カフェ、セレナーデに着き、ドアを開けて中に入って俺はマスターに挨拶をする。
「おはようございます」
「おはようございます、新谷君」
そう言って微笑むマスターにほっとする。
俺は店の奥へ行き着替えをして、ホールへと出る。
テーブルや椅子を綺麗に拭いて、メニューを整えて。
開店の時間になり、俺はドアの前の立札をだし、開店を知らせた。
すると、すぐに綺麗な白髪の女性が入ってきた。昨日、少し会話をしたけれど、近所に住んでいて平日はいつもここにきて、本を読むのが習慣らしい。確か名前は相内さん、と言った気がする。
「いらっしゃいませ、おはようございます」
震える声でなんとか言うと、相内さんはニコニコと笑い答えた。
「おはようございます、新谷君」
昨日少し話をしただけなのに、名前を覚えられていてちょっと嬉しくなる。
「お好きな席に、おかけください」
ちょっと噛みつつ俺が言うと、相内さんは頷き、
「ありがとう」
と言って、窓際へと向かう。
どうやら指定席があるらしく、彼女は昨日と同じ席へと腰かけた。
俺はカウンターへと向かい、マスターが用意したお水とお手ふきがのったお盆を持ち、緊張に身体をこわばらせつつ席へと向かった。
極力ゆっくりと歩いて、俺は相内さんがいる席へとなんとかたどり着く。
「し、失礼します」
そう声をかけて俺は、コースターにグラスを置いて、お手ふきを置く。
「あら、ありがとう。注文、いいかしら?」
そう微笑みかけられて、俺は慌ててお盆を脇に抱えて、エプロンのポケットから伝票を取り出す。
コーヒー、カフェラテ、モカ、といったメニューが印刷されている伝票で、数量を書き込む欄がある。
「今日はそうねぇ、ロイヤルオペラミルクティーとティラミスをお願いするわ」
言われて俺は、伝票の該当する欄に数量を書きこむ。
「ロイヤル……オペラミルクティーと、ティラミス、ですね」
難しいメニューをつっかかりながらも言い、内心ほっとしていると相内さんは頷きながらメニューを閉じた。
「えぇ、お願いします」
「か、かしこまりました」
俺はぎこちなく頭を下げて、いそいそとカウンター内に立つマスターの元に戻る。
準備ができたメニューはチェックしていって、最後、複写式になっている伝票の二枚目をバインダーに挟んで、お客様の席に置いてくる。
「えーと、ロイヤルミルクティーと、ティラミスです」
「わかりました」
と言い、マスターは俺から伝票を受け取り飲み物の準備を始める。
ロイヤルミルクティーは、鍋にお湯を沸かして茶葉を入れ、最後に牛乳を入れて仕上げるらしい。ただ紅茶に牛乳を入れるだけじゃないことに正直驚いた。
ふつふつという鍋から、紅茶のかぐわしい匂いがほのかに漂ってくる。
マスターは、白に黒い音符が描かれたマグカップにミルクティーを注ぎ、白いお皿にティラミスを盛り付ける。
「新谷君、これ、お願いします」
微笑みながらマスターが言い、それらをお盆に載せる。
「はい」
俺は緊張しつつ頷き、お盆を手に持ちゆっくりとお客さんの方へと向かった。
お客さん――相内さんは本を読んでいた。何の本かはわからない。ハードブックの、難しそうな感じがする本だ。
窓から入る日の光の中、時おり笑みを浮かべて彼女は本を読みふけっていた。
集中しているようなので声をかけては悪い気がするけれど、声をかけないわけにもいかないので、俺は邪魔しないよう、静かに声をかけた。
「お待たせいたしました……ロイヤル、オペラミルクティーと、ティラミスでございます」
すると相内さんは本から顔を上げてニコッと微笑み、
「ありがとう」
と言った。
その笑顔に内心ほっとしつつ、俺はマグカップとお皿をテーブルに置く。
そして俺は伝票を挟んだバインダーをテーブルに伏せておき、
「ごゆっくりどうぞ」
と、震えた声で言って、その場を離れた。
よかった、失敗しなかった。
食器を置いたとき、かちゃり、と大きく鳴ってビビったけど、失敗はしなかった。
本当に小さなことだけど、そんな普通の事が俺にとってはとても嬉しかった。
その後もお客さんがぽつ、ぽつ、と訪れる。
メニューを噛むことはあるけれど誰も笑わないし、指摘もしない。誰にも怒鳴られない環境が、俺にはとても新鮮で居心地が良かった。
平日の午前は、来店する人が少ない。クラシック、じゃなくって荘厳なゲーム音楽が流れるなか、俺は次の来客を待つ。
ぽつぽつと来客があり、その対応に追われてあっという間に一時を過ぎる。
「新谷君、休憩入っていいよ」
「あ、はい、わかりました」
ここはカフェだから、混むのはお昼前やお昼過ぎらしい。なのでお昼の時間はちょっと空く。
お昼はマスターが用意してくれたサンドウィッチだ。それにカフェラテまでいれてくれる。
「ありがとうございます」
笑顔で礼を伝え、俺はそれらがのったお盆を持って、ロッカールーム兼休憩ルームへと引っ込む。
休憩室にはテレビが置かれていて、ネットに繋がっているから動画も見られる。
俺は、テレビをつけてそれを見ながらお昼を食べ、スマホを確認した。
――想真からのメッセージはない。まあ忙しいよな、あいつ。
そう思うとちょっと残念に思えてくる。
用がある時しかあいつにメッセージを送ったことないな。何か送ってみようか。
俺は考えてそして、今朝見たドラマの事を伝えることにした。
『バイト行く前に俺、お前のドラマ見たよ。すげーなお前。ずっごい別人みたいだ』
もちろんすぐには既読、つかないだろう。そう思い俺は、スマホを早々にしまって寝転がって天井を見上げた。
あー……俺、働いてる。
バイトの面接に行けなかった時、俺、もう働けないのかなって情けなくなったけど…ここならなんとかやれそうな気がする。
今のところ変な客も来ないし、平穏な時間を過ごせている。
大丈夫、俺、やれるよな。
昨日働いてみてわかったのは、近所のお客さんが多く年代も割と高い、ということだ。
そしてピークタイムは二時からオーダーストップの三時半ごろ。それ以外の時間は二、三組の客が訪れるだけで、しかも滞在時間が長めで注文もそんなに多く入らないから忙しく動起き周ることはなかった。
それが、働くことに対して不安が大きい俺にとってとてもちょうどよかった。