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第五話 埋まらない溝

 ナイトが率いるヴェイン小隊は、表では雑務を押し付けられる〝お荷物小隊〟。


 しかし、裏方で人知れず担う任務は、王国の間諜や局地的な敵部隊の排除など——いわゆる〝暗躍〟が中心だ。


 それは皇国にとって必要不可欠な行為でありながら、光の当たらない陰の領域でもある。



(さて、次の任務は……っと)



 朱色に空が染まる夕暮れ時。書類の積み上げられた執務机に向かうナイトは、スレインを通じて受領した新たな任務の指令書を手に取った。



(……最前線、劣勢状態にある味方部隊の援護……か。王国軍の砦が近いな)



 どのような策を講じようか、と思案しながら椅子にもたれる。


 エレノアがヴェインの裏の任務に携わるようになってから、早いもので二週間が経つ。

 それまでにこなした任務の数は大小合わせて数知れず。


 ナイトは彼女の〝独断専行〟を視野に入れた作戦を練り込むようにしていた。

 エレノアが勝手に動いても、被害や犠牲が出ないよう、常にリカバリー策を数通り用意しておくのだ。



(もっとも、エレノアの独断専行を許容しているわけじゃないんだけどね)



 いずれは〝守るための力〟を理解し、皆と足並みを揃えてくれることを期待している。


 だが現状は——その願いとは程遠かった。



❖❖❖



 その日の深夜、深い闇が部屋に影を落とす時間帯。任務を終えて戻った隊員たちはいつものようにナイトの元を訪れ、任務の報告がアリファーンから手短に伝えられた。



「──以上です。今回の任務も〝想定外〟はありましたが、無事に終えることが出来ましたわ」



 視線をエレノアへ投げたアリファーンの言葉には、皮肉が含まれている。


 エレノアは毎回任務の度に隊員と衝突を起こしているので、きっとまた何かやらかしたのだろうが──それを受け取ったエレノアが顔色を変えることはなく、むしろ誇らしげな表情で「お先に失礼します」と告げ、退出していった。


 ナイトの「お疲れ様」という柔らかな労いの言葉も、聞こえていたかわからない。


 居残った隊員たちは足音が遠ざかるのを聞き届けると、即座に不満を口にした。



「なあ、リーダー。いつまでアイツの好きにさせるつもりだ? 何度言っても作戦を無視しやがる。しかも終わったら『大した任務じゃなかったですね』なんて、どの口が言ってんだか」



 ヴァンが執務室に備え付けられたソファへどかりと座り込む。腕組み足組み、しかめっ面で苛立ちが見て取れる。

 ナイトは苦笑いをこぼした。



「ヴァンの言うことはもっともだよ。でも、君が言葉を荒げるほど、彼女は頑固に突き進んでしまう。時にはただ見守ることも必要じゃないかな」


「ハッ、リーダーは甘すぎんだよ。いずれ痛い目見りゃ、嫌でも分かるんだろうが……このままだとオレらが巻き添えを食うぜ? その前にどうにかしてくれよ」



 ヴァンはエレノアの危うさに警鐘を鳴らしているのだ。ナイトは「わかってるよ」と肩をすくめた。


 続けて、ヴァンの正面のソファへ座り込んだアリファーンが短刀を磨きながら、険しい表情で口を開く。



「あの子には〝チーム〟で戦っているのだってことを、いい加減認識して欲しいものだわ。〝自分が優秀だ〟と理解しているから、それを前提に〝自己完結〟しようとするのよね」



 彼女のつややかな唇から「ふぅ」と息がもれた。ナイトが不在の任務では、アリファーンに指揮を一任している。その気疲れからくるものだろう。



「ごめんね。アリィにも苦労をかけるね」



 ナイトは眉を下げた。エレノアの独断を織り込み済みとは言え、机上と実践はまったくの別物。仲間の命を預かるアリファーンの責任は重い。想像以上にプレッシャーを感じているのだと思った。


 しかし、アリファーンは「いいえ」と髪を揺り動かす。



「これくらい……隊長が背負っているものに比べたら、可愛いものですわ。それに『エレノアに間違いを犯して欲しくない』隊長の気持ちも、よくわかっているつもりです」



 彼女は短刀を鞘へ納めつつ、悲哀を滲ませた笑いを浮かべた。

 アリファーンは、ナイトの過去を少なからず知っている。だからこその言葉、後悔──。


 自分の罪を思い出して、胸に突き刺さる痛みをナイトは感じた。


 束の間、感傷に浸っていると、



「……ボク、エレノアさんは、不器用なだけだと思うんだ」



 と、扉の前に立つブロンテが呟いた。皆の視線が集まる中、ビクリと肩を跳ねさせた彼が言葉を続ける。



「みんなと、上手く連携が取れていないけど……コミュニケーションが足りなくて、気持ちがバラバラなだけだと……思う。だから、ヴァンもアリファーンも、も、もう少しエレノアさんに、優しくしてもいいんじゃないかな……?」



 そわそわと自信のない様子ではあるが、そう訴える優し気な琥珀色アンバーの瞳には、強い輝きが宿っている。



「優しく、ねぇ。余計つけ上がるだけじゃねぇか」


「ええ。戦場では一つの判断ミスが死に繋がる。あの子と私たちのことを考えればこそ、厳しく接する必要があるのよ」


「だけど、エレノアさん、根は悪い人じゃないよ。仲間なのにいがみ合うのは、嫌だな……」



 鬱憤を募らせ懐疑的なヴァンとアリファーンに反して、ブロンテは友好的な姿勢だ。彼の気質もあるのだろうが、一緒に行動することが多かった分、エレノアの本質が見えているのだろう。



(三人の考えは、どれもよくわかる。……でも、エレノアの〝慢心〟が〝孤立〟を招いた今の状況は──逆に好都合かもしれないね)



 ナイトは会話を続ける三人の声を遠巻きに聞きながら、机の上へ視線を落とした。

 地図の上に散らされた情報や走り書き、次の作戦に備えて二重三重に考えた策の下書きが広がっている。



(ここらが第二段階かな。次の作戦はきっと、大きく〝学ばせる〟転機になる)



 ナイトは誰にも気付かれないようほくそ笑み、それから柔和な笑顔を貼り付けて、顔を上げた。



「みんなお疲れ様。みんながエレノアに対して、少なからず思うところがあるのはわかったよ。作戦の士気にも関わるし、俺の方でも改善策を考えてみる。とりあえず、任務で疲れているだろうし、今日はゆっくり休んで」


「頼むぜ、リーダー。仲間の死に顔を見るなんざ、まっぴらごめんだからな」



 ヴァンが立ち上がり、ひらひらと手を振って扉へと向かう。



「結局、隊長任せになるのが心苦しいですわ。……あまり無理はなさらないで下さいね」


「こういうのは隊長の役目だからね。けど、心配してくれてありがとう」



 長い睫毛まつげの生えた瞼を伏せ、憂い顔を浮かべるアリファーンを安心させるようにナイトは微笑みを返す。


 ブロンテが「お疲れ……です」と小さな声で礼を述べ退室すると、どこか納得のいかない様子を見せるアリファーンも、その後に続いた。


 途端に、執務室は夜の静寂に包まれる。


 ナイトは深く息を吐き出して、机に散らばったままの書類を整理していく。


 エレノアを中心に、それぞれの思いが交錯するヴェイン小隊。彼らを隔たる溝は、現状では埋められそうにない。放置すれば崩壊を迎えるのは自明の理だ。


 ナイトは暗がりの中で再度、作戦指令書を手に取り眺める。



「……どう攻略しようかな。難易度が高い分、成功すれば得難い達成感を味わえるのは、間違いない。……孤高のお姫様は、どんな演出がお好みかな」



 フッと口元に笑みを浮かべ、振り返って窓から夜空を望む。引き伸ばされた暗雲が、煌々と輝く月を覆い隠してゆく様を、ナイトは静かに見つめた。






 翌日、「皇帝陛下が病に伏した」との急報が届き、国内の情勢が一変することを──この時は知る由もなかった。

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