「すみません。なんか……からかうような意図はなかったのですが。気を悪くされたなら謝ります」
しゅんとしてしまったレオに、リディは慌てて弁解する。
「ううん、違うの。私の知らないジェイドのことを教えてくれてありがとう。もしジェイドがそれほど私を特別に感じてくれているのだとしたら嬉しいなって思ったの」
「そうですか。なんだか僕まで嬉しいです」
「え? どうして」
「うーん? 幸せのおすそわけという感じでしょうか?」
にこにことしているレオの様子は可愛らしくも見え、なんだか癒される。もしも自分に弟がいたならこんな感じなのだろうかと思う。
「あなたも大変よね。普段のお仕事じゃないことを頼まれて、私の見張りをしなくちゃいけないんだもの」
「いいえ。それに、見張りではなく護衛ですよ」
レオは少しだけ不満そうに唇を尖らせた。
「ごめんなさい。悪気はないのだけれど……」
リディが謝ると、レオはふっと屈託なく笑った。
「僕たち同じようなことを繰り返していませんか」
リディは肩を竦めた。
「たしかに言われてみるとそうね」
「まだリディ様はご不安なことが多いのでしょう。花嫁を攫ってきたなんて大騒ぎになっていますし……見張られていると潜在的に感じてしまっても仕方ありません。でも、僕は必ずやあなたの憂いを晴らすことをお約束します。ジェイド様に誓って」
「ジェイドはあなたみたいな騎士に慕われて幸せね。私もあなたと知り合えて嬉しいわ」
「よしてください。照れてしまいます」
そう一言添えてからレオは何かジェイドに命じられていたことがあったのか、思い出したかのように掌にぽんと拳を乗せた。
「そうでした。今日は王宮内を案内させていただきますね。一回りする頃にはお茶の時間にちょうどいいくらいになると思いますから」
「ええ。ありがとう」
それからレオに案内してもらい、オニキス王国の王宮の中を巡回することになった。お城の中は雰囲気や色調や紋様などは異なるが、大体ユークレース王国の王宮と通じるような造形をしているように思えた。
(隣国の三ヵ国は……遙か昔は一つの大国だったって習ったわ)
言葉や文化が似通っているのはそのためだろう。別の国と思えばこそ構えてしまいそうになっていたけれど、そう思えばこそリディは少しずつオニキス王国に対して親しみを抱きはじめる。
知らないこそ恐れになる――だから、知ることや学ぶことは大事なのだと、リディは思う。
そのとき不意に、白装束の男、シメオンのことが思い浮かんだ。彼に対してはわからないことの方が多い。欠けているような情報がある気がする。けれど、こんなふうに言っていた気がする。
『いいかい? 恐れに立ち向かうためには【識る】ことが必要。学びは大事だ。愚鈍のままでいてはいけない。君の中にあるものと目を逸らさずに向き合ってほしい』
リディ自身が気付かなければならないもの、知る必要があるもの、それは一体なんなのだろうか。これから見極めていくことになるのだろうか。
『私の中にあるもの……それは、私が忘れていること? それとも、これから知らなくてはならないこと?』
『それは、さっき言ったように、君自身が気付かなければならない問題だから、小生は干渉することはできない。干渉すれば崩壊するよ。君はそれでいいかい?』
『あ……』
『よろしいかな。君もこれからはもっと【選択】を意識してほしい。これまで以上に思慮深く生きることだ。この世界は、思考の強さが重要視されるからね』
(選択――思考の強さ)
リディは悶々と考え込む。
ジェイドにオニキス王国に連れて来られてから今のところ【時戻し】には遭っていない。リディを殺す存在が二コラ絡みなのであれば彼がユークレース王国にいる限りは起こりえないということでいいだろうか。
まさかいくら彼だって単身でオニキス王国に乗り込んでくるようなことはしないだろう。彼を取り囲んでいる王室の人間が止めるだろうからいきなり戦争を仕掛けることだってないはずだ。それにこうなった以上、オニキス王国だって簡単には受け入れないだろう。そもそも戦争を避けるために苦慮してきたのはこちら側なのだ。何よりリディ一人にそんな国を動かす理由があるとは思えない。そう考えるのは間違いだろうか。自分が非力なばかりに、現状すべてが推測でしかない話になってしまう。
(この世界を……私は識りたい。そして、大切な人を守りたい)
大切な人、と思い浮かべるのは、いつの間にかジェイドになってしまった。彼を想うと、胸の奥が熱くなっていくのが止められない。離れているのは少しだけの時間だったのに、もう彼を恋しく感じてしまう。
恋心は盲目にさせるという。恋に溺れてはいけないと、リディは必死に自分を戒めていた。
「大体こんなところでしょうか」
一通り案内してくれたレオがそう切り出したとき、リディは剣戟の音が聞こえてくる方へと目を奪われた。
「あそこは――」
「騎士の塔の近く、剣技の間です。稽古場ですね」
その剣技の間に、ジェイドの姿があった。こちらには気付いていない様子で、稽古に打ち込んでいる。確か彼は元帥に話したいことがあると言っていたが、目的の話は終わったのだろうか。
黒い縦襟の軍服に身を包んだ彼が動くたびに、彼の漆黒の髪がさらりと風になびくたびに、まるでそこに黒い竜が乱舞しているかのように映る。少しもブレずに迷わない美しい太刀筋に、リディの口から思わずため息がこぼれた
(ジェイドの……初めて見る姿だわ)
いつもこうして鍛錬を重ね、彼の屈強な体躯はこうして培われているのだろうか。
「惚れ惚れしますねぇ。僕も見習わないと」
レオの感嘆のため息が遠くに聞こえてしまうほど、リディの意識はジェイドの方へと寄せられていた。
しばらくその場に縫い留められてしまい、足に根が張ったみたいに動けなくなる。目はいつまでもジェイドの鍛錬する姿へと釘付けになったまま。
そのとき、別の方から誰かの声が割って入ってきた。
「――綺麗な太刀筋をしていますね。相変らず……彼は」