月が雲に隠れ、濃い闇が辺りを覆っていた。冷たい風が頬を切り裂くように吹きつける夜更け。
エレノアは闇夜にまぎれ、岩場の影から静かに敵の拠点を見据えた。
ここは南東の国境沿い。誰もが見向きしない
(……なるほど、情報通りね。切り立つ崖に囲まれ、鬱蒼とした木々の生い茂るこんな
今回の任務は、ここの指揮官を暗殺すること。ナイトの立案した作戦によれば、
一、エレノアとブロンテが正面から陽動をかけ、敵を混乱させる。
二、その隙にアリファーンが転移魔術などで指揮官を
三、仕留めるのは遠距離狙撃を得意とするヴァン。
四、想定外の事態が起きた時には、現場の判断を優先とする。
——ざっくり言えば、以上の流れだ。
出撃前、ナイトは「無茶をしないように」と強く念を押していた。だが、実際に現地を見ていると、エレノアの頭には別の考えが過ぎる。
(見張りの塔は入口に二つ。それも簡素なもの。拠点を囲っているのはただの木の杭だし、来る前に高台から見下ろした感じ、テントの数は五十にも満たない。……これだけ守りが薄いのなら、指揮官だけじゃなく拠点ごと壊滅できるんじゃない……?)
エレノアはチラリと隣へ視線を送った。
今宵のブロンテは、重々しく鈍い金属光を放つマナ機関銃を両腕に抱えている。鍛え上げられた彼の体躯だからこそ扱える代物だ。
そんな頼もしい武器を手にしていても、当人はいつもどおり緊張で落ち着かない様子である。
少し離れた
こちらはたったの四人。この作戦は人数差のハンデ、リスクを見越してのことだとわかる。
(でも、彼らが本気を出せばきっと、数の差など何の意味もなさない)
出来るのにそうしないのは「復讐は、新たな憎しみの連鎖を生み出すだけ」と言ったナイトの信念からだろう。
そんなことを考えていると、拠点の外を巡回する王国兵が数名こちらへ近付いてきた。
エレノアは岩陰に身を潜め、気配を殺す。夜風が木々をさざめかせ、あたりの音をかき消している。
やがて、至近距離で土を踏みしめる複数の足音が、はっきりと耳に届いた。
(来た……!)
エレノアは剣の柄に触れ、一呼吸の後、闇を切り裂くように飛び出す。
瞳に四人の王国兵の姿を捉えると一瞬で距離を詰め、悲鳴を上げる間を与えず一人を斬り伏せた。
「な、なんだ……! 敵襲──ッ!」
叫び声をあげようとするもう一人の兵の首筋を迷わず斬り裂く。残り二名が慌てて構えるが、その背後から轟音が響いた。ブロンテが機関銃の引き金を引いたのだ。
魔力弾の連射がマナの嵐となり、王国兵たちをなぎ倒す。凄まじい衝撃音が夜闇を貫き、兵が断末魔を上げて沈黙した。
「や、やったね、エレノアさん……!」
「次よ、ブロンテ」
静けさを取り戻した一瞬、拠点の方から「何事だ!」と怒号が聞こえる。こちらの思惑通り、拠点の正面から兵たちが押し寄せて来る気配がした。
陽動の第一段階は成功だ。
「そ、そうだね。こ、ここからが本番……!」
ブロンテが焦りつつも再装填を進め、エレノアは鋭い視線を拠点の入口へ向けた。
迎撃体勢を整えた王国兵が右往左往している。エレノアは躊躇なく地を蹴り、正面へ駆け出す。
「皇国の騎士エレノア・リュミエールがお前たちを討ちに来たわ!」
名乗ると同時に敵の中へ飛び込む。身体を回転させて斬りつけ、突き上げ、ブロンテの連射する魔力弾の援護射撃を盾に、兵たちを翻弄する。
敵兵が次々と倒れる様に、拠点には混乱が広がっていった。
エレノアの役目はここで時間を稼ぐこと。指揮官を誘い仕留めるのはアリファーンとヴァンの仕事だ。
──だが、思いの他、敵は大した脅威を感じさせない。
(やっぱり、わざわざ待たなくても、この調子なら拠点ごと一掃できそう)
指揮官以外を無理に殺す必要はない、とナイトは言った。しかし、簡単に攻め落とせる相手を見逃す手はない。
そこでふと思い至る。こういうに時こそ、作戦の〝想定外〟を活用すればいいのだと。
エレノアは口角の端を上げた。
「……ブロンテ、行くわよ。奥にいるであろう敵将を、私たちで仕留める!」
「え、でも……!」
「大丈夫。これだけ蹴散らしておけば、あとは少数だろうし、あなたの火力があれば問題ないわ!」
そう言うや否や、エレノアは駆け出す。ブロンテが「ア、アリファーンの合図は……!?」と困惑の声を上げるが、耳に届いていなかった。
闇夜に奏でられる機関銃の奔流を背に、エレノアは拠点の奥へと斬り込む。兵が必死に応戦しようと集結してきたが、ブロンテが弾幕張り、剣閃を走らせれば、なすすべなく地へ伏した。
「どこへ行く気だ!」
「と、止まれ!」
テントの陰に隠れていた数人の兵が、エレノアの前方に飛び出す。
「邪魔よ!」
エレノアは速度を落とさず、すれ違い様に兵の喉元目掛けて剣を振り、血飛沫を浴びる
やがて見えてきたのは、他の簡素なテントとは違う、堅牢な造りの建物。如何にもといった威圧感を放っている。
(ここね……!)
エレノアが扉を踏み破って突入すると、同時に後ろから冷たい風が吹き抜けた。
そこにいたのは、槍を構えた大柄な男。その脇には雷を纏う猛獣——
稲妻のごとき紋様が毛皮に走り、パチパチと雷鳴の放電する音が空気を震わせた。
「なるほど……侵入者はお前か。一人で来るとは見くびられたものだな」
作戦書で見た人相と一致している。この槍の男が指揮官で間違いない。
男は余裕を滲ませた笑みを浮かべながらも、瞳には鋭利な敵意を宿らせている。背筋が粟立つ殺気を感じた。それでもエレノアは、一歩も引かずに剣を構える。
「まとめて相手してやる!」
相手の先手を許さずエレノアが踏み込み、剣を下から上へ振り抜く。しかし、男の槍の柄によってあっさりと受け止められる。
刹那、左右から
エレノアは後ろへ飛び退き距離を取る。
同時に『女神ルクスよ、我に汝の加護を──』と短く詠唱し、剛速球の炎の弾丸を飛ばす魔術で反撃を試みた。
「器用な真似をする……!」
男が放たれた魔術の合間を縫って、突き進む。リーチを活かした一突きが、エレノアを襲った。
すんでのところで剣を突き出し防御するが、重い衝撃に肘が痺れた。
(相当な腕前ね……!)
追撃とばかりに逆手で槍の柄を振り下ろされる。エレノアは
(──このまま、決める!)
けれど、息を合わせるかのように
銀白の火花が舞い散り、耳をつんざく音が頭蓋を震わせる中、エレノアは小さく舌打ちする。
(
そう結論付け、剣を構えて転進しようとした瞬間。
「エレノアさん、危ない!」
ブロンテの怒号が背後から響いた。
直後、炎熱が身を焦がし、筋肉が痺れる感覚に襲われ、エレノアは息を詰まらせる。
(なに、が──)
視界の端に、焦燥の表情を浮かべたブロンテが、駆け込んでくる姿が映った。
肌の焼けるニオイが鼻をつき、ひりつく痛みが全身を駆け巡ってゆく。