夜の
石畳の道は湿気を含み、車のヘッドライトがぼんやりと滲む光を投げかけていた。
時折、ガリガリと音を立てて遠ざかるエンジン音の合間に、歩行者の靴音とかすかな風の音が聞こえる。
街の一角には、まだ灯りのともる店舗がちらほら残っていた。パブの黄色い光が小道にこぼれ、酔客の笑い声が夜の静けさをかすかに破る。
通りに面する「マルグレーン骨董品店」は、その中心に佇んでいた。昼日中では艶やかに人目を引く濃緑色の扉には「閉店」の看板がぶら下げられ、店の端から端までを木の格子がぐるりと囲んでいる。その合間から見えるのは厚いカーテンに隠された張り出し窓のショーウィンドーで、今はただ静かに眠りについているようだった。
その小さな骨董店の二階。
家族が一日の疲れを癒し、団欒の時を得るプライベートな場所で、三人の男女が顔を突き合わせ真剣な表情をしていた。
「―――これで、また君の負けだな」
アルフレッドがにやりと笑い、手札をテーブルに広げる。
うそでしょぉ、と小さく悲鳴を上げて、ハリエットは白い手袋を嵌めた手で頭を抱えて、机の上に突っ伏した。
「おいおい、冗談だろ。ストレートフラッシュか!」
ジェイドがやるな、と机を叩き、茶色のビール瓶を天井に掲げる。
「イカサマだわ……」
ハリエットの声は震えていた。これで四連敗である。
腕の隙間からアルフレッドを見上げれば、真正面に座る彼の表情はご機嫌そのものだ。
「いや、ルールはちゃんと守っている。嘘じゃないよ」
アルフレッドがさらりと言い放つと、ひらひらと両手を振ってみせた。
シャツの袖を肘まで曲げているところを見ると、カードを隠す場所がないように見える。
足元に散らかしていやしないかしら、と行儀悪くテーブルの縁を手で掴んで下を覗き込むが、見慣れた自宅のリビングの床が見えるだけだ。
ちらりと視線を投げると、いつもは兄にべったりの猫のエイトが、アルフレッドの足元で体を丸めて眠っている。こちらの気配に気づいたようで、退屈そうに目を細めたと思ったら、もふもふのしっぽを大きく揺り動かすと、大きな欠伸をしてそっぽを向いてしまった。
猫にまで見放されてしまった、と愕然としていると、頭上から声が降って来た。
「さ、罰ゲームだ」
アルフレッドはテーブルの中央に置かれているスコッチの瓶を取ると、ハリエットの目の前の空のショットグラスに注ぐ。
「くっ!」
とうとう堪えきれず、ハリエットは机を叩いた。
「ハリエット、声が大きい。母さんが驚くだろう?」
ジェイドがやんわりとたしなめるが、妹の怒りは収まらない。
「どうしてこんなに強いのよ! 信じられない。なんで兄さんじゃなくて私ばっかり負けるのよ!」
「君にはポーカーフェイスが必要だな。表情が読め過ぎて簡単に手の内が分かる」
「……もういい」
ショットグラスを掴み、ハリエットはスコッチを一気に飲み干した。喉が焼けるような痛みが広がり、数回咳き込む。
「じゃあ、ハリエット――聞いてもいいかな?」
アルフレッドが手元のカードを整えながら、質問を投げかけた。南洋の海を思わせる瞳が艶やかに煌めき、向かいで難しい顔をしているハリエットに視線を向ける。
「なに?」
勝者は敗者に一つ聞きたいことを聞ける、という追加ルールを作ってゲームを始めた兄を忌々しく見据え、ハリエットは刺々しい声で応じた。
これで四回目だからもう何でも来いだ。
アルフレッドは一瞬ハリエットの手袋を見たが、すぐに視線をカードに戻し、両手で集めて揃えながら質問を口にする。
「駐車場にあるあのクラシックカー、君の趣味?」
「父さんの形見よ」
彼が言っているのは、家具搬入路も兼ねた裏手のインナーガレージに停めてある古い車のことだ。父が生前大切に使っていた車で、詳しいことはよくわからないが、デザインだけは気に入っている。
「へぇ。趣味がいいね。シエットなんて骨董品以上の価値があるんじゃないか?」
「馬鹿にしてるの?」
ハリエットが鋭く返すと、アルフレッドは肩をすくめて笑った。
「そんなことないさ。褒めてるだけだよ。被害妄想だな、ハリエット。……で、あれは君が運転するの?」
その時、ジェイドが何かを察したのか、急に体を動かしてアルフレッドに耳打ちするように小さな声でふわっと告げる。
「ハリエットとのドライブは崖を昇るようなスリルが味わえるぞ、アルフレッド」
「ジェイド!」
マジで、と手を横にスライドさせながら、意味ありげに低く言葉を押し込んだ兄の背中をハリエットは軽く叩いた。
「君、まさか運転が……」
「そんなわけないでしょ! 普通よ、普通! 人並みくらいには運転できるわよ!」
アルフレッドがジェイドに視線を向けると、ジェイドは体を逸らし、ビールの中身を一気に飲み干した。
「あとで覚えてなさいよ」
怒りを滲ませた双眸で兄を捉えながら、ハリエットは机の上を片付け始める。
「もう一度?」
とんとん、とカードの端を揃えながらアルフレッドが悪戯っぽく微笑むのを、ハリエットはげんなりとした瞳で制し、グラスを机の中心に集めながら首を横に振った。
「明日はティアーズに下見に行くんでしょ? もうおしまい。これ以上は絶対にやらないわ」
「やけに殊勝じゃないか。いつもだったら勝つまでやるのに」
カラカラと明朗な声でからかう兄にハリエットは厳しく視線を投げ、その手からビールの瓶を奪い取った。
「その顔。どうして君が僕と一緒にティアーズに行かなきゃならないのかって顔だね」
ちびり、とスコッチを舐めながら、おどけたように肩をすくめるアルフレッドをハリエットは白い目で見やった。
そうなのだ。
明日、ハリエットはアルフレッドと共にティアーズに赴くことになっていた。