「んー……」
暖かい。ふかふかのお布団。毛布も手触りいいなあ。仕事を一気に片付けて凝り固まった筋肉が、ほぐれていく感じがする。幸せー……。
あれ?
私、いつお布団に入ったんだっけ。肌触り最高のシーツ、これ、ホテルのだと思うけど……帰ってきた時の記憶がない。エレベーターまでの記憶しかない。エレベーター……あれは会社の……ん?
ん?
んん?
隣に手を伸ばしても、空気と寝具しかない。シーツの上は、ずーっと平坦。いつもは、すぐ行き止まりなのに。がっしりして頼りがいがあって、私をすっぽり包んで離さない、あの人はどこ?
布団にくるまったまま、もぞもぞ動いてみる。体を移動させても、まだ見つからない。もうちょっとかな? 広いベッドだなあ……ここ、どこ……。
「かずきさーん……」
眠気が絡まって、言葉がたどたどしい。夢見てるのかなあ。あなたがいない夢なんていやだな。だって約束したもの。
「いっしょに、いるの……わたしたち……やくそく……」
左手の小指に、何か触った。絡まってくるのは、あなたの指? 見つけた、一輝さん。
「ああ、約束だ」
深い声。私の世界、全部包んでくれる。
「お帰り、灯里」
「ただいま……?」
ぽやぽやと、意識が途切れたり浮上したり。あ、抱きしめてくれてる。うん、これでいいの――。ふふっ、石鹸のいい香り。
「よくおやすみ」
「はぁい……」
ここが私の眠る場所――。
朝。目覚めた場所は、ホテルでもアパートでもなかった。
「は? 会社……」
初めて見る部屋だけど、造りでわかる。社長室の中の仮眠室だ。
「と、いうことは」
おそるおそる首から下を見ると、もこもこのパジャマに覆われていた。会社でパジャマ……。
「あり得ない……」
小さな窓にはブラインド。隙間から外を覗くと、世界は雪解け。朝日が、白い覆いを光に変えていく。
「そうだ、昨夜……」
エレベーターに乗ったのは覚えてる。どうやってこの状況になったのかは思い出せない。確か眠気に襲われて……。
「うわ、まさかお姫様抱っこ……」
エレベーターホールからここまで。秘書が社長の手をわずらわせてどうするのよー! 一輝さんならやりそうだと、容易に想像できるのがまた……。
彼の気配はない。隣に寝ていたのは、シーツの皺でわかる。枕とシーツの間にメモがあった。
『朝食を買ってくる。今日は午前中休みだと思ってゆっくりしてろ』
「そういうわけにもいかないでしょ」
呟いて、メモの続きを読んだ。
「えぇと……『浴室も部屋にある物も自由に使ってくれ』。何でここが草書体なの」
かわいいなあ、と頬が緩む。普段は解読する立場だから、自分宛てのメモは格別に嬉しい。指で文字をなぞってから、浴室へ向かった。
「おはようございます。お帰りなさい」
「おはよう。……ただいま」
戻ってきた一輝さんは、パンの袋をベッド脇のテーブルに置き、私を抱き寄せた。昨日は不安そうにしていたけど、今日はオーラが明るい。ほわんとしてる。無敵感が倍増された感じ。
「何か、いいことありました?」
「灯里がここにいる」
相変わらず、答えになっているような、いないような。でも嬉しくて、私も彼を抱きしめた。真っ白な雪に洗われて世界が生まれ変わったように、私たちも何か変わったんだろうか。
着替えの必要があったので自分のオフィスへ行ったから、向こうで待っていてもよかったけど、仮眠室で待つ方が彼が喜ぶかなと思った。こうしたら一輝さんは喜ぶだろうな、喜ばせてあげたいな、というのが私の行動基準に入り込んでる。優しくしてくれる人にお返しをしたくなるのは人情とはいえ、かなり絆されてる。
「疲れは取れたか?」
「はい。ぐっすり眠ったので」
「そうだな」
クスッと笑った理由を問い質そうとしたら、彼のお腹の虫に遮られた。
「そういえば……昨夜、ご飯って」
出会ってからというもの、夕食は必ず彼と共にしてきた。昨日は雪対応でバタバタして、私には誰かが買ってきてくれたサンドイッチが届けられたけど、彼は食べたんだろうか。
「軽く食べたが、味気なかった」
言葉とは裏腹に、幸福を絵に描いたような顔で笑った。
「以前は考えもしなかったことだ。灯里はすごいな」
その言葉の意味を考えようとした時、今度は私のお腹が鳴った。そろって声を立てて笑って、私のオフィスへ移動した。
ブラウンを基調とした暖かみのある部屋は、1か月半のうちにすっかり私のお城になった。今では一輝さんは、コーヒーを飲みたくなるとこの部屋を覗く。真夜さんに「甘えるんじゃないの」と言われながら。今朝はモーニングを買ってきてくれたから、セットのコーヒーをいただく。
パンを半分食べたところで聞いてみた。
「私、昨夜は全然起きなかったんでしょうか」
「全然というわけじゃない。……夜中に、少しな」
「何か変なこと言ってました?」
言いにくそうな様子にいやな予感がする。だんだんわかってきた、一輝さんの照れ方。目が泳いで挙動不審になる。今なんか、深呼吸をして落ち着こうとして、うまくいかなかったのかポッと目元を染めた。何したのよ、私!?
「俺がシャワーを浴びて戻ってきたら、灯里が『ただいま』と言った」
「……それ、端折ってませんか」
っていうか、シャワーって。
「何もしてないぞ。着替えはさせたが」
「ありがとうございます……うぅぅ」
ある意味、何かされるより恥ずかしい。あんなかわいいパジャマ、いつの間に用意したのよっ。
「こんなかわいい生き物がいていいものかと、我が目を疑った」
はにかむ一輝さんだって、かわいいことこの上ない。向かい合っている距離がもどかしい。砂糖も入れていないのに、コーヒーが甘く感じられた。