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第33話 飲み込まれていく

 髪を切った。けっこう短く。

 鏡に映る自分の姿はなんだか別人のようで、変な感じしかしない。

 全然切りに行っていなかったからけっこう伸びてしまっていた黒くて軽くウェーブがかった髪は、センター分けにされて襟足もけっこう切られた。前髪からサイド、襟足まで同じくらいの長さになっている。

 ヘアワックスを毛先につけられてちょっと跳ねる感じにされて。

 もさっとしていたのにだいぶ軽い感じになったと思う。

 首筋に触れるとすっげースースーする。こんなに短くしたの、高校以来かも知れない。


「お疲れ様でした」


 言いながら、悠木さんは俺からケープを取り外す。

 すっげー。髪の毛きるとこんなに軽くなるんだな。

 なんか気持ちも軽くなるかも。って気のせいかそれは。

 俺は立ち上がり、悠木さんに頭を下げて言った。


「ありがとうございます」


「いえいえ、こちらこそ。想真君、出来たよ」


 言いながら悠木さんは、俺と一緒に想真が待つカウンター近くのソファーに近づく。

 彼はタブレットでなにやら作業をしていたようだけど、顔を上げて立ち上がり、俺を見て嬉しそうに笑った。


「すっごいいい感じじゃん?」


 そして俺の頭に軽く触れる。


「え、あ、そ、そうかな」


 恥ずかしさに顔を伏せて頭に触れると、想真が弾んだ声で言った。


「すっごい似合ってるよ、俐月」


「あ……ありがと」


 はにかみつつ顔を上げ、俺はぎこちなく笑う。

 髪に触れる想真の顔がすぐそこになる。想真の顔見てると、なんかドキドキするんだよな。

 この感情、いったい何なんだろう。

 想真は俺から手を離し、悠木さんの方を向く。


「じゃあお会計、悠木さんお願いします」


「あぁ、想真が払うの?」


「うん、俺が切ろうって言ったからねー」


 想真は跳ねるようにカウンターへと近づき、財布を取り出す。


「五千五百円です」


 聞いたことのない金額で、俺は声もなく驚く。

 そんなにするの、カットとシャンプーで?

 目を見開く俺をよそに、想真は金を支払いそして、俺のコートを受け取ってこちらを振り返る。


「じゃあ行こうか、俐月」


 差し出されたコートを受け取り俺は、頷き外へと出た。

 車に乗って俺は、運転席の想真の方を向く。


「想真」


「何?」


「色々してもらって俺……ごめん」


 そう頭を下げると、俐月はこちらを向いてにこっと笑う。


「なんで謝るのー。だって俐月、俺のわがままに付き合ってくれているじゃない? 一緒に暮らしてくれて、家事してくれて、一緒に寝てくれてるんだもの。これくらい何でもないよー」


「で、でもなんか俺がしている以上のこと、してもらってる気がしてなんか、悪いなって……」


 そう言って俯くと、想真はぐい、と近づいてきて俺の頬に手を触れた。


「大丈夫だよ。俐月は俺のために自分の時間を使ってくれているでしょ? 服も、美容室もそのお礼だよ」


「想真……」


 想真の優しさが嬉しさ半面ちょっと重くも感じる。


「俺、他にできることないかな」


 零れ落ちた呟きに、想真はうーん、て呻る。

 美容室の明かりだけがやんわりと車内を照らしていて、近づかないと互いの表情なんてわからない。

 でも今、想真の顔は目の前にあるから彼の表情はよくわかった。

 想真はしばらく黙り込んだ後、ゆっくりと口角を上げ、唇が付きそうでつかない距離まで顔を近づけてきて言った。


「そうだねぇ……今はまだ、かな」


 そして想真は妖しい笑みを浮かべる。

 その顔がとても蠱惑的で、すごく綺麗に見えて俺は思わず目をそらす。

 やばい、すっげードキドキする。想真のこの匂い、なんだろう。シャンプーやボディソープじゃない。これ、香水かな。甘い匂いが漂ってきて俺に纏わりついてくる。

 ふたりきりの車内。密室で見つめあってこれから何かが始まりそうな、甘い空気が流れている気がする。

 いや、甘い空気って何だ。そもそも俺は男だし、想真も男だ。なのになんでこんな空気になるんだよ。

 俺は思わず息を吐く。その息はとても熱く、色を帯びている気がした。


「俐月」


 とても切なく、甘く響く声で名前を呼ばれて、俺は視線を上げる。

 想真は俺をじっと見つめている。ドラマで、恋人を見つめる時のような切ない瞳で。


「そ、うま……」


 唇が震え、声ももちろん震えてしまう。

 こんな、甘い空気にさらされたのは初めてで、俺はあっという間に想真のペースに飲まれてしまう。


「俐月は俺のために俺の部屋で家事をして、俺と一緒に寝てくれればいいよ。無理に働かなくても。君ひとりくらい、面倒見る収入も貯金もあるからね。だから俐月。俺と一緒にいて?」


 蠱惑的に響く声に俺はノーとは言えず、まるで媚薬でも飲まされたかのようにこくり、と頷いた。

 やばい。このままだと俺、想真から離れられなくなってしまいそう。俺、男なのに……

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