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第2章第8話

「んー……」

 暖かい。ふかふかのお布団。毛布も手触りいいなあ。仕事を一気に片付けて凝り固まった筋肉が、ほぐれていく感じがする。幸せー……。

 あれ?

 私、いつお布団に入ったんだっけ。肌触り最高のシーツ、これ、ホテルのだと思うけど……帰ってきた時の記憶がない。エレベーターまでの記憶しかない。エレベーター……あれは会社の……ん?

 ん?

 んん?

 隣に手を伸ばしても、空気と寝具しかない。シーツの上は、ずーっと平坦。いつもは、すぐ行き止まりなのに。がっしりして頼りがいがあって、私をすっぽり包んで離さない、あの人はどこ?

 布団にくるまったまま、もぞもぞ動いてみる。体を移動させても、まだ見つからない。もうちょっとかな? 広いベッドだなあ……ここ、どこ……。

「かずきさーん……」

 眠気が絡まって、言葉がたどたどしい。夢見てるのかなあ。あなたがいない夢なんていやだな。だって約束したもの。

「いっしょに、いるの……わたしたち……やくそく……」

 左手の小指に、何か触った。絡まってくるのは、あなたの指? 見つけた、一輝さん。

「ああ、約束だ」

 深い声。私の世界、全部包んでくれる。

「お帰り、灯里」

「ただいま……?」

 ぽやぽやと、意識が途切れたり浮上したり。あ、抱きしめてくれてる。うん、これでいいの――。ふふっ、石鹸のいい香り。

「よくおやすみ」

「はぁい……」

 ここが私の眠る場所――。


 朝。目覚めた場所は、ホテルでもアパートでもなかった。

「は? 会社……」

 初めて見る部屋だけど、造りでわかる。社長室の中の仮眠室だ。

「と、いうことは」

 おそるおそる首から下を見ると、もこもこのパジャマに覆われていた。会社でパジャマ……。

「あり得ない……」

 小さな窓にはブラインド。隙間から外を覗くと、世界は雪解け。朝日が、白い覆いを光に変えていく。

「そうだ、昨夜……」

 エレベーターに乗ったのは覚えてる。どうやってこの状況になったのかは思い出せない。確か眠気に襲われて……。

「うわ、まさかお姫様抱っこ……」

 エレベーターホールからここまで。秘書が社長の手をわずらわせてどうするのよー! 一輝さんならやりそうだと、容易に想像できるのがまた……。

 彼の気配はない。隣に寝ていたのは、シーツの皺でわかる。枕とシーツの間にメモがあった。

『朝食を買ってくる。今日は午前中休みだと思ってゆっくりしてろ』

「そういうわけにもいかないでしょ」

 呟いて、メモの続きを読んだ。

「えぇと……『浴室も部屋にある物も自由に使ってくれ』。何でここが草書体なの」

 かわいいなあ、と頬が緩む。普段は解読する立場だから、自分宛てのメモは格別に嬉しい。指で文字をなぞってから、浴室へ向かった。


「おはようございます。お帰りなさい」

「おはよう。……ただいま」

 戻ってきた一輝さんは、パンの袋をベッド脇のテーブルに置き、私を抱き寄せた。昨日は不安そうにしていたけど、今日はオーラが明るい。ほわんとしてる。無敵感が倍増された感じ。

「何か、いいことありました?」

「灯里がここにいる」

 相変わらず、答えになっているような、いないような。でも嬉しくて、私も彼を抱きしめた。真っ白な雪に洗われて世界が生まれ変わったように、私たちも何か変わったんだろうか。

 着替えの必要があったので自分のオフィスへ行ったから、向こうで待っていてもよかったけど、仮眠室で待つ方が彼が喜ぶかなと思った。こうしたら一輝さんは喜ぶだろうな、喜ばせてあげたいな、というのが私の行動基準に入り込んでる。優しくしてくれる人にお返しをしたくなるのは人情とはいえ、かなり絆されてる。

「疲れは取れたか?」

「はい。ぐっすり眠ったので」

「そうだな」

 クスッと笑った理由を問い質そうとしたら、彼のお腹の虫に遮られた。

「そういえば……昨夜、ご飯って」

 出会ってからというもの、夕食は必ず彼と共にしてきた。昨日は雪対応でバタバタして、私には誰かが買ってきてくれたサンドイッチが届けられたけど、彼は食べたんだろうか。

「軽く食べたが、味気なかった」

 言葉とは裏腹に、幸福を絵に描いたような顔で笑った。

「以前は考えもしなかったことだ。灯里はすごいな」

 その言葉の意味を考えようとした時、今度は私のお腹が鳴った。そろって声を立てて笑って、私のオフィスへ移動した。


 ブラウンを基調とした暖かみのある部屋は、1か月半のうちにすっかり私のお城になった。今では一輝さんは、コーヒーを飲みたくなるとこの部屋を覗く。真夜さんに「甘えるんじゃないの」と言われながら。今朝はモーニングを買ってきてくれたから、セットのコーヒーをいただく。

 パンを半分食べたところで聞いてみた。

「私、昨夜は全然起きなかったんでしょうか」

「全然というわけじゃない。……夜中に、少しな」

「何か変なこと言ってました?」

 言いにくそうな様子にいやな予感がする。だんだんわかってきた、一輝さんの照れ方。目が泳いで挙動不審になる。今なんか、深呼吸をして落ち着こうとして、うまくいかなかったのかポッと目元を染めた。何したのよ、私!?

「俺がシャワーを浴びて戻ってきたら、灯里が『ただいま』と言った」

「……それ、端折ってませんか」

 っていうか、シャワーって。

「何もしてないぞ。着替えはさせたが」

「ありがとうございます……うぅぅ」

 ある意味、何かされるより恥ずかしい。あんなかわいいパジャマ、いつの間に用意したのよっ。

「こんなかわいい生き物がいていいものかと、我が目を疑った」

 はにかむ一輝さんだって、かわいいことこの上ない。向かい合っている距離がもどかしい。砂糖も入れていないのに、コーヒーが甘く感じられた。




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