会社へ行くと、私のオフィスに見事な花が届いていた。色とりどりのアレンジメント。カードには、「戸倉灯里様 いつもありがとう! 豊宮ホールディングス社員一同」と書かれていた。涙ぐんでいると、後ろから覗き込んだ彼が「まるで母の日だな」と言った。
「お母さんじゃないですけどねー」
笑って荷物を置きながら、気付いて慌てた。
「あの、一輝さんっ」
自分のデスクへ向かおうとした彼の裾をつかんで止めた。
「どうした?」
「お、お、お……」
「ん?」
「お、お母様には、何かしました? 母の日っ。私、婚約者なのに何も……」
偽装とはいえ、ご家族はそんなことを知る由もない。正式な形ではないけど、息子と婚約したと騒がれている女が気遣いのかけらもないと思われるのは、申し訳ない気がした。
「ああ……」
彼は、向き合って私の頭をぽんぽんと撫で、さらっと答えた。
「秘書室一同名義のほかに、専任秘書・戸倉灯里の名前で花を贈ってある」
「は? いつの間に」
「ほかにもぬかりはないから、心配するな」
「ほかにもって」
続けて聞くことは叶わなかった。私の到着を待っていたように鳴り始める電話。とにかく業務開始!
奇妙なご縁だとしても、豊宮一輝という人と知り合えて幸せ。二十五歳の誕生日に彼と一緒にいられることが、神様からの最高のプレゼント。
先のことは、先のこと。今、目の前にある贈り物を大切に、今日も頑張る!
夜が来た。
私は甘かった。サプライズが得意な一輝さんの性格を、たっぷりと思い知らされてきたというのに。婚約者の誕生日なんて、演出を考えるには絶好の機会。彼は前々から準備していて、当日はわざと知らない振りで過ごしていたのだ。
サプライズその一。ホテルのレストランに入り、顔馴染みになった店員さんと話しながら席に着くと、私では抱えきれないほど大きな花束が運ばれてきた。ピンク色の薔薇。私の誕生花だ。贈り主は、聞くまでもなかった。向かい側の席で、私の反応を少しばかり心配そうに待っている一輝さん。添えられたカードには、「かわいい灯里へ。誕生日おめでとう。俺と出会ってくれたことに海よりも深い感謝を込めて。一輝」と書かれていた。ここ一番の、綺麗な字で。
「ありがとう……」
甘く清らかな香り。誰よりも私をわかってくれる人のホッとした顔が、涙でぼやけた。ほんとに、テレパシーでも使えるんじゃないかと思う。私が言いたくても伝えられないことを、言葉にしてくれる。あなたになら、頭の中、全部読まれてもいい。涙がひと粒、夜明けの露のように花びらを濡らした。
サプライズその二。ほとんどウェディングケーキでしょっていう巨大なバースデーケーキ。てっぺんには、私と一輝さんを象った砂糖のお人形。男性は花束を渡そうとしていて、女性は恥ずかしそうにそっぽを向いている。けれど二人が幸せな様子は伝わってくる。見れば見るほどよくできていて、ケーキもこのために新作を考えたとシェフに聞かされ、驚いた。今後、お店の宣伝のトップ画像として使われるという。
「戸倉さんには事前許可なく話を進めてしまったんですが。できれば人形の部分を目立たせたいんです。問題があるようでしたら、女の子の方は後ろ向きでもいいので……」
「そんな、お気遣いなく。私は大丈夫です。後ろ向きだと、男の子の人形がかわいそうに見えちゃうし」
「ありがとうございます!」
このレストランは常連さんが多く、今夜のお客さんはみんな、私の指輪の(表向きの)意味を知っている。ケーキの写真を撮りたいという人たちには、切り分ける前に、自由に撮影してもらった。
「私は口下手なもので。皆さんに、彼女を祝う手助けをしていただきたい」
一輝さんの言葉にみんな温かく笑って、ケーキを分けて食べた。
サプライズその三。「本当はケーキに飾りたかったんだが」と、手渡された細い箱。開けてみると、見事な色のエメラルドの周りにダイヤをちりばめたネックレスが入っていた。
「ありがとうございます。嬉しい……」
彼は、席を立って私の後ろにまわり、ネックレスをつけてくれた。今朝、「あれがいいんじゃないか?」と珍しく服装を提案してきたのは、エメラルドの色が引き立つようにと考えてのことだったのね。かわいいいたずらっ子!
ここまででも私の幸せ許容量は限界なのに、まだまだあった。
サプライズその四は、会社のみんなからのプレゼント。名刺サイズの箱の中に、様々な色の綺麗なカードがぎっしり詰まってる。カードには、真ん中より少し上に、ピンクの縁取りがされた大きめの字で「戸倉さん」と書かれている。最後の「券」という文字と組み合わせて、何でも自由に書き込める形式。例えば、「何でも戸倉さんのお手伝いをひとつする券」や、「社長と戸倉さんが喧嘩をしたら、絶対戸倉さんの味方につく券」。
「ふふっ。いいですね、これ」
「喧嘩などあり得ないがな」
ほかにも、「戸倉さんのお願いを何でもひとつ聞く券」、「戸倉さんが元気がない時に笑わせる券」などなど。金銭が発生することは書かれていないから、気兼ねなく受け取れる。下の方には、書いた人の名前と、有効期限の選択肢。「一か月以内」「一年以内」「私の在職中」「一生いつでも」とあるのを、みんな「一生いつでも」に丸をしてくれてる。
幸太からは、一生友達でいる券。真夜さんからは、一輝さんのことで愚痴を聞く券、回数無制限。明田部長も、「戸倉さんに社長の弱みをひとつ教える券」をくれた。
「うわ、これすぐに使いたい」
「切り札は残しておくものだぞ」
自分の弱みがバレるというのに、嬉しそうな一輝さん。私が嬉しいのが嬉しいのかな……と、感じた。
「素敵な贈り物です。これも一輝さんのアイディアですか?」
「俺は預かっただけだ。無論、中身は確認させてもらった。発案者は木下だそうだ。有志を募ったら全員になったので収拾がつかなくなり、冴木に泣きついたと聞いた」
「そうですか、木下さんが……」
雪の日に、階段を駆け下りていった木下さん。私がやったのは仕事だから当たり前のことなのに。
「一輝さんの会社は、優しくて温かい人ばかりですね」
「そう感じるのは、灯里自身がその特性を備えているからだ。俺の無茶に頑張って付き合ってくれた結果だ。本当にありがとう」
「こちらこそ。……ん?」
ひと通り中身を見てケースに戻そうとした時、底の方に赤い封筒が入っているのに気付いた。ケースの底が赤い色なのかなと思ったら、そうじゃなくてこれは……。
「これ、もしかして」
封筒を取り出して見せると、何かをつかまえたいけどつかまえきれない、とでも言うような目をして微笑んだ。
「期限はない。使うも使わないも自由だ」
「じゃあ……私のお守りにします」