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第3章 波乱の夏休み

第3章 第1話

 七月七日は、私のアパートで夜を過ごした。窓の外に一晩だけ出す七夕飾りを、今年は二人で作った。笹の模型に、切り抜いた折り紙や短冊を掛けていく。私の願い事は、ここ数年はいつも同じ。

『星吾が元気でいますように』

 その隣に、短冊がもう一枚。

『灯里が星吾君と会えますように。俺も会ってみたい』

「一輝さん……」

「まだ情報は入って来ないが……力を尽くす。約束する」

「はい……」

 彼は、独自の情報網で星吾を探してくれてる。いなくなって七年。生きていれば二十三歳。どんな青年になっているだろう。

「晴れてきたな」

「あ、あれ……織姫ですね」

 この日は雨になる年が多いけど、今年は運がよければ星が見えると言われていた。窓から首を伸ばして、夏の大三角を探してみる。

「いたいた、彦星様!」

 七月七日にベガとアルタイルが見えると、いいことが起こりそうな気がする。少女の頃は、ロマンチックな恋に憧れる気持ちが普通にあった。永遠に、一年に一度は会える恋人たち。ちょっぴりうらやましい。

 隣で空を見上げる一輝さんの瞳は、星を映したようにキラキラしてる。私の視線に甘く笑って、ネックレスのチェーンをなぞるように触れてきた。

「俺たちの間には天の川がないのがありがたい」

「今は……ね」

「心配するな。川ができても泳いで渡る。向こう岸から引っ張ってくれ」

「ふふ……一輝さんなら、川の流れを曲げることだってできそうなのにね」

 強引な手段を使おうと思えば、いくらでもできる。彼にできないことはないんだから。でも、それをしないで、一見遠回りでも確実な方法で、通常の何倍もの成果を生み出す。結果的には近道。ただし私に関しては、いきなり、原始的で危険を孕む道に飛び込んじゃうんだよね……。

 七夕様、このどうしようもないいたずらっ子が、どんな川も安全に渡っていけるようにお守りください。

 密かな祈りに返事をするように、星が瞬いた。


 八月は、お盆の時期に夏休みを取ることになった。暦の関係で九日間。一輝さんも同じ日程で休むと周知され、社内は騒然とした。

「社長が休むって!?」

「就任以来初めてだろ!?」

「戸倉さんは偉大だな」

「社長、青春してきてくださいっ」

 出会ってちょうど半年だなあ、としみじみする暇もない。聞こえてくるみんなの話を総合すると、お盆もお正月も仕事三昧、普段もろくに休まないのが彼のやり方だったらしい。

「よく倒れませんでしたね……」

 社長室で呆れた顔をした私に、「仕事をしている分には楽だからな」と弁解した。

「それはわかるんですけどね」

 私もその傾向がある。仕事の時は集中してるから、ごちゃごちゃ考えなくていい。

「だからな、今年は二人で休もう。灯里が休んでいるのに俺だけ会社に来てもつまらない」

「うわー、社長の発言とは思えない」

「青春しような」

 私を膝の上に乗せている時と同じくらい、甘えた声を出す。傍から見れば、コーヒーブレイクで外の景色を眺めて談笑する二人だけど。

「ふふ、何しましょうか」

「ホテル暮らしにもいい加減飽きただろう。うちに来ないか」

「うち?」

「俺の家だ」

 返す言葉がワンテンポ遅れた。

「そういえば一輝さん、お家あったんですよね……」

 ホテルが住所で私のアパートが別荘かっていうくらい、存在を忘れかけていた。見たことはないけど、場所はデータで知ってる。相談役と会長は、ご家族でご実家住まい。一輝さんは、別に一軒構えている。

「特別なことはしてやれないが、プールはあるぞ」

「行きます! 十分特別ですっ」

 水遊び大好き!

「決まりだな。金曜の夜にここから直接向かえばいい。必要なものは用意させる」

「……一輝さんの『用意させる』って、もう手配完了っていうことですよね。私の身の回りの物も」

「ああ。服はひと部屋分あるから持っていかなくていいぞ」

「夏服、もうたくさん作っていただいてるのに。ブティック真夜の特別仕様で」

 もったいない、とは口に出しにくい事情がある。

「半分はあいつの趣味と友情だ。受け取ってやれ」

 もう半分は――私の命を守るため。

 出会って二日目、真夜さんの「セクシーな防弾チョッキ」発言に驚かされた。あとから聞いてもっと驚いたことには、最初の日のドレスからすでに、弾丸もナイフも貫通できない素材が使われていた。今日までに私に贈られた衣類、すべてが同じ仕様。さすがに真夏のブラウスは無理では?と思っていたら、「あら、灯里ちゃん。女には、ブラウスの下にも鎧があるでしょ?」と言われた。つまり、うん、今も身につけてます。

「ありがとうございます。もちろん、一輝さんにも」

 作ってくれるのは真夜さんのお店で、費用は彼が出している。「婚約者を守るのは男として当然だ」と言われれば、私も払いたいとは言いにくい。せめて秘書としてしっかり働いて、婚約者としても合格点に届きたい。

 今は、二人きりだから。コーヒーのカップを机に置いて、腕に甘えた。このワイシャツも、一輝さんを守るための特別素材。万一の場合を考えてのこと。彼を知って半年、少なくとも私の知る限り何も起こっていないけど……。

「一輝さんの家って、鉄条網が張り巡らされていたり、お庭に赤外線トラップが仕掛けられていたりします?」

「残念ながらそれはないな。窓は防弾ガラスだが」

「はぁ……」

 甘い甘い日常は、常に危険と隣り合わせ。聞かないけど、警護の一人や二人はついてるよね。何もかも知ってしまったら、実はこれは全部夢でしたって現実に引き戻されそうで、怖くて聞けない。

 ――怖い?

 ……何が?



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