その声に弾かれて振り向くと、いつの間にか宮廷服に身を包んだ文官らしき人がリディと同じようにジェイドの方を眩しそうに見つめていた。彼の腰元には高貴な証と思しき佩玉がぶら下げられている。
(綺麗な……男の人?)
陽に透けるような銀の髪に、翡翠の瞳。肌の色は白く線は細いが、その優雅な佇まいには凛々しい雰囲気も同時に持ち合わせている。
陽の光に膜を張った翡翠の瞳と、整った横顔を見て、ふと、どこかで会ったことのあるような既視感に見舞われる。
(あれ。どこ、だったかしら)
美丈夫の麗姿にそうしてリディが目を奪われていると、視線に気付いたらしいその人はにこりと微笑みかけてきた。
「……っ!」
「初めまして。素敵なお嬢さん。あなたのことは弟から常々聞いていましたよ」
「弟……? ジェイドのお兄様……?」
リディは目を丸くする。兄弟がいることは事前に知らされていなかった。
(兄弟……)
だから、どこかで会ったような気がしたのだろう。
「ええ。私の名はスフェーン・ライ・カイザック。我が国の王太子であるジェイド・リスター・カイザックの兄に違いありません」
おっとりとした口調をした彼の雰囲気にすっかりのまれそうになっていたリディは慌てて挨拶をする。
「は、初めまして。スフェーン殿下。こちらからご挨拶もせずに失礼いたしました。私はユークレース王国から参りました、リディ・ヴァレスと申します」
「リディ、清らかな響きの素敵な名ですね。生涯ずっと忘れずに覚えておきましょう」
ただの自己紹介なのにそんなふうに名前を誉めてくれる人は、他にジェイドくらいしか知らない。こういうところにもなんとなく兄弟を感じた。それにしても、生涯ずっとという重みのある言葉に、リディは焦ってしまう。
「あなたも光栄な役をもらいましたね、レオ」
スフェーンの視線がリディのすぐ側にいた護衛のレオに映る。
「はい! スフェーン殿下、本日はこちら側にいらしていたのですね」
レオの発言からすると、スフェーンは普段は別の居城にでもいるのだろうか。
レオが案内中に教えてくれたのだが、王宮は中央の宮殿の他にいくつかの塔で出来ていて、塔にはそれぞれ王族や臣下に与えられた部屋があるらしい。他に、離れに城があるとも聞いていた。
「少し外の空気を吸いたくなったのですよ。そしたらジェイドの姿を見かけてつられてきてしまいました。おかげで素敵なお嬢さんとお会いできました」
にこ、とスフェーンはリディの方を一瞥してから、レオに再び声をかけた。
「レオ、彼女をしっかりと護衛してあげてくださいね」
「はい。お任せください」
レオは胸のあたりに手を添えるようにして誇らしげに答えた。
それではまた、とスフェーンは立ち去りかけ、そこで顔見世は終わるのだと思ったのだが。急に彼は何か閃いたらしく、くるりと振り返った。
「ああ、そうだ。これから一緒にお茶などいかがですか?」
まさか早々に誘われると思っていなかったリディは面食らってしまった。
「よろしい……のですか?」
「ええ。もちろん。ちょうど休憩しようと思っていたところだったのです。せっかくの機会ですし。ジェイドの噂話の真相も聞いておきたいですね」
「噂話……?」
首を傾げるリディに、スフェーンは人差し指を自分の唇にそっとあてて声を潜めた。
「攫ってきた花嫁にぞっこんという噂話のことです」
「えっ」
リディが顔を赤くしてしまうと、うしろの方でレオが納得したような顔をしていて、スフェーンはくすくすと上品に笑い声を立てて楽しそうにしていた。
「そうと決まれば、さあこちらへ」
物腰穏やかそうな感じだけれど、案外強引なところがあるようだ。そういう部分もまた顔立ちだけではなくジェイドと似ているのかもしれない。
とんとん拍子に予定が決まってしまい、リディはスフェーンに気圧されつつも彼についていくしかなくなってしまった。無論、護衛係のレオも一緒についてくる。
ジェイドの兄であるスフェーンのことは知っておきたい。それに、スフェーンからしか得ることのできないジェイドの話も聞いてみたい。そんなふうに考えているうちに、驚嘆や緊張はいつの間に好奇心へと変わっていたのだった。
美しく手入れされた庭園の中ほどに、異文化を感じさせる不思議な紋様の意匠が施されたティールームが設えてあり、リディはそこに案内されてすぐスフェーンの向かい側の席に座った。
金、銀、朱、瑠璃、琥珀、翡翠、瑪瑙……あでやかな艶に満ちた色と模様の螺鈿細工の置物や食器に目を奪われてしまう。
(ここだけ……まるで別世界みたい)
既に給仕係が準備にとりかかっていて、ポットや茶器それから色とりどりの菓子を乗せた皿がいくつか用意された台車が側に控えてあった。
話がしやすいように、と護衛のレオは少し下がって待機してくれている。しかしリディはスフェーンと二人きりになることは想定していなかったので、妙な緊張感でそわそわしてしまう。
オニキス王国に来てからリディは斯くして二人目の登場人物に出会った。一人は護衛係についた騎士のレオ、もう一人はジェイドの兄であるスフェーン。
でも、そこでリディはひとつ不可解なことがあった。兄のスフェーンがいるのにジェイドが王位を継承する王太子ということには何か理由があるのだろうか。
ティーカップと菓子を乗せた皿が目の前に配膳されたのを見計らって、スフェーンがリディの顔色を窺ってくる。
「あなたの考えていることをあててあげましょうか」
前置きをしてからスフェーンは自信ありげにその内容を指摘した。
「なぜ、兄がいるのにジェイドが王太子なのか、不思議に思われたのでは?」