翌朝、目が覚めると想真はいなかった。
そうだ、今朝は早い時間から仕事で朝食はいらないと言われていたのを思い出し、俺は誰もいない空間を見つめた。
こんなことは時々あるけれど、なんか慣れない。
広いベッドにひとりきり。いつも寝るときはそうなんだから当たり前の事なのに、なんで寂しさなんか感じているんだよ俺は。
想真がいないから早く起きる必要はないんだけど、ひとりでベッドにいるのも嫌で俺はベッドから這い出てそして、顔を洗おうと洗面所に向かった。
ひとりの朝食はどうしても手抜きになってしまう。
パンにハムをのせて焼いて、カップスープとキャラメルラテを用意して。
俺はテレビをつけてメシを食べる。
テレビで流すのは想真が出ているドラマだ。秋ドラマで十月の初めからやっているらしく、リアルタイムではもう話の終わりが近いはずだ。
最近サブスクで見始めたから、まだ最新話まで追いつかない。
早く追いついて最新話見たいんだよなぁ。でも今日は仕事があるから、追いつくとしても明日だよなぁ。
どらまの中での想真は普段とはぜんぜんイメージが違っていて、真面目な弁護士の役だ。髪の毛茶色いけど。
いわゆるクライムサスペンスで、ある殺人事件をきっかけに色んな事件が起きていく話だった。
想真は役柄のせいか普段の飄々とした姿とは全然違う。
真剣なまなざしで台詞を言っている顔を見ると、なんだかむずむずしてしまう。
「こいつ、こんな顔できるんだな」
そう呟いて、俺はパンをかじった。
出会って一カ月ちょっとだろうか。いっしょに暮らしているけれど、あいつのこと全然掴めない。
ゲームが大好きで、甘いものが好きで。不眠症で、俺を抱きしめて寝る奴。
もっといろいろ知りたい気はするけれど、あんまり深入りするのもよくない気がして、個人的な事は聞かないようにしていた。
「なんであいつ、俺を家に置くことにしたんだろう」
しかも金を渡されて、家事を任されて。
全然知らない人間をそこまで信用するっておかしくないか?
正直ありがたいし助かってるけれど。なんていうかこう変だよな、あいつ。
信用されているのは嬉しいけれど、よくよく考えたら普通じゃねぇよな。
「昨日の夜のあれだって、変だよな」
あいつが俺に覆いかぶさっていた時の視線を思い出すと、思わずぞくり、としてしまう。
何かを企んでいるのか。それとも、何にも考えていないのか。
何もわからないけれど、恩ばっか受けてるからいつかこの恩を返せるようになりたい。
その為にはまず地に足つけて生活できるようにしないとな。
そう決意して、俺はテーブルの上を片付けようと椅子から立ち上がった。
午前の家事を終えて、俺はバイトに向かう。
今日で二回目だけど、やはり緊張で手の中に汗が溜まっていっていくし、冬の風は冷たくて強くて、俺を押し戻そうとしているようにも感じてしまう。
どうやら俺は、働く、ということにまだ抵抗感があるらしい。
働きたい気持ちは強いのに、その気持ちに押しつぶされてしまいそうにもなる。
なさけねえなぁ……働くなんて当たり前なことが難しくなるなんて俺、どうしようもない。
世の中の人は皆、普通に働いているじゃねえか。想真だって、今通りがかったトラックの運転手だって、宅配の人だって、皆。
なのに俺は、まともに働けない。
そう思って俺は、立ち止まって空を見上げる。
冬の空は澄んだ色をしていて、雲がすごい勢いで流れていくのが見える。
働きたい。だけど、どこかでまだ、働くのが怖い。
あのカフェなら大丈夫だ。誰もどなりつけはしないだろうし、俺の事を否定もしないだろう。そう思うのに、足は鉛のように重く感じてしまう。
その時。スマホがぶるぶると震えたことに気が付いた。
画面を見ると、相手は想真だった。それはそうだよな。就職して、毎日忙しくて学生の時の友達に誘われても断ってばかりだったから、誰にも誘われなくなってすっかり疎遠になってしまっているから。
スマホのロックを解除して、俺はあいつが寄越してきたメッセージを確認する。
『今日も仕事だよね、お疲れ様。明日は夕食、食べに行こうか。俐月の仕事が決まったお祝いに』
お祝いって、たかだかアルバイトが決まっただけなのにおおげさじゃねえか?
でも、それでもお祝いと言われるとちょっと嬉しいかも。なんだか心が軽くなり、冷えた指先もじんわりと温かくなったように思う。
俺は、歩道の片隅に立ち、返事を入力した。
『お祝いなんて大げさだって』
嬉しさを隠しつつそう返信すると、すぐにメッセージが返ってくる。
『そうかな? だって俐月、最初面接行けなくて落ち込んでいたでしょ。でもそこからすぐに別の面接受けてバイト決めたのすごいと思うよ』
『だから夕食、食べに行こうよ』
そう言われて、断る理由はなく。俺は、
『ありがとう、じゃあそうする!』
と、返事を返した。
すると「OK」というスタンプが返ってきた。
明日は想真と買い物行って、外食かぁ……楽しみだな。そう思うと思わず笑みがこぼれてしまう。
よし、今日も仕事がんばろう。
気合を入れて、俺はスマホをしまいバイト先へと急いだ。