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第10話.忘れ得ぬ時間

 オークションは五日後に開催される。


 出品予定の商品が明日まで公開展示されているということで、見に行くこととなったのである。


 アルフレッドがオークション会場に行けると聞いて、これで安心だと手放しで喜んだのだが、直後、アルフレッドの口からとんでもない言葉が飛び出した。


、ってなんで私が!)


 ヘンリー曰く、招待するのはごり押しで何とかなるにしても、身元の不確かな新参者の人間を中でふらふらさせるわけにはいかないそうだ。アルフレッドは見た目こそ洗練されているし、身のこなしも上品だが、どこか得体の知れない胡散臭さが漂っている。


 もっともな意見だが、その目付け役として、ハリエットが指名され、断る暇も与えられないまま、なし崩しに合意をさせられた。


 当日の役割はこうだ。


 ハリエットはヘンリーの相談役兼「鑑定士」として、アルフレッドは宝飾関係の取引先の人間という形でオークションに同席する。


 これはヘンリーが提案したもので、アルフレッドが意図したものではない。


「まさか彼が、フェレイユ本店の最高経営責任者であるだけでなく、ティアーズの総支配人のご子息とはね。恐れ入ったよ」


「いやぁ。広い世の中だけど、意外と狭いよな。……俺もいい友達に恵まれたとつくづく思うね」


 うんうん、と腕を組んで、しみじみと何度も頷く兄にハリエットは喧々とした感情を隠しもせず、じとりと見つめた。


 兄は目線を逸らし、あらぬ方向を見た。何か隠し事がある時の態度に、ハリエットは薄く目を細めた。


「納得できないわ。ジェイドでもいいじゃない」

「俺は仕事。明日も仕事。ずぅーっと、仕事」

「私だって仕事よ! それに、こんな胡散臭い人と一緒に行けっていうの? 会ってたったの数時間だけど、この人何をしでかすかわからないわよ!? …入札権もないくせに、何をしに行くんだか」


 いきなり指環を買ったかと思えば、今度はティアーズに行きたいと言い出し、さらに強運だけで約束まで取り付けた。その強引さには正直脱帽するしかないが、世の中すべてをゴリ押しで解決できると思われては困る。


 世間が困らないとしても、巻き込まれるハリエットにとっては大迷惑だ。


「おや、ハリエット。お酒が回って本音が飛び出したのかな? そろそろ夜も更けてきたし、英気を養う意味でも眠ったらどうだい?」


 アルフレッドは椅子に掛けてあったジャケットを掬い上げて着直すと、胸ポケットから懐中時計を取り出し、目を軽く伏せながら言った。


「結構よ。余計なお世話。……それからもう一つ。なんでホテルにいるはずの貴方がうちにいるのよ」

「そりゃ母さんが泊ってけって言ったからだよ。なぁ、アルフレッド」


 新たなる友情に乾杯、とビールに口を付けた兄をハリエットは呆れたような表情で見やった。


 数時間前のことを思い返す。


 事務室でヘンリーとアルフレッドがなにやらピリつく空気で話し始めたので、「兄の様子を見てくるわね」とハリエットは一時退散した。


 部屋を出るとすぐ、階段から軽やかな足取りで兄が下りてきた。お茶を淹れてくると言ったのに、手ぶらでやって来た挙句、「二人はどうしたんだ?」とのんきなことを言ったのである。


 信じられない、と文句を言おうとしたところ、兄の背後から無言の圧力を感じ、そうっと顔を向ければ母が底冷えのする表情を浮かべ仁王立ちしていた。


 どうやら買い物を終えて店先を通ったところ、営業時間なのに「臨時休業」の看板がかかっていて、施錠はされているが電気がつけっぱなしということで、何が起きたのか心配だったそうだ。


 廊下の小さなホールで母にヘンリーと、指輪を購入してくれたアルフレッドを紹介すると、二人を見るなり大喜びし、夕食に誘ったのだった。


 ヘンリーは一時間ほど前に帰宅し、アルフレッドもホテルへ帰るのかと思っていたが、何故だか居座り、母と談笑しながら食器の片づけをして、そして先ほどまで一緒に仲良くポーカーをしていたというわけだった。


「おいしいご飯。あたたかな家庭。いいね、ハリエット。君は僕が欲しいものを全部持ってるよ。そこいらの億万長者なんかより、よっぽど貴重な宝物を持っていると僕は思うね。――あ、それに君のリンゴのタルトもおいしかったよ、ご馳走様。君はいい奥さんになりそうだね」

「それはどうもアリガトウ」


 手放しで喜べないのは、オークションのことが頭をちらついて離れないからだ。


「あなたにだって家族はいるでしょう?」


 恨みがましくどんよりと沈んだ声で返せば、アルフレッドは懐中時計を胸ポケットにしまい、何でもないことのように答えた。


。でも、僕は施設で育ったからね。家族の愛情とかそういうものとは縁遠い」


 失言だぞ、と兄が机の下で軽くハリエットの足を蹴った。兄に指摘されるまでもなく、ハリエットは口を押えてすぐさま謝罪する。


「ごめんなさい、アルフレッド。そんなつもりじゃ…」


 だが、アルフレッドは一瞬の沈黙を破るように、穏やかな微笑みを浮かべて言った。


「昔の話だよ、ハリエット。それに、そのおかげで今の僕があるとも言える。そうだろ?」


 どう返すべきか迷い、思考を彷徨わせていると、隣にいたジェイドがゆらりと動く。


 壁にかかった家族写真に目を止め、まるで過ぎ去った記憶に思いを馳せるかのように、静かにビール瓶をゆっくりと掲げ、次いでアルフレッドに顔を向けた。アルフレッドはスコッチを、ジェイドはビールを目線の高さに合わせてから口につけ、しばし沈黙が下りる。


 ややあってアルフレッドは天井に一瞬視線を送ると、気まずい表情のまま固まっているハリエットに向き直る。


「ところでハリエット。――とはどういう関係?」

「……はい? 彼? 誰の事?」


 顎先に片手を乗せ、テーブルに肘をついた状態でアルフレッドが艶っぽい視線で問うてきた。



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