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第3章第5話

 病院で目を覚ました時も、一輝さんはそばにいてくれた。

 頭はだいぶはっきりしてきていて、吐き気もおさまっている。微笑みかけると、手を握って、おでこにキスをくれた。言葉がいらないくらい、白い病室に親密な空気が満ちている。

「今日はこのまま入院だ。大丈夫だ、薬は明日の朝には抜ける」

「はい」

「軽い自白剤だ。量が少なくてよかった……」

 思った以上に「やばい」ものだった。自分が置かれていた状況に、あらためてゾッとする。逃げていったあの男は、どうなったんだろう。

「あいつは、逃げた先に警察がいてつかまった。手下の二人もだ」

 私の考えることが手に取るようにわかっているみたいに、答えをくれる。あのサングラスだって。

「ん? どうした」

「不思議だなあ、って。一輝さん、私の言いたいこと、何でいつもわかるの?」

「やりたいことも、だろ? あれは助かった。命拾いしたよ。ありがとう」

「ううん、私の方こそ。……ね、どうして?」

 宇宙人だから。超能力者だから。豊宮一輝だから。三番目が濃厚だけど、今の私はプラスアルファの説明を求めてる。頭の隅でストップがかかる。そこから先は駄目、私には許されない――って。

 一輝さんも、困った顔してる。ほら、やっぱり聞いちゃいけなかった。いつもはわきまえて、心の扉を閉めておけるのに。自白剤のせいかな。つっかい棒が外れてしまいそう。

「どうして……か」

 彼は椅子から腰を上げ、ベッドの端に座った。距離は近くなったのに、何だか悲しそう。私の左手で煌めく指輪を、両手で包むように握った。

「その答えは、灯里が知ってる」

「私が?」

「ああ。今はまだ気付かなくていいと……気付くまで、待とうと思っていた」

 ドクンッ

 心臓が、いやな打ち方をした。よくない話が始まろうとしている。

「すまなかった」

 そんな……何もかも諦めるような声、聞きたくない。

「俺のそばにいることの危険性を、きちんと話すべきだった」

 やめて、一輝さん。

「俺のわがままでこんな目に遭わせてしまった……すまない」

「やめてっ」

 謝罪の言葉を重ねて、力なく離れていく手。思わず起き上がり、彼の腕にしがみついた。

「灯里。落ち着いてくれ……そうだ、いい子だ」

 背中を撫でる手も、髪に絡む指も今朝と変わらないのに、あれから何十年も経ってしまった気がする。

 一輝さんのそばにいる危険性。防弾チョッキと同じ材質の服。防弾ガラス完全装備の家。凄まじい防護力と攻撃力を備えた護身術。

 ああ……そうだったんだ。

「一輝さんが独りを通してきたのは……このためですか?」

 狙われているから。豊宮グループのトップを陥れようとする策略に、家族を巻き込みたくないから。妻や恋人だけではなく、子供がいればその子も狙われる可能性が高い。

「それもある……」

 希望を全部吐き出してしまうような声だ。あなたはずっと、そうやって生きてきたの? 危険な目に遭わせるくらいなら、大事なものを作らない方がましだって。そんなのって……。

 肩を震わせてしがみつく私の髪を、彼はしばらくの間、そっと撫でていた。限りなく優しい手で。それは、もう二度と触れられなくなると覚悟しているからこその……最後の時を、慈しむ撫で方。……いや。あなたとの間で、こんなの認めない――!

 昂る気持ちをぶつけてしまおうと顔を上げた私に、彼は宣告した。

「契約を解消しよう」

 ケイヤクヲカイショウシヨウ――。

 ひとつひとつの音が連なって、言葉だと認識するまでに、数秒を要した。

「え……?」

「あの辞令を、直さなければよかった」

 真剣な目。

 そんなの……そんなの、「もう決めたんだ」みたいな顔で言わないでよ!

「どういう、意味……」

 ――辞令を見せてみろ。

 出会って二日目、初めて抱かれた翌朝。「俺との関係」を「どう認識してる」って聞かれて……専任秘書ですよねって答えたら、信号待ちの間に「専任秘書兼婚約者」に修正された。世界中から舞い込む縁談にいちいち関わっていられないから、私と婚約した振りをするんだと……。私で世界が納得するのかと疑問を呈したら、「俺の人選に間違いがあるはずがない」って……そう言ってたじゃない!

「いやっ」

「灯里、落ち着いてくれ」

 抱きしめてくる腕から逃れようともがいた。指先から流れ込んでくる温かなものは、助けにきてくれた時と何も変わらないのに。あなたの言葉だけが違う。

 一輝さん、嘘ついてる。

 直感だった。

 自分のことも私のことも、騙そうとしている。「俺を信じられるのなら」と言った人が……!

「かずき、さん」

 胸を、ドンドン叩いた。薬のせいか興奮して、頭と心と、出てくる言葉がうまく結びつかない。

「灯里……わかってくれ。いや、わかっているんだろう?」

 激しく首を横に振った。わかってる。わかってるから、YESなんて言えない。馬鹿。一輝さんの馬鹿。何であなたはそうなのよっ……。

 ――どうして、幸せになろうとしないの!?

 心の扉がバーンと開いて、閉じ込めていたもう一人の私が叫んだ。キーンと耳鳴りがした。ふふ、と自嘲の笑みが零れる。それ、私が言うかな……自分のこと、棚に上げて……。



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