病院で目を覚ました時も、一輝さんはそばにいてくれた。
頭はだいぶはっきりしてきていて、吐き気もおさまっている。微笑みかけると、手を握って、おでこにキスをくれた。言葉がいらないくらい、白い病室に親密な空気が満ちている。
「今日はこのまま入院だ。大丈夫だ、薬は明日の朝には抜ける」
「はい」
「軽い自白剤だ。量が少なくてよかった……」
思った以上に「やばい」ものだった。自分が置かれていた状況に、あらためてゾッとする。逃げていったあの男は、どうなったんだろう。
「あいつは、逃げた先に警察がいてつかまった。手下の二人もだ」
私の考えることが手に取るようにわかっているみたいに、答えをくれる。あのサングラスだって。
「ん? どうした」
「不思議だなあ、って。一輝さん、私の言いたいこと、何でいつもわかるの?」
「やりたいことも、だろ? あれは助かった。命拾いしたよ。ありがとう」
「ううん、私の方こそ。……ね、どうして?」
宇宙人だから。超能力者だから。豊宮一輝だから。三番目が濃厚だけど、今の私はプラスアルファの説明を求めてる。頭の隅でストップがかかる。そこから先は駄目、私には許されない――って。
一輝さんも、困った顔してる。ほら、やっぱり聞いちゃいけなかった。いつもはわきまえて、心の扉を閉めておけるのに。自白剤のせいかな。つっかい棒が外れてしまいそう。
「どうして……か」
彼は椅子から腰を上げ、ベッドの端に座った。距離は近くなったのに、何だか悲しそう。私の左手で煌めく指輪を、両手で包むように握った。
「その答えは、灯里が知ってる」
「私が?」
「ああ。今はまだ気付かなくていいと……気付くまで、待とうと思っていた」
ドクンッ
心臓が、いやな打ち方をした。よくない話が始まろうとしている。
「すまなかった」
そんな……何もかも諦めるような声、聞きたくない。
「俺のそばにいることの危険性を、きちんと話すべきだった」
やめて、一輝さん。
「俺のわがままでこんな目に遭わせてしまった……すまない」
「やめてっ」
謝罪の言葉を重ねて、力なく離れていく手。思わず起き上がり、彼の腕にしがみついた。
「灯里。落ち着いてくれ……そうだ、いい子だ」
背中を撫でる手も、髪に絡む指も今朝と変わらないのに、あれから何十年も経ってしまった気がする。
一輝さんのそばにいる危険性。防弾チョッキと同じ材質の服。防弾ガラス完全装備の家。凄まじい防護力と攻撃力を備えた護身術。
ああ……そうだったんだ。
「一輝さんが独りを通してきたのは……このためですか?」
狙われているから。豊宮グループのトップを陥れようとする策略に、家族を巻き込みたくないから。妻や恋人だけではなく、子供がいればその子も狙われる可能性が高い。
「それもある……」
希望を全部吐き出してしまうような声だ。あなたはずっと、そうやって生きてきたの? 危険な目に遭わせるくらいなら、大事なものを作らない方がましだって。そんなのって……。
肩を震わせてしがみつく私の髪を、彼はしばらくの間、そっと撫でていた。限りなく優しい手で。それは、もう二度と触れられなくなると覚悟しているからこその……最後の時を、慈しむ撫で方。……いや。あなたとの間で、こんなの認めない――!
昂る気持ちをぶつけてしまおうと顔を上げた私に、彼は宣告した。
「契約を解消しよう」
ケイヤクヲカイショウシヨウ――。
ひとつひとつの音が連なって、言葉だと認識するまでに、数秒を要した。
「え……?」
「あの辞令を、直さなければよかった」
真剣な目。
そんなの……そんなの、「もう決めたんだ」みたいな顔で言わないでよ!
「どういう、意味……」
――辞令を見せてみろ。
出会って二日目、初めて抱かれた翌朝。「俺との関係」を「どう認識してる」って聞かれて……専任秘書ですよねって答えたら、信号待ちの間に「専任秘書兼婚約者」に修正された。世界中から舞い込む縁談にいちいち関わっていられないから、私と婚約した振りをするんだと……。私で世界が納得するのかと疑問を呈したら、「俺の人選に間違いがあるはずがない」って……そう言ってたじゃない!
「いやっ」
「灯里、落ち着いてくれ」
抱きしめてくる腕から逃れようともがいた。指先から流れ込んでくる温かなものは、助けにきてくれた時と何も変わらないのに。あなたの言葉だけが違う。
一輝さん、嘘ついてる。
直感だった。
自分のことも私のことも、騙そうとしている。「俺を信じられるのなら」と言った人が……!
「かずき、さん」
胸を、ドンドン叩いた。薬のせいか興奮して、頭と心と、出てくる言葉がうまく結びつかない。
「灯里……わかってくれ。いや、わかっているんだろう?」
激しく首を横に振った。わかってる。わかってるから、YESなんて言えない。馬鹿。一輝さんの馬鹿。何であなたはそうなのよっ……。
――どうして、幸せになろうとしないの!?
心の扉がバーンと開いて、閉じ込めていたもう一人の私が叫んだ。キーンと耳鳴りがした。ふふ、と自嘲の笑みが零れる。それ、私が言うかな……自分のこと、棚に上げて……。