逃すまいとする猛禽類もうきんるいのようである。



「面倒だなぁ……目を付けられたかな。俺の戦闘能力なんて本当に、たかが知れてるんだけど……」



 独り言のように呟くと、耳聡く音を拾った男が唸るように答えた。



「直感が告げてるんだよ。〝あの人〟と同じニオイがするお前を、放っておくとヤバイってな。殺しておくに限る……!」


「うわぁ……獣のカン? でも、大人しく殺される道理はないよ。〝逃げるが勝ち〟ってね」


「ふん、逃げる獲物を追うのも一興だ!」



 指を鳴らす音を合図に、死黒鼠モルトラットを操る王国兵と火鼠カソを従えた男が襲い来る。ナイトは「鬼さんこちら!」と軽口を叩きながら、風纏加速レジェ・レゼールの込められたネクタイピン型の魔道具マディアナを起動して、脱兎の如く駆け出した。


 男の言う〝あの人〟──とは一体誰を指しているのか。

 密輸事件の犯人が口走った人物と同一か。または別の人物か。

 意味深な言葉には興味をそそられたが、悠長に問答していられるほどの余裕はなかった。


 走りながら、アリファーンへ通信の魔道具リンクベルを繋ぐ。



「アリィ、悪いけどエレノアと一緒にフォローを頼むよ」


『それは構いませんけど……大丈夫ですか?』


「まだ四つ、守護結界ラプロテージュ魔道具マディアナは残っているし、いざとなれば〝奥の手〟もある。全力疾走はキツイけど、何とかするさ」


『……わかりましたわ。お気を付けて、隊長』



 「アリィもね」と返して、ナイトは眼前の傾斜を滑るように降りて行く。ちらりと後方を見やれば、脇目も振らずに追って来る多数の敵が見えた。



(よしよし、いい感じに釣れているね。予定とはちょっと違うけど、このまま引き付けていこう)



 正直なところ、自分には向かない役回りだ。少し走っただけだというのに滝のように汗が流れ、息苦しくて足も痛い。

 だが、策を結実させるためには、泣き言など言っていられない。



(〝虎穴に入らずんば虎子を得ず〟だな)



 炎の熱気が背を焦がし、殺気が突き刺さる。飛び交う攻撃を受けて、耐久限界を迎えた守護結界ラプロテージュ魔道具マディアナが一個、二個……と砕け散るがナイトは冷静に、ただひたすら西の山間部指定のポイントへ向かって疾走した。

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