ジェイドはいつからリディを連れ去る計画をしていたのか。あの白装束の男が現れたとき、ひとつ前の時間の【世界】にいたときからなのか。
ふと、リディはジェイドがなぜ二コラが許可した覚えのない招待状を所持し、ユークレース王国に滞在していたのか、というのが気にかかった。
ひょっとして最初から計画していたのでは、という疑念が浮かんだが、それにしては間者の姿で現れたときの彼は、リディに初めて会ったような挙動をしていたので、それは違う気がする。それに、もし連れ去ることが目的だったら、リディが何者かに殺される前に行動に出たことだろう。
疑心暗鬼になりそうな気持ちは、ジェイドを信じたいという、初めての恋のような思慕が波のように打ち寄せてかき消していく。何よりもう後戻りはできない。彼についてきてしまったのだから。
オニキス王国に到着すると、周りへの説明はあと回しにし、ジェイドはすぐにリディを彼の部屋に匿った。身の回りの世話は取り急ぎ彼についている侍女がしてくれるらしい。
ふと、祖国に置いてきてしまった父親の事を思い浮かべる。
「お父様は大丈夫かしら……」
リディがぽつりと漏らすと、隣にいたジェイドが大仰にため息をついてみせた。
「おまえを自分の出世を叶えるための道具のように扱っていた親を心配するのか? 随分おやさしいことだな」
ジェイドは歯に衣を着せない言い方をする。傷つくだろうということをわかっていてあえて口にするのだ。リディの中でぼやけていた感覚を明確なものにするために。そういう彼に対して最初はむっとすることも多くあったけれど、今ではそれさえも好ましいと感じてしまう。
「リディ」
目が合って名前を呼ヴァレスとドキリとした。ジェイドが手を引いてベッドへとリディを座らせた。彼の方を向くと、うなじのあたりに手を這わされて、そのまま顔が近づいてくる。軽く唇が触れ合っただけなのに、ぴりっとするような感覚が走って、声が漏れてしまう。
「ん……っ」
自分で驚くほど甘い声に恥ずかしくなって目を伏せた。
すると、リディの無意識なその声に煽られたのか、ジェイドがリディの唇をさらに啄む。息継ぎをする間もなく唇を奪われ、リディはジェイドの思うままに許してしまう。
苦しくなって思わずリディはジェイドの胸を押し返した。しかし逞しい彼の胸板はびくともしない。いったん唇は離されたが、次の口づけを狙う彼から逃れられそうにない。
「おまえはもう余計なことを考えるな。俺とのことを考えていればいい」
「あ、あの。あなたの花嫁になる……って頷いたけど」
逃げ腰になるリディをしっかりと抱き込んで、ジェイドはリディの目尻や耳にキスをする。かかる彼の吐息や唇がくすぐったい。
「ここまできてやっぱり取り消す、とは言わせない」
「い、言わない……けど」
「俺はあまり気が長い方でもない。今回のことでなぜかおまえは俺をかいかぶっているようだが……」
とうとうベッドの中央に組み伏せられてリディはドキリとした。彼の開いた胸元から見えた筋肉質な体躯に、くらくらとするほどの色香を感じる。
彼に恋をしているのかも、と意識してしまった途端、前以上にドキドキしてたまらなくなってしまった。
「だ、だから、待って欲しいのに」
「ん? 何が、だから……なんだ」
じれったそうにジェイドが言う。
彼の様子は、まるで大きな肉食獣がお預けを喰らって不機嫌になるかのよう。
「あ、あなたのことを想うと、ドキドキして、どうしていいかわからないの。このままじゃ……きっと死んじゃうわ」
そう告げている間だって鼓動はどんどん速くなっていく。きっと自分の顔はもう林檎や柘榴のように赤く染まりきっているかもしれない。あまりにも恥ずかしくて泣きたくなってきてしまう。濡れた瞳を向けて必死に訴えていると、ジェイドが言葉を詰まらせた。
「はぁぁ」
長いため息を吐き出され、リディは困惑した。
ジェイドはそのまま力を抜いてリディに覆いかぶさったまま動かない。
まるで本当に大きな獣に抱きつかれてしまったみたい。重たくて身動ぎすらできない。
「な、何かよくないことを言った?」
リディが戸惑っていると、ジェイドが少し身を浮かせて至近距離のまま不機嫌そうにリディを見つめてきた。
「煽っているのか、素なのか……おまえの場合は、まぁ素なんだろうな」
困ったようにジェイドが眉を下げた。そのなんともいえない、甘やかすような表情にキュンとしてしまう。でも、どうして彼がそんな顔をするのかが分からない。
「だって、死んじゃって巻き戻しされて、あなたと会えなくなったら?」
「……愚問だ。そんなふうにはさせない」
慰めるように甘く溶けるような声でジェイドが言うそれは、何かの魔法のようだった。
唇をやさしく重ねられ、拒まずにいたら何度も甘やかすように啄まれる。そのやさしいキスは嫌じゃなかった。むしろ、もっと彼にそうされたい。
「……俺に、こうされるのはいやか?」
「い、いいえ。いやじゃ……ないわ」
「蕩けるような心地に、リディはなぜかまた泣きそうになってしまった。
「……ジェイド」
キスが長く続いて、思わず縋るように声を漏らすと、ジェイドはやっと唇を離してくれた。
「今夜は、これで我慢しておくか……」
そう言い、ジェイドはリディの目尻に浮かんでいた涙を指ですくい、困ったように微笑を浮べる。
「まぁ、焦らされるのは存外悪くはない。それに……今の様子なら、そのうち、おまえの方から欲しいと言うようになる」
「い、言わないもの」
「ならば、言わせるようにする」
ジェイドは笑ってリディの額にキスを落とした。なんだか子ども扱いされたみたいだけれど、いやな感覚ではなかった。
それからジェイドはリディの上から身を離して、隣に身体を横たえて、リディを抱きしめるように引き寄せた。
「あの、ここで一緒に眠るの?」