七月七日は、私のアパートで夜を過ごした。窓の外に一晩だけ出す七夕飾りを、今年は二人で作った。笹の模型に、切り抜いた折り紙や短冊を掛けていく。私の願い事は、ここ数年はいつも同じ。
『星吾が元気でいますように』
その隣に、短冊がもう一枚。
『灯里が星吾君と会えますように。俺も会ってみたい』
「一輝さん……」
「まだ情報は入って来ないが……力を尽くす。約束する」
「はい……」
彼は、独自の情報網で星吾を探してくれてる。いなくなって七年。生きていれば二十三歳。どんな青年になっているだろう。
「晴れてきたな」
「あ、あれ……織姫ですね」
この日は雨になる年が多いけど、今年は運がよければ星が見えると言われていた。窓から首を伸ばして、夏の大三角を探してみる。
「いたいた、彦星様!」
七月七日にベガとアルタイルが見えると、いいことが起こりそうな気がする。少女の頃は、ロマンチックな恋に憧れる気持ちが普通にあった。永遠に、一年に一度は会える恋人たち。ちょっぴりうらやましい。
隣で空を見上げる一輝さんの瞳は、星を映したようにキラキラしてる。私の視線に甘く笑って、ネックレスのチェーンをなぞるように触れてきた。
「俺たちの間には天の川がないのがありがたい」
「今は……ね」
「心配するな。川ができても泳いで渡る。向こう岸から引っ張ってくれ」
「ふふ……一輝さんなら、川の流れを曲げることだってできそうなのにね」
強引な手段を使おうと思えば、いくらでもできる。彼にできないことはないんだから。でも、それをしないで、一見遠回りでも確実な方法で、通常の何倍もの成果を生み出す。結果的には近道。ただし私に関しては、いきなり、原始的で危険を孕む道に飛び込んじゃうんだよね……。
七夕様、このどうしようもないいたずらっ子が、どんな川も安全に渡っていけるようにお守りください。
密かな祈りに返事をするように、星が瞬いた。
八月は、お盆の時期に夏休みを取ることになった。暦の関係で九日間。一輝さんも同じ日程で休むと周知され、社内は騒然とした。
「社長が休むって!?」
「就任以来初めてだろ!?」
「戸倉さんは偉大だな」
「社長、青春してきてくださいっ」
出会ってちょうど半年だなあ、としみじみする暇もない。聞こえてくるみんなの話を総合すると、お盆もお正月も仕事三昧、普段もろくに休まないのが彼のやり方だったらしい。
「よく倒れませんでしたね……」
社長室で呆れた顔をした私に、「仕事をしている分には楽だからな」と弁解した。
「それはわかるんですけどね」
私もその傾向がある。仕事の時は集中してるから、ごちゃごちゃ考えなくていい。
「だからな、今年は二人で休もう。灯里が休んでいるのに俺だけ会社に来てもつまらない」
「うわー、社長の発言とは思えない」
「青春しような」
私を膝の上に乗せている時と同じくらい、甘えた声を出す。傍から見れば、コーヒーブレイクで外の景色を眺めて談笑する二人だけど。
「ふふ、何しましょうか」
「ホテル暮らしにもいい加減飽きただろう。うちに来ないか」
「うち?」
「俺の家だ」
返す言葉がワンテンポ遅れた。
「そういえば一輝さん、お家あったんですよね……」
ホテルが住所で私のアパートが別荘かっていうくらい、存在を忘れかけていた。見たことはないけど、場所はデータで知ってる。相談役と会長は、ご家族でご実家住まい。一輝さんは、別に一軒構えている。
「特別なことはしてやれないが、プールはあるぞ」
「行きます! 十分特別ですっ」
水遊び大好き!
「決まりだな。金曜の夜にここから直接向かえばいい。必要なものは用意させる」
「……一輝さんの『用意させる』って、もう手配完了っていうことですよね。私の身の回りの物も」
「ああ。服はひと部屋分あるから持っていかなくていいぞ」
「夏服、もうたくさん作っていただいてるのに。ブティック真夜の特別仕様で」
もったいない、とは口に出しにくい事情がある。
「半分はあいつの趣味と友情だ。受け取ってやれ」
もう半分は――私の命を守るため。
出会って二日目、真夜さんの「セクシーな防弾チョッキ」発言に驚かされた。あとから聞いてもっと驚いたことには、最初の日のドレスからすでに、弾丸もナイフも貫通できない素材が使われていた。今日までに私に贈られた衣類、すべてが同じ仕様。さすがに真夏のブラウスは無理では?と思っていたら、「あら、灯里ちゃん。女には、ブラウスの下にも鎧があるでしょ?」と言われた。つまり、うん、今も身につけてます。
「ありがとうございます。もちろん、一輝さんにも」
作ってくれるのは真夜さんのお店で、費用は彼が出している。「婚約者を守るのは男として当然だ」と言われれば、私も払いたいとは言いにくい。せめて秘書としてしっかり働いて、婚約者としても合格点に届きたい。
今は、二人きりだから。コーヒーのカップを机に置いて、腕に甘えた。このワイシャツも、一輝さんを守るための特別素材。万一の場合を考えてのこと。彼を知って半年、少なくとも私の知る限り何も起こっていないけど……。
「一輝さんの家って、鉄条網が張り巡らされていたり、お庭に赤外線トラップが仕掛けられていたりします?」
「残念ながらそれはないな。窓は防弾ガラスだが」
「はぁ……」
甘い甘い日常は、常に危険と隣り合わせ。聞かないけど、警護の一人や二人はついてるよね。何もかも知ってしまったら、実はこれは全部夢でしたって現実に引き戻されそうで、怖くて聞けない。
――怖い?
……何が?