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第3章第11話

 一輝さんの家に着き、幸太にお礼を言って車を降りた。七日間しか過ごしていない場所なのに、「帰ってきた!」と感じた。一輝さんの愛車は、ひと足先に戻っていた。誰かが運んでくれたものらしい。

「ただいまー」

 玄関を入って、大好きな家に挨拶した。「お帰り」と答えたのは一輝さん。荷物を下ろして、私を抱きしめた。

「一輝さんも、お帰りなさい」

「ああ。ただいま」

 真夏の昼下がり。防弾ガラスから差し込む日差しは、カーテンで和らげられている。室内にほのかに漂うのは、彼が使う男性化粧品の香り。私が愛用している、薔薇のオーデコロンの香りも混ざってる。七日間の思い出が、ぎゅっと詰まった家。笑い声、水飛沫、たくさんの他愛ない会話。映画、本、音楽……一輝さんが好きなものでいっぱいの空間。ここに、帰ってこられなかったかもしれない。帰れてよかった……。

「ごめんなさい」

 私をお姫様抱っこしかけている彼に、謝らずにはいられなかった。

「ん? どうした……」

 ふわっと抱き上げられて、きゅっと肩につかまる。流れるような動作は、呼吸がぴったり。彼はテレビの前の大きなソファーへと歩き、私を抱いたまま腰を下ろした。

「ここでの休暇を提案したの……安全に過ごせるから、ですよね?」

「まあ、そういうことだ。どうにも勝手がわからなくてな。窮屈な思いをさせることには変わりないが、ホテルよりはましかと」

 私のために、一生懸命考えてくれたんだ。それなのに……。

「出かけたいなんて思って、迷惑かけてごめんなさい」

「行くと言ったのは俺だ。そうだろう? 灯里が喜ぶ顔が見たかったんだ。気にしなくていい」

「甘すぎる……」


 この日は「何も」せず、大切に抱きしめられて眠った。お休みは、あと一日。


 夏休み、最終日の朝。

 一輝さんの腕の中で目覚めた。身じろぎすると、手の力が強くなる。眠っているのか狸寝入りなのか、判別がつかない。

「大丈夫ですよー。私はここにいます」

「うん……」

 ふーっと満足そうに息を吐いて、彼はぱっちりと目を開けた。

「おはようございます」

「おはよう。頭痛は?」

「もう何ともありません」

「そうか……」

 シーツの上で。体を寄せて、指先を合わせて。お互いがここにいるんだ、って確認する。

 彼が着ているのは、ガウンタイプの薄い寝間着。私は、とろけそうな肌ざわりのワンピース。ボタン代わりのリボンを、彼はおねだりをするような目で弄った。

「透子さん……今日はお昼過ぎにみえるんでしたよね」

「ああ」

 時刻は、まだ六時。

「じゃあ……時間、いっぱいありますね」

「病み上がりの癖に、煽るんじゃない」

「病み上がりって……ふふ……」

 リボンが、はらりとほどけた。

 もっともっと、私がここにいることを、一輝さんから離れないことを確かめたくて、触れたがっているのはわかってた。私のために、我慢してくれてた。

「灯里……」

 私をリードしながら甘えてくる一輝さん。体を重ねるたびに、一歩先の明日が見える。

 元気になったら真っ先に聞きたいことがあったけど……後回しにした。


「発信機って、何ですか」

 普通、いきなりこう聞かれたら、ぐっと言葉に詰まるとか、飲みかけたコーヒーを吹くとか、咳き込むとかするんじゃないだろうか。

 一輝さんは普通じゃないから、涼しい顔で昼食のコーヒーを味わっている。彼は夏でも、一杯目はホットを好む。カップを置き、頬杖をつくと、おもしろそうに私を見た。

「もっと早く聞いてくるかと思ったが」

「聞く暇、なかったじゃないですか……」

「俺のせいだと?」

「そ、そうは言ってませんっ」

 現在、午後二時。透子さんが到着したのは一時で、私たちがまだほとんど食べていないのを知り、大急ぎで食事を整えてくれた。この家でも、一輝さんと料理を楽しむことはあるんだけど……今日は、その、ベッドをちゃんと出たのが十一時半で、シャワーを終えるまでにも時間がかかった。最低限の身支度が済んだのは、透子さんがドアを開ける直前だった。それまでの間の空腹は、フルーツやヨーグルトで凌いだ。私の静養に充てた昨日という日を取り戻そうとするかのように、何ともその……情熱的だった。二人とも。

「割合でいうと、五分五分だと思うんですけど」

「灯里がかわいすぎたから、俺は三だな」

「それを言うなら一輝さんが……」

 かっこよすぎるから。素敵だから。セクシーにもほどがあるから。

 って、言いかけた。

 危なかったー!

「うん? 俺が何だって?」

「……いいです、私が七で」

 処置なし。彼の甘さも大概だけど、私も彼に甘すぎる。今はほかに聞きたいことがあるから、この問題は脇へ置いておく。

「それで、発信機とは。準備って」

 助けに来てくれた時、朦朧としていたけど確かに聞いた。

「これだ」

 彼はテーブルの上に、ごみか何かと間違えそうな小さな物体を置いた。黒くて平べったい。サイズは、私の小指の爪より小さい。

「スカートの、腰のところにな。付けておいた」

「いつの間に」

「いつだと思う?」

「腰、でしょ……この辺?」

 付けられそうな位置で、かつ、彼が触れそうなところを考える。……腰なんて、いつも抱かれてる。そう、私はいつも一輝さんとくっついているわけで、発信機なんてわざわざ付けなくたって……ん?

「あー!」




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