エレノアは身を襲った衝撃に、足のバランスを崩して床を転がった。
「うおぉぉッ!」
怒声を上げたブロンテの背が視界の端に映る。鍛え抜かれた彼の腕が抱えるマナ機関銃が唸り、怒涛の魔力弾の奔流が、弧を描いて建物内部を薙ぎ払う。
ブロンテの牽制射撃が功を奏したのか、槍の男と
(身体が、痺れてる。雷撃を避け損ねた……? それとも──)
息を吸い込むと焼け付く痛みが喉に走ったが、呼吸を整えて周囲を注意深く見渡す。
すると建物の暗がり、棚の陰にフードを被った細身の人物が立っている。その手には
(魔術師……さっきの攻撃は、あのフードの男が放ったのね)
ツンと鼻を刺す匂いが、自分の焦げた衣服や焼けた皮膚のものだと気付いて、エレノアは歯ぎしりをする。
不意打ちの一撃を受け、結構なダメージを負ってしまったのが悔しい。けれど、潜伏していることに気付かなかったのはこちらの落ち度だ。
「エレノアさん、大丈夫……!?」
機関銃の弾倉を交換しながら、ブロンテが後退してきた。今にも泣き出しそうな悲痛な面持ちをしている。
エレノアは腰を落としかける脚に力を入れ、無理やり立ち上がった。
「大丈夫、動けるわ。ブロンテ、そっちの
「……わかったよ」
ブロンテが頷いた瞬間、真正面にいた
雷鳴と火花が
(この調子ならいける。〝指揮官だけ〟なんて、やっぱりぬるい。徹底的にやるわ!)
エレノアは腕に走る痛みを押し切って駆け出す。狙いは魔術師。マナの硝煙に紛れ、握り締めた剣を振った。
だが、魔術師へ刃が届く手前で光の膜に阻まれる。
(防御魔術……!)
待ち構えていたと言わんばかりに、魔術師の杖がエレノアに向いた。にやりと口角を上げた男が口早に文言を紡ぐ。
『疾駆せよ稲妻!
杖から樹木の枝ように伸びる紫電が
「こちらも忘れてもらっては困る!」
その背後から、指揮官の男の鋭利な穂先が迫った。挟み撃ちの状態、逃げ場がない。
肉を切らせて骨を断つ。エレノアは反転し、負傷を覚悟の上で指揮官の男へ一撃を見舞わせようとした。
「──ずいぶんと好き勝手にやってくれるじゃない、エレノア。〝想定外〟もいいところだわ」
皮肉まじりの声が天より降る。
いつの間にやって来たのか、
彼女はヘーゼルナッツ色のウェーブ髪を揺らし、指揮官の男へ短刀を投擲する。男は瞬時に槍を回転させ、アリファーンの放った正確無比な短刀を叩き落とす。
その間にエレノアは態勢を立て直すため一度、敵から距離を取った。
「貴女、作戦を台無しにするつもりなの? 余計な手間を増やさないで欲しいわね」
すぐ傍に降り立ったアリファーンが、
「……説教なら、後で聞くわ。今は指揮官を仕留めるのが先でしょ」
「ご立派ね。誰のせいでこんな苦労をしていると思っているのかしら。……まあ、いいわ。当初の予定通り指揮官を誘き出すわよ」
妖艶な躯体を見せつけるように前へ出たアリファーンが、指揮官の男と魔術師を交互に見やる。すると、魔術師はアリファーンの一挙手一投足からただならぬ雰囲気を感じたのか、彼女へ稲光の魔術を放った。
アリファーンは電撃をいなすように短刀で捌きつつ、建物の外へ向かう。エレノアがその後に続くと「逃がさんぞ!」と指揮官と魔術師の男が睨みを利かせて追ってくるのが見えた。
「上手く釣れたわね。後はヴァンの狙撃まで時間を稼ぎましょう」
その囁きにエレノアは無言を貫き、夜風が吹き荒れる中で剣を構える。
屋外での小競り合いは、アリファーンが忍ばせた暗器を魔術師へ投擲するのを合図に始まった。
アリファーンの短刀と魔術師の魔術、刃と紫電の応酬があちこちで閃く。
ブロンテも外へ出て来たが、もつれるように
(
エレノアは負傷の痛みなどすっかり忘れて口角の端を上げた。
「余裕そうだな? 仲間の助太刀で、慢心したか」
指揮官の男が唸りを上げ、槍のリーチを活かした突きの乱舞を繰り出す。エレノアは
「まさか。首級を討ち取れる喜びに、浸っていただけよ」
「言ってくれるな……精々楽しませてもらおう!」
男の槍さばきに鋭さが増した。これまで手加減していたのではないかと思う程に、勢いがある。
負傷している分、わずかに
そんな中、一つの戦いが決着する。
そこから戦況が大きく動く。
確かな手応えを感じたブロンテが、喜びを露わにして「よし……!」と拳を握り締める。
「くっ、オレの
ブロンテの姿を横目に捉えた指揮官が、ほんの一瞬足を止めた。
刹那、エレノアが剣戟を繰り出すよりも早く、「パァン!」と、乾いた音が遠くから鳴り響く。
ヴァンの狙撃だ。機を伺っていたのであろう、絶妙なタイミング。
弾丸は指揮官の喉元を貫き、赤い飛沫を撒き散らす。致命的な一撃を受けて、指揮官の態勢が崩れた。
「これで、終わりよ!」
横槍が入った感は否めない。けれど、エレノアは勝利を確実なものとするために、指揮官の男の胸に剣を突き立てた。
指揮官は断末魔を上げることも出来ないまま地へ沈み、あふれる雫が地面を黒く汚してゆく。
やがて、命の灯火は消え──大勢が決した。
アリファーンと交戦していた魔術師は、指揮官が倒されると「こ、降参する!」と、両手を上げて投降の姿勢を見せた。
それに
(……終わって見ればあっけないものね)
剣に滴る血潮を払い、闇夜に慣れた目で
エレノアの前でアリファーンが立ち止まる。小言を言われるのだろうなと思った。
「何ですか?」と言いかけた瞬間、彼女が手を振り上げ、そして、頬を張る小気味よい音が響き渡った。ブロンテが「アリファーン!?」と狼狽えている。
「エレノア、隊長の作戦を忘れたとは言わせないわよ。こんな馬鹿騒ぎを起こして……お陰で無駄な血を流すことになったわ」
尖った語調に責め立てる視線。エレノアは唇を結んで沈黙し、ジンジンと頬が痛む頬を手で押さえた。
そこへ上空からスタッと黒いローブをはためかせたヴァンが跳び降りてくる。狙撃銃を肩に掛けた彼は、三白眼で目つきの悪い瞳をさらに細めた。
「……ったく、余計な動きするんじゃねぇよ。射線を確保するのも楽じゃないんだ。どんだけオレらをヒヤヒヤさせりゃ気が済むんだ?」
ヴァンは忌々し気に吐き捨てて、舌打ちを一つ。作戦外の行動をした自分にも多少の非はある。だが、ここまで二人の風当たりが強いのは納得がいかない。
「ですが、私が動いたことで敵へ大打撃を与え、迅速に拠点を制圧出来ました。結果的に──」
言葉を続けようとしたエレノアに、アリファーンが視線を突き刺す。
「私たちの任務は、結果オーライが常に通用するほど甘くない。貴女が独断に走ったせいで、指揮官を仕留め損ねる可能性もあったのよ? あるいは私たちの内の誰かが命を落としていた可能性だってあるわ。チームとして動いている以上、勝手な行動は控えてちょうだい」
仮定など意味はない。エレノアは自分の正しさを主張したかったが、仲間を危険に巻き込むリスクを考慮していなかったのは事実だ。わずかながら後悔の念を抱く。
「……すみません……」
悔しさが先立ち、小さな声しか出ない。エレノアが眉を寄せて俯くと、ヴァンが大きなため息を吐き出した。
「リーダーも何考えてやがるんだか。先が思いやられるぜ」
「も、もういいんじゃないかな……エレノアさんなりに頑張ったんだからさ」
ブロンテがアリファーンとヴァンを宥めに入るが、険悪な空気に場が支配されている。
任務は成功したのに、何とも後味が悪い。
闇夜の中、雲の隙間から差し込む月光が拠点を照らす。数多く横たわる王国兵の亡骸を見下ろして、エレノアはぎこちなく剣を握りしめた。
〝守るために力を揮う〟と言ったナイトの優しい声が蘇る。
しかし、エレノアは〝復讐を果たす〟ために力を揮ってきた。そう簡単に生き方を変えることは出来ない。
ヴェインの隊員との間に埋まらない壁を感じつつ、それでも自分の成果は誇れるものだと信じて、エレノアは剣を納めた。