ナイトが率いるヴェイン小隊は、表では雑務を押し付けられる〝お荷物小隊〟。
しかし、裏方で人知れず担う任務は、王国の間諜や局地的な敵部隊の排除など——いわゆる〝暗躍〟が中心だ。
それは皇国にとって必要不可欠な行為でありながら、光の当たらない陰の領域でもある。
(さて、次の任務は……っと)
朱色に空が染まる夕暮れ時。書類の積み上げられた執務机に向かうナイトは、スレインを通じて受領した新たな任務の指令書を手に取った。
(……最前線、劣勢状態にある味方部隊の援護……か。王国軍の砦が近いな)
どのような策を講じようか、と思案しながら椅子にもたれる。
エレノアがヴェインの裏の任務に携わるようになってから、早いもので二週間が経つ。
それまでにこなした任務の数は大小合わせて数知れず。
ナイトは彼女の〝独断専行〟を視野に入れた作戦を練り込むようにしていた。
エレノアが勝手に動いても、被害や犠牲が出ないよう、常にリカバリー策を数通り用意しておくのだ。
(もっとも、エレノアの独断専行を許容しているわけじゃないんだけどね)
いずれは〝守るための力〟を理解し、皆と足並みを揃えてくれることを期待している。
だが現状は——その願いとは程遠かった。
❖❖❖
その日の深夜、深い闇が部屋に影を落とす時間帯。任務を終えて戻った隊員たちはいつものようにナイトの元を訪れ、任務の報告がアリファーンから手短に伝えられた。
「──以上です。今回の任務も〝想定外〟はありましたが、
視線をエレノアへ投げたアリファーンの言葉には、皮肉が含まれている。
エレノアは毎回任務の度に隊員と衝突を起こしているので、きっとまた何かやらかしたのだろうが──それを受け取ったエレノアが顔色を変えることはなく、むしろ誇らしげな表情で「お先に失礼します」と告げ、退出していった。
ナイトの「お疲れ様」という柔らかな労いの言葉も、聞こえていたかわからない。
居残った隊員たちは足音が遠ざかるのを聞き届けると、即座に不満を口にした。
「なあ、リーダー。いつまでアイツの好きにさせるつもりだ? 何度言っても作戦を無視しやがる。しかも終わったら『大した任務じゃなかったですね』なんて、どの口が言ってんだか」
ヴァンが執務室に備え付けられたソファへどかりと座り込む。腕組み足組み、しかめっ面で苛立ちが見て取れる。
ナイトは苦笑いをこぼした。
「ヴァンの言うことはもっともだよ。でも、君が言葉を荒げるほど、彼女は頑固に突き進んでしまう。時にはただ見守ることも必要じゃないかな」
「ハッ、リーダーは甘すぎんだよ。いずれ痛い目見りゃ、嫌でも分かるんだろうが……このままだとオレらが巻き添えを食うぜ? その前にどうにかしてくれよ」
ヴァンはエレノアの危うさに警鐘を鳴らしているのだ。ナイトは「わかってるよ」と肩をすくめた。
続けて、ヴァンの正面のソファへ座り込んだアリファーンが短刀を磨きながら、険しい表情で口を開く。
「あの子には〝チーム〟で戦っているのだってことを、いい加減認識して欲しいものだわ。〝自分が優秀だ〟と理解しているから、それを前提に〝自己完結〟しようとするのよね」
彼女の
「ごめんね。アリィにも苦労をかけるね」
ナイトは眉を下げた。エレノアの独断を織り込み済みとは言え、机上と実践はまったくの別物。仲間の命を預かるアリファーンの責任は重い。想像以上にプレッシャーを感じているのだと思った。
しかし、アリファーンは「いいえ」と髪を揺り動かす。
「これくらい……隊長が背負っているものに比べたら、可愛いものですわ。それに『エレノアに間違いを犯して欲しくない』隊長の気持ちも、よくわかっているつもりです」
彼女は短刀を鞘へ納めつつ、悲哀を滲ませた笑いを浮かべた。
アリファーンは、ナイトの過去を少なからず知っている。だからこその言葉、後悔──。
自分の罪を思い出して、胸に突き刺さる痛みをナイトは感じた。
束の間、感傷に浸っていると、
「……ボク、エレノアさんは、不器用なだけだと思うんだ」
と、扉の前に立つブロンテが呟いた。皆の視線が集まる中、ビクリと肩を跳ねさせた彼が言葉を続ける。
「みんなと、上手く連携が取れていないけど……コミュニケーションが足りなくて、気持ちがバラバラなだけだと……思う。だから、ヴァンもアリファーンも、も、もう少しエレノアさんに、優しくしてもいいんじゃないかな……?」
そわそわと自信のない様子ではあるが、そう訴える優し気な
「優しく、ねぇ。余計つけ上がるだけじゃねぇか」
「ええ。戦場では一つの判断ミスが死に繋がる。あの子と私たちのことを考えればこそ、厳しく接する必要があるのよ」
「だけど、エレノアさん、根は悪い人じゃないよ。仲間なのにいがみ合うのは、嫌だな……」
鬱憤を募らせ懐疑的なヴァンとアリファーンに反して、ブロンテは友好的な姿勢だ。彼の気質もあるのだろうが、一緒に行動することが多かった分、エレノアの本質が見えているのだろう。
(三人の考えは、どれもよくわかる。……でも、エレノアの〝慢心〟が〝孤立〟を招いた今の状況は──逆に好都合かもしれないね)
ナイトは会話を続ける三人の声を遠巻きに聞きながら、机の上へ視線を落とした。
地図の上に散らされた情報や走り書き、次の作戦に備えて二重三重に考えた策の下書きが広がっている。
(ここらが第二段階かな。次の作戦はきっと、大きく〝学ばせる〟転機になる)
ナイトは誰にも気付かれないようほくそ笑み、それから柔和な笑顔を貼り付けて、顔を上げた。
「みんなお疲れ様。みんながエレノアに対して、少なからず思うところがあるのはわかったよ。作戦の士気にも関わるし、俺の方でも改善策を考えてみる。とりあえず、任務で疲れているだろうし、今日はゆっくり休んで」
「頼むぜ、リーダー。仲間の死に顔を見るなんざ、まっぴらごめんだからな」
ヴァンが立ち上がり、ひらひらと手を振って扉へと向かう。
「結局、隊長任せになるのが心苦しいですわ。……あまり無理はなさらないで下さいね」
「こういうのは
長い
ブロンテが「お疲れ……です」と小さな声で礼を述べ退室すると、どこか納得のいかない様子を見せるアリファーンも、その後に続いた。
途端に、執務室は夜の静寂に包まれる。
ナイトは深く息を吐き出して、机に散らばったままの書類を整理していく。
エレノアを中心に、それぞれの思いが交錯するヴェイン小隊。彼らを隔たる溝は、現状では埋められそうにない。放置すれば崩壊を迎えるのは自明の理だ。
ナイトは暗がりの中で再度、作戦指令書を手に取り眺める。
「……どう攻略しようかな。難易度が高い分、成功すれば得難い達成感を味わえるのは、間違いない。……孤高のお姫様は、どんな演出がお好みかな」
フッと口元に笑みを浮かべ、振り返って窓から夜空を望む。引き伸ばされた暗雲が、煌々と輝く月を覆い隠してゆく様を、ナイトは静かに見つめた。
翌日、「皇帝陛下が病に伏した」との急報が届き、国内の情勢が一変することを──この時は知る由もなかった。