痛む頭を叱咤して、情報を整理した。彼らは一輝さんを呼び出し、何らかの取引を持ちかけようとしている。『恋人』の身柄と引き換えに。ここ半年、一輝さんが私を連れ歩いているのを見て、思いついたんだろう。彼が取引に応じたら、叩きのめして私を連れ去る。「愛しい一輝さんが屈服する」「あんたが掻っ攫われて」っていうのは、そういうこと。初めから、紳士的な取引なんてする気がない。見た目も紳士からは程遠いけど。
縛られた手が痛い。口を塞ぐガムテープもわずらわしいし、横向きに寝ているから体の片方だけが冷えていく。三人の男のうち水色のシャツの男は、体を半分外に出して見張ってる。服装だけは爽やかだから、人の目をごまかしやすいのかもしれない。
眼球だけ動かして、様子を探る。どこだろう。小さな建物だ。入口はドアがないし、窓もコンクリートが四角に切り取られているだけ。作りつけの小さなテーブル。二人の男が腰かけているのも、作りつけの簡易な丸椅子。彼らが座っていると、おもちゃの椅子に見えてくる。
駐車場にあった案内図を思い浮かべた。湖からずっと上まで登ると、展望台があった。観光客が利用できるのは、ちょっとしたお土産物屋さんも整備された新しい方の展望台。五年前に新しい道路ができて、古い展望台への道は閉鎖されたんだとか。その、古い展望台へ向かう道筋に、「休憩所」のイラストが描かれていた。赤い屋根に、白い壁の建物。「現在は利用できません」と断り書き付きで。
窓の形や、入口の感じ……あのイラストとここは、よく似ている。
遠くに連れてこられたわけではないみたい。そのことに、ホッとした。明るいから、長時間が経過したわけでもなさそう。
「それにしても、おとなしいですねえ」
黄色のシャツが壊滅的に似合わない男が、私を見てしみじみと言った。リーダーはニヤニヤと煙草をふかしている。時々、こっちまで煙が漂ってくるのは勘弁してほしい。
私は別に、煙草が大っ嫌いなわけじゃない。元カレの木津さんも吸っていた。彼の友人にも喫煙者が多かったから、吸わない私もいろいろな銘柄を覚えた。今、煙が流れてくるこれは……うぅぅ、特にきついやつ……。
「おっと、失礼」
私が顔を背けようと体を捩るのを見て、リーダーが立ち上がった。窓辺に寄り、煙を外へ逃がす。ふぅ、助かった……。だからって、感謝なんかしないけど!
「雇い主には、銘柄を変えるように進言しておこう。俺と同じく、強いのが好みなんでね。少し前はそうでもなかったんだが……。ま、あんたが手に入れば、こんな毒物に頼らずに済むだろうさ」
私は暴力団を使うような最低の雇い主のところへ連れていかれて、愛人か何かにさせられるんだろうか……。
それはいや。すごくいや。
この分なら、連れていかれても命の危険はなさそうだけど……絶対に抜け出せないような場所に監禁されたら、一輝さんと会えなくなるし、迷惑がかかってしまう。何とか、山にいる間に逃げられるといいんだけど……頭、痛い……割れそう……。
頭痛がひどくなるにつれて、胸の辺りが気持ち悪くなってきた。考えるから余計に消耗するんだろうけど、ぼんやり待っているだけなんてできない。
「あんたが手に入れば」って、どういうこと? 一輝さんを屈服させるって、仕事上の無理な要求を飲ませようとしているんじゃないの? 言うことを聞けば恋人(じゃないけど!)を返してやる、と迫って頷かせて、私を連れ去って一輝さんを置き去りにする……昔ドラマか何かで見た卑怯な展開。
うーん……うまく頭が働かなくなってきたけど……一輝さんにはそういう図、似合わないしあり得ないんだよね……。
屈服?
絶望?
ないない。豊宮一輝の辞書には、どっちもない。自分でもしないし、誰かをそういう状況に追い込むことも好まない人。
だからね、こんなの無駄だから、やめた方がいいよ……。
第一、何を条件にされたって、私が枷になるはずない……。
「元気なさそうですよ。やばくないですか」
「確かにな。さながら、陸に上がったはいいが、王子が振り向いてくれないんでしおれている人魚のお姫様だ」
男たちの声が、変に遠く近く聞こえる。ほんとに、「やばい」かもしれない……。
「さっき一本打ったの、必要あったんですかね……」
「何だ、怯えてるのか」
「だって彼女にもしものことがあったら殺すって言われてんですよ、俺たち」
「一晩で抜ける程度しか打ってねぇよ。しかし豊宮の旦那といい、あの人といい、執心が過ぎる」
あの人……って、誰……。
あれ……遠くの方にエンジン音……それとも近く? わかんない……。
「来たな。大事なものは見せびらかさないで、しまっといた方がいいってことを、お坊ちゃんに教えてやるか」
男の靴が、ざりっと音を立てた。もう、目、開けてられないけど……車のドアを乱暴に閉める音……?
駄目、一輝さん、来ないで――!
誰であろうと、あなたを苦しめようとする者は許さない。それが私を餌にするような連中ならなおさら。偽の婚約者の私なんかのために、あなたが危ない目に遭うなんて……私のために何かを失うなんて、あってはいけない。
私を救ってくれたあなたを、私が窮地に追い込むなんて、しちゃいけない――!!