「はい、今年もお疲れ様でした。かんぱ~い」
賑やかな焼き肉の某食べ放題チェーンの一角で、店長の乾杯の音頭の声が響く。
それにまったりとした声音で「かんぱ~い」と皆が唱和し、古着屋『hummingbird』の忘年会が始まった。
今は師走の年末。店長の個人商店である古着屋『hummingbird』の面々は店長の発起で、某食べ放題チェーンの焼き肉チェーンに訪れていた。
銘々皆々が好きな飲み物をコースの飲み放題メニューの中から選び、のどを潤している。
私、皆川涼子(みながわりょうこ)はチラリと斜め右の対面に視線を向ける。
そこにはバイト仲間であり職場の同僚である、秋波楓(あきなみかえで)がおり、ちびりちびりとジョッキグラスに満たされたハイボールを飲んでいた。
皆川涼子にとって、秋波楓は憧れの存在であり、古着屋『hummingbird』で働くようになったきっかけの存在だ。
まず憧れたのがビジュアル。ミディアムの髪型に黒をベースにショッキングピンクのインナーカラーで、瞳の色はブラウン。
身長は女性にしては高めで170センチくらい。胸は大きくはないが、スレンダーな細身でモデルのようだ。
今日の恰好は、ダブルレザーの黒のライダースジャケット。それに赤と黒のダメージボーダーニットに紺のダメージデニム。それに白と赤の靴ひもを組み合わせた黒のハイカットスニーカーを履いている。
雑誌から飛び出したモデルみたい。
田舎者で大学への進学と同時に、この街へ―都会へ越してきた涼子にとって楓は都会の象徴のようで、憧れの存在だった。
垢ぬけない田舎者の自分とは、対局の垢ぬけた都会の女性。
たまたま客として『hummingbird』に入店し、楓に出会った瞬間、涼子はまずそのルックスに強く惹かれ、そして、店員と客として接してその人柄にも憧れたのだ。…思わず、同じ店でバイトし始めるくらいに。
「楓さん、お疲れ様です!」
「…はい、お疲れ涼子ちゃん」
意を決して、涼子は楓に話しかけた。普段から仕事で必要な事案の会話や暇な時の雑談など、会話をしていないわけではないが、楓に憧れている涼子としては話しかけるのに少し勇気がいる。しかし、今は酒の席である。涼子は酔ったいきおいに任せて、話しかける。
「どうやったら、楓さんみたいになりますか!?」
「…ちょっと脈絡なくてわかんないんだけど」
「あー、相変わらず涼子ちゃんは楓にぞっこんだねぇ」
憧れすぎてうちでバイト始めるくらいだもんねぇ、ビールの生ジョッキを飲み干し、泡で口ひげを作りながら、店長がにこやかに話す。
その店長の発言に、少し困り気味な感じで、楓は頬をかいた。
「そんな憧れられる人間だとは自分で思わないんだけど…」
「でも、そういえば去年の今頃からだっけ。あの事件があったの。楓ちゃん、その頃から変わったよね」
「へ? 去年ですか?」
涼子が楓と出会ったのは、今年の4月の春。去年の12月ごろの楓のことは、涼子はまったく知らない。何か、涼子が楓と出会う前に、今のように変わるきっかけがあったのだろうか? 去年の今頃に、つまり去年の年末に。
「見た目は変わってないけど、人間としての芯、根本が変わった気がするんだよねぇ。やっぱりあの件が原因?」
「ええ、と。まあ、あったといえばあったし原因といえなくもないですけど、それは…」
「なんですか? どんな体験したんですか? 教えてください!」
普段だったら、ここまで押し強く楓に接することはないのだが、今は酒の席でアルコールが入っている。涼子は酔いに任せるままに楓に話しかける。
「私、楓さんみたいになりたいんです! どんな体験したんですか? 教えてください!」
そう詰め寄る涼子に楓は困ったようにしていたが、涼子の酔いに任せた熱意に満ちたお願いに負けたのか、勢いよくハイボールあおりると、楓は語りだした。
「…これはある深夜の終電に乗った時の話」