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第六話 凶事を飾る祝祭

 どこまでも晴れわたる青空の下、アウローラ城前の大広場は人だかりで賑わっていた。


 普段ならば式典や凱旋など、めでたい行事が行われる際に使用されるのだが——今日は〝祝いごと〟とはかけ離れた告知、「皇帝陛下が病に倒れたこと」を国民へ発表する場である。



(……だというのに、これは祭りか何かかな)



 スティーリアとともに広場を訪れたナイトは眉をひそめた。

 そう見間違うほど、城と広場は華やかに飾り付けが施されていた。これには衛兵たちもさすがに懐疑心が拭えないらしく、戸惑いを見せている。


 やがて、壮麗な旋律が鳴り響いた。すると、城のバルコニーの入口を守る騎士たちが剣を掲げ、その間からきらびやかな衣装を纏い、優美に長い金の髪を靡かせた皇太子ラウルスが姿を現わした。


 彼の顔に悲壮感は微塵も見られない。代わりに一種の高揚感さえ漂っている。


 一歩遅れてヒュドール元帥と、彼の娘である侯爵令嬢が姿を見せ、ラウルスに並び立つ。その後ろには皇太子派の上級貴族が几帳面に並んだ。



「親の凶事に……不謹慎」



 人波に巻かれぬよう庇っていたスティーリアが囁く。

 振り返ると、彼女は柘榴石ガーネットに見間違うばかりの紅い瞳を細め、今日は頭頂部で一つに纏めた白金プラチナの縦巻きロールを揺らして、バルコニーを見上げている。



「ティア、誰が聞いているかわからないよ」



 ナイトは「しー」と、引き結んだ唇に人差し指を添えた。


 皇帝が倒れたことは、本来ならば〝国家の一大事〟であり、慎重な取り扱いを要する。わざわざ大衆を集め、祝賀行事のように盛り立てるのは奇妙の一言に尽きる。

 スティーリアの言う通り「不謹慎」だ。



(まるで〝新しい時代が始まる〟とでも言わんばかりだね)



 ラウルスがバルコニーから広場を見下ろし、高らかに宣言をする。その内容を聴き取ろうと周囲が静まり、ナイトにも言葉の断片が届いた。



「既に聞き及んで入る者もいると思うが、皇帝陛下はしばしのご静養に入られる。だが、案ずることはない。大事をとっての措置であり、その間は私──皇太子ラウルスが皇帝陛下の名代を務め、国政を預かることになった! 皇国の更なる繁栄と平和のため、尽力するとここに誓おう」



 新王即位の如き、晴れやかな言い回し。拍手と歓声と、わずかな戸惑いに満ちた喧噪が人混みから巻き起こる。


 不意にスティーリアがナイトの服の袖を掴んだ。彼女の瞳は不安げに揺れている。ナイトは「ティア、行こう」と小声で告げ、沸き立つ群衆から離れた。城門方面へ足早に歩く。



(皇帝が病床に伏した非常事態を、あからさまな〝祝賀〟に変えてしまうとは……これも、ラウルス殿下──いや、ヒュドール元帥の策略か)



 視線を遠くバルコニーへ戻せば、衣裳をはためかせて胸を張るラウルスが、薄ら笑いを浮かべているのが見えた。


 対して、並び立つヒュドールは不気味に無表情を貫いている。彼が何を思い、考えているのか、未だに全容が掴めない。



(……ただ、確実なのは、このまま放っておけば皇国はあの人の手に落ちるってことだ)



 そうなった時、何が起こるのか──。

 少なくとも、ナイトの目指す〝恒久和平〟は遠い夢となる。



(これはいよいよ、悠長にしていられなくなったな……)



 行く末を憂い、ナイトがきつい眼差しをバルコニーに向けていると、「ルーネント隊長!」と呼び留める声があった。城の方から近衛兵が一人、駆け寄って来る。


 近衛兵には見覚えがあった。スレインの護衛の一人だ。おそらく、彼の使いだろう。ナイトは足を止めた。



「お疲れ様。もしかして、スレイン殿下が呼んでるのかな?」


「あ、はい。執務室へお越し願えますか?」


「了解、すぐに向かうよ。──ティアはどうする?」



 スティーリアと視線を交わせ問う。彼女はふるふると首を横に振り、小さな手がナイトの手に触れた。



「それじゃあ、一緒に行こうか」



 手を握り返すと「うん」とうなずく声が返る。


 凶事が一転して、祝賀ムードに包まれるという異様な光景を横目に、ナイトはスレインとの対話へ向かった。



❖❖❖



 スレインの執務室は、ひんやりとした静けさに包まれていた。

 背の高い書棚には膨大な書籍が並び、そのすぐ脇には地図や計画書の置かれた執務机が堂々と場所を取っている。


 部屋の中央にある応接用の豪奢なソファに、書類と睨み合うスレインが腰掛けており、ナイトが入室すると同時に顔を上げて笑みを浮かべた。



「やあ、ナイト。ごめんね、急に呼び出して」


「いえ。事態が事態ですから、当然でしょう」



 ナイトは軽く礼を取る。と、その後ろに隠れていたスティーリアがひょっこりと顔を出した。



「……スレイン、久しぶり」


「おっと、これは珍しい。リトルレディもご一緒でしたか。相変わらず可憐でいらっしゃいますね」



 スレインが菫青石アイオライトの瞳を柔らかく細め、爽やかな笑顔を浮かべる。美麗な顔も相まって、並の女性であれば落とせてしまう魔性の笑顔だが、スティーリアはスンとした表情だ。



「スレインは、相変わらず軽薄。……隊長マスターと同じ」



 ナイトとスレインは顔を見合わせ、乾いた笑いを浮かべる。辛辣しんらつだが、これもスティーリアなりのコミュニケーションだ。彼女はそもそも、嫌いな相手とは会話をしない。



「手厳しいなぁ。とりあえず、座ってよ」



 飄々ひょうひょうとした声音のスレインに促されて、ナイトとスティーリアは書類の置かれたテーブルを挟んで、対面のソファへ腰を下ろした。


 スティーリアはどこから取り出したのか、分厚い魔導書を膝の上で広げている。話の間、本の虫になることを決め込んだらしい。


 窓の外から、歓声混じりの声が微かに聞こえてくる。まだラウルスの〝発表〟は続いているのだろう。



「……皇帝陛下のご容態はいかがですか?」



 ナイトは率直に問いかけた。スレインは瞼を伏せて、静かに息を吐く。



「芳しくないね。持病を抱えているから、前々から体調に不安はあったが……先日、寝所で倒れて以降、昏睡状態が続いている。昨日は一時、意識を取り戻したらしいのだけど、またすぐに混濁してしまったよ。……侍医の話では快復の見込みは薄いようだ」



 ナイトは口元に手を添える。皇帝──アキレギア・クレマチス・ディ・アドラシオ陛下は、まだ齢にして五十前半。持病があるとはいえ、これほど急激に容体が悪化するものなのか。不可解な疑念を拭えない。



「ラウルス殿下が〝皇帝代行〟に選ばれた事実を、〝次代の王が誕生した〟みたいに大げさに演出しているのはそのせいですか。こうなると〝持病〟が本当であったかどうかも怪しいですね」


「毒を盛られていた可能性が……あると思うか?」


「〝絶対にない〟とは言い切れないでしょう。俺の知る限りでも、そういう暗殺向きの毒は多数あります」


「……そうか」



 短い言葉の中には、深刻な悲痛と諦念ていねんが混じり合っており、スレインは手を組み合わせて黙り込んだ。スティーリアが本のページをめくるかすかな音が、部屋に響く。



「正直、意外です」


「何がだい?」


「スレイン殿下にとって皇帝陛下は、決していい父親ではなかったのでは?」



 彼は皇帝の長子として生まれながら、身分の低い側妃を母親に持つため、皇太子に選ばれなかった。どんなに優秀だったとしてもだ。



「確かに、対外的に見れば父上は貴族の圧力に屈し、正妃の子を皇太子の座に据えた弱腰の王だと認知されている。……でもね、私は別に愛されていなかったわけじゃないと思う。生き残るために演じることを教え、帝王学を私へ授けたのは父上だからね」



 スレインは言葉の最後に「これ、秘密だよ?」と付け加えて、茶化すように笑った。そんな背景があることなど全く知り様がなかったので、ナイトは驚くばかりである。



「それはさておき、だ。皇帝代行となった愚弟とヒュドールにどう対処するか、が問題だよ。このままでは政治・軍事の両面で強大な実権を握られることになる」



 スレインが苦々しく言葉をこぼし、ナイトは大きくうなずいた。



「このタイミングで皇帝陛下が倒れたのは、やはり痛いですね。反旗を翻そうにも、まだ準備が整っていません。下手に表立って動けば皇国を二分しかねないかと」


「そうなんだよね。私が弟を牽制する動きを見せれば、皇位継承権を巡る争いと見なされる。王国との戦時下に内紛なんてことになったら、それこそヒュドールや、王国の思うツボだろう」



 盛大にため息を吐き出したスレインが、おもむろにテーブルへ手を伸ばす。しばらくして、書類の山から黒い封書を探り当て、それをナイトへ放り投げた。


 ナイトが器用に受け取り封を切ると──中にはラウルスの印章が押された短い文書と、ヒュドールと王国のやり取りを示唆する断片的な記録が入っていた。



「……ご婚礼の準備の裏で、まさかこのように大胆なことをされているとは」


「どう見ても、王国側への情報漏洩だよね」



 スレインが頭を抱えている。ナイト自身もドゥエル村の件や密輸事件の背景を探る中で、その影にラウルスとヒュドールがいる気配を感じ取っていたが、確信を得た形だ。



「このところ王国軍の襲撃頻度が増加していますが、ラウルス殿下とヒュドール元帥が故意に王国軍の侵入を許している可能性すらありますね」


「断定は出来ないけど、そう疑われても仕方ない状況だろう。現に敵は局地的に皇国の守りの薄い所を的確に突き、やけに内情に詳しい動きを見せている。これは間者が入り込んでいるどころじゃなく、かなり深い繋がりがあると考えるのが妥当だ」



 スレインが淡々と告げるほど、事態の深刻さが重くのしかかる。


 皇帝陛下の病状、皇太子ラウルスの急激な権力掌握、ヒュドール元帥の不透明な動き、そして増加する王国軍の襲撃——これらが一つに繋がれば、皇国全体を呑み込む厄災になるのは容易に想像できる。



「ですが、現段階では憶測の域を出ません。この文書も、彼らを糾弾する証拠としては弱い……。猶予はありませんが〝急いては事を仕損じる〟と言います。大事なのは〝誰が帝位に就くか〟ではなく〝どう舵取りするか〟でしょう」


「そうだね。その方向でさり気なく、まつりごとへ携わる貴族に働きかけて見よう。君の小隊、ヴェインにも引き続き頑張ってもらうよ」


「お任せください。取り急ぎ、明日からご要望のあった最前線への支援へ向かいます。その間、動きがあった場合に備えて、いくつか対応策を残して行きましょう」


「ああ。頼りにしている、軍師殿」



 微笑するスレインが顔を傾けると、漆黒を溶かし込んだ青髪が揺れた。ナイトは穏やかな笑みで礼を返した後、スティーリアへ視線を向ける。



「ティア、少しお願いがあるんだけど、いいかな?」



 黙読を続ける彼女が顔を上げ「お願い?」と、ナイトを見つめた。



「俺が不在の間、スレイン殿下に力を貸してあげて欲しいんだ。いざという時には君の根源ルーツを利用することになるけど……」



 スティーリアがナイトとスレインを交互に見やり、熟考する。


 しばらくして、彼女が出した答えは、



「……いいよ。その代わり、責任は取ってね。スレイン」



 条件付きの〝イエス〟だった。


 スティーリアは膝に乗せた本をパタンと閉じて、悪戯いたずらな可愛らしい笑みを浮かべている。



「あれ……ナイトじゃなく、私?」


「当たり前。わたしの根源ルーツが皇国を建国した〝大魔術師〟にあると明かせば、必然的に皇室で囲う流れになる。ラウルスは無能、無理。スレインしかいない」



 珍しくスレインが狼狽えた。何かを訴えかけるように菫青石アイオライトの瞳が向けられたが、ナイトは無言で「諦めろ」と首を横に振る。



 スレインはこめかみに手を当て、難しい顔で数秒うなった後──「わかったよ」と腹を括った。


 ソファから立ち上がったスレインがスティーリアの傍へ歩み寄る。膝を折って小さな手を取ると、手の甲に軽く口付けを贈った。



「これも皇族の務め、目的のためだ。お手柔らかに頼みますよ、マイリトルレディ」


「……うん。よろしくね」



 ナイトは二人の様子を傍目に、音を立てぬよう立ち上がって執務室を後にする。廊下へ出ると涼しい風が一陣吹き抜け、窓の外から歓声が聞こえた。



(ティアがあんな条件を出してくるなんて驚きだけど、悪くない。利用できるものは何でも利用しないとね)



 皇帝が倒れた凶事を〝慶事〟のように飾り立てる皇太子ラウルス。そして背後に控えるヒュドール。彼らが張り巡らす陰謀に対抗するため、ナイトもまた策略を巡らせる。

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