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第十六話 悪夢と咎人の烙印 ≪前編≫

 ナイトは鉛のように重い瞼を開き、洞窟の静かな暗がりを見つめながらゆっくりと息を吐いた。


 隣でこちらへ視線を注ぐエレノアは、夜の寒気に頬を染めて、無言でその瞬間を待っている。



(……言葉を探しても仕方がないな。どう飾り立てたって、過去は変わらないんだから)



 エレノアの前で偽りを重ねる気はない。もし嫌悪され、軽蔑されてしまうなら、その時は受け入れるしかないのだ。



「少し長くなるけど、いいかな?」



 絞り出した声を落とすと、エレノアは小さくうなずいた。


 ナイトは肩をもたれる岩肌の感触を確かめ、閉じかけていた瞼を開く。いつもより身体は弱っているが、不思議と心は落ち着いていた。



「──俺とアイナは、とある領地の、領主ロードに仕える下級貴族の家に生まれた。アイナとは五つ違いの兄妹」



 ナイトはゆっくりとした口調で語り聞かせる。


 両親はとても優しい人たちだったこと。

 母は剣の使い手として名高い女性騎士、父は知見があり魔術にも長けた文官として、ともに領主ロードを支えていたことを。


 そんな二人の間に生まれたナイトは〝武を継ぐか、魔術の才を得るか〟。

 周囲からの期待を一身に受けるが──残念ながら、どちらの才能も開花しなかった。



「だからと言って、両親は俺を見捨てたりしなかったよ。アイナが生まれてからもね」


「愛情深いご両親だったのですね」



 ナイトは頷いて、微かな笑みを唇に浮かべる。周囲がなんと言おうと、両親はいつだって平等に愛情を注ぎ、優しく支えてくれた。



「才能を受け継がなかった代わりかな。俺は幼い頃から、並外れた記憶力を持っていてね。〝完全記憶能力〟って、エレノアは知ってる?」


「聞いたことはあります。一度見ただけで記憶する異能……ですよね」


「そう。一度見聞きしたことは瞬時にここへ記録され、絶対忘れられないんだ。それがどんなことであっても」



 ナイトは指先でトントンと頭を突いてみせる。エレノアがごくりと息を飲んだ。



「すごい……能力ちからですね。そんな異能が自分にあったら、世界を見る目が変わりそうです」


「みんなそうだと思ってたから、特別なことだって自覚はまったくなかったけどね」



 感心するエレノアを横目に、ナイトはから笑いを浮かべて瞼を伏せる。



「それに……そんな異能があっても俺は無力だった。あの日、それを嫌と言うほど思い知らされた」



 それは十四年前、ナイトが十二歳を迎えた年に起きた。

 故郷シュトラールでの悪夢──。


 山が天然の要害となっていた故郷は、国境近くにあっても王国の侵略を受け辛く、戦争とは無縁の平和な地。その認識が一瞬で覆された。



「故郷が王国軍に攻め入られた日のことは、どんなに忘れたくても鮮明に思い出せる」



 いつもと変わらない日常の流れる日だった。


 ナイトは幼馴染であり、将来仕える主でもある領主ロードの跡取りのグラディオとともに学びを受けていて、その最中に襲撃を報せる警鐘が鳴り響いた。



「俺は、家族のことが心配で……引き止める友人の手を振りほどいて、邸宅へ走ったよ」



 脳裏に刻まれた映像が次々と再生される。


 邸宅へ向かうまでに見たのは、大挙して押し寄せた王国軍が放った炎に飲まれる街の光景。


 兵の使役する魔獣が、容赦なく住民を虐殺する場面。


 最期まで諦めず戦った両親が魔獣に食まれ、惨たらしい死を迎えるさま


 そして、屋敷に取り残されたアイナが、炎の中へ消えてゆく姿──。


 血のニオイ、燃え盛る炎の暑さまでも克明に思い出せる。



「何もかもが、手の中からこぼれ落ち、目の前で消えていった」



 せめて剣をまともに振るえれば、奴らに一太刀浴びせられたかもしれない。けれど、ナイトにはそれすら出来なくて。


 込み上げる思いに目頭が熱くなって、鼻の奥がツンとした。



「何も出来ないまま、俺自身も魔獣の手にかかり、死の淵を彷徨った。……そして、運よく生き延びてしまった。目が覚めて、一人生き残ったことを知った時は……絶望、したよね」



 〝守護する者ナイト〟なんて大層な名前を持っているくせに、何一つ守れない。

 無力な自分が許せなかった。



「いっそあの時、死んでいれば……って、何度思ったかな」


「隊長……」



 悲痛な面持ちのエレノアに「今はそんなこと思ってないけどね」と苦笑いを浮かべてフォローしつつ、呼吸をするたび走る胸の痛みをこらえて、ナイトは息を吐く。



「俺は、別の領地で暮らしていた親戚夫婦に引き取られることになったんだけど……あんな経験をしたあとで、平然と日常に戻るのは難しくてね」


「……わかります。私も父を亡くした時、そうでした。哀しくて苦しくて、消えない痛みが、ずっと胸にあって……」



 エレノアが伏し目がちに胸の前で拳を握った。ナイトはそんな彼女を横目に、天井を仰ぐ。



「俺も同じだ。寝ても覚めても、あの日の悪夢が纏わりついた。己の無力を恨み、大切なものを奪った奴らを憎み——生かされた意味すらわからず、女神を呪ったこともある」



 そうして、行き場のない負の感情を募らせたナイトはやがて、心に〝復讐〟の感情を芽吹かせた。



「この思いを晴らすため、いつか必ず家族の仇を討ってやるって誓った。そのために強くなるんだと、養父母の反対を押し切って士官学校へ進んだ」



 拳をきつく握り合わせて絞り出す声に、エレノアは覚えのある痛みを感じ取ったのだろう。

 「隊長も、復讐を……」とうわごとのように呟いて、そっと瞳を伏せた。



「けど、俺は剣も魔術も面白いくらいに才能がなくてね。いくら頭が回っても士官学校では常に落ちこぼれ。最弱、無能って散々馬鹿にされたな」



 苦笑いすると、エレノアは何か言いた気に唇を動かしたが──。

 結局、言葉を発することなく唇を結んでしまった。


 物憂げなエレノアの眼差しを受けながら、ナイトは魔術の光源が作り出す影の揺らめきを見つめる。



「そんな時さ、出会ったんだ。恩師に」


「恩師、ですか?」


「うん。今となってはそう呼べるかも怪しいけど……俺は彼の下で〝知略〟を武器とする〝戦術〟を学んだんだ」



 ナイトが生まれ持った〝完全記憶能力〟と、人よりも回転の早い思考は、戦況を読み戦術を組み立てる上で絶大な強みとなった。



「武器を手に取らなくとも、知略で敵を殺せることを知って歓喜したよ。これで復讐が果たせる……! ってね。

 恩師との出会いが、俺の人生を大きく変えたんだ。いい意味でも、悪い意味でも……」



 今にして思えば、あそこが分岐点だ。


 当時、怒りに眼を曇らせず、ほんの少しでも足を止めて視野を広げることが出来ていれば——あんな悲劇を引き起こすこともなかっただろう。


 悔恨の吐息とともに、ナイトは組み合わせた手に力を籠める。



「……〝イーリスの悲劇〟は、エレノアも、知っているよね」


「我が軍の攻撃に対し、王国側が報復としてイーリスの住民を虐殺、都市を滅ぼした史実……ですよね。とある軍師の進言した〝殲滅作戦〟が引き金になったと、以前アリファーンが……」



 紫黄水晶アメトリンの瞳が、落ち着きなく揺れた。もしかしたらエレノアは、これから口にしようとしている事実に気付いているのかもしれない。


 そう思ったら、己が犯した過ちを彼女に知られるのが、堪らなく怖くなった。


 風の慟哭が耳朶を騒がせ、ひんやりとした空気が肌を刺す。

 身体が震えて、心臓も痛いくらいに鼓動を早める。


 ナイトはしばし深呼吸を繰り返して──どうにか気持ちが落ち着いた頃。


 エレノアと視線を結び、続きを紡いだ。



「……俺なんだ。〝イーリスの悲劇〟を引き起こすきっかけを作った軍師っていうのは。他でもない、俺のことなんだよ」



 息を飲んだ彼女の、紫黄水晶アメトリンの瞳が大きく見開かれる。


 場に流れる空気が急激に温度を下げ、凍り付いたように静寂が訪れた。

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