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第5話 二度目の登桜

「この大門を通るのも、二度目か……」

 初登桜から約一週間

 あれからもひたすらに僕はキャンバスに向かう日々を重ね、たまに登桜から一番最初に描きあげたあの絵を引っ張り出しては少しずつ修正を繰り返していた

 そしてやっとのことでその絵が満足のいく出来になったことを弁明に僕は二度目の登桜を決意した

「……やっぱり、変わらないな」

 一足大門をくぐればそこはやはり異世界

 老若問わず男達が笑み、垂れかかって身体を預けるそんな色情的な世界だった

 一度目と変わらず僕の抱いた感想はただ一つ

 僕にはお門違いな場所、それだけだった

 ただ今回は前回とは違う目的がある

 僕は張りからかけられる声を全て無視してその一軒の店をただ目指す

 そして

「あの……」

 藤屋の看板を見つけると妓夫の男にこちらから声をかける

 藤屋は凪の所属している妓楼だ

「はい! 何でしょう! ご指名ですか?」

「あ、う、うん、な、凪は……今日は空いてる?」

 元気よくこちらに揉み手をしながら近付いてくる男に少し萎縮しながらも凪の名前を告げる

「凪さんですか……? あ! あなたは以前凪さんが連れてこられた画家先生の絃様……!」

 凪の名前を聞いて少し考えた様子を見せた後に妓夫はふと思い出したように手を叩いてそう言った

「ま、まぁ、画家なんて名乗っていいか僕にはわからないけど、一応そういうことになってる、かな……」

 売れない画家を一体何処からしっかりと画家、という仕事の名前で呼んでいいのか僕には今いちその境界線が計れないでいるがそんな話を始めたらそれこそ無駄話だ

「すぐにお通しします! 絃様はいつでも自分の元へ通すように仰せつかっておりますから! それにしても凄いですねお客様! どんな術をお使いになられたんです?」

 妓夫は諸々の手続きをトントン拍子に進めながら宴会の席なども飛ばしてすぐに以前凪手ずから連れていかれた部屋に続く階段を上り始めてそんなことを聞いてくる

「え、な、何が?」

 今までのやり取りのなかで一体何処に僕が褒められるところがあったのか分からないしどんな術、なんてそれこそなんの話か分からない

 だがそんな僕の様子を妓夫は逆にキョトンとした様子で見た後に人懐っこい笑顔でまた口を開いて続ける

「何がって……あの凪さんを落としたことですよ! いやぁ彼ね、自分から客を取ることが殆どないんですよ、注文を受ければ嫌そうなりに受けはすれど自分から連れてくるなんて本当に珍しい、気に入らなければ抱かないし抱かせない、なんてこともざらですから……それでもあの見目のおかげで全然人気が廃れないのですが――」

「くだらないお喋りはそこまでにしてくれよ」

 妓夫がまるで自分のことのように自信満々にそう語るなか、ピシャリ、と窘めるような声が廊下に響いた

「凪さん……!」

 そして廊下の先から現れた凪を見ても妓夫は話を本人に聞かれていたことにしまった、という顔すらせす嬉しそうに名前を呼ぶ

 どうやら今の話は別に妓夫本人からすれば陰口の類いですらなかったのだろう

「全く……オレが客を取りさえすれば、気に入るか気に入らないか、なんてたいしてこの店では関係ないことだろ? 新規の客だって引く手あまただ、ほら、早く仕事に戻りなよ」

 だが凪はそんな妓夫をさも邪魔者というようにしっしと手で追い払う

「は、はい!」

 妓夫はそんな凪を見て一度笑って見せると慌てて階段をかけ降りていった

「……よく来たね、待ってたよ絃、彼のことは気にしないでいいよ、何故か少し懐かれてるんだ、それにしても……またすぐオレに会いたくなってもっと早く来てくれると思ってたんだが」

 凪はそんな彼の背中を少しだけ、優しい瞳で見送ってからすぐに初めて会った日のように艶っぽい仕草で僕の首筋に手を這わせる

「いや、来たかったんだけど、なかなか絵が仕上がらなくて……ほら、これ」

 そんな手から逃れたくて僕は横に抱いていた布にくるまれた一枚の額縁を凪に見えるように翳して見せる

「っ……! それは! オレに描いてくれたのか! 早く見たいな、ほら、さっさと部屋に行こう!」

「う、うん……」

 それを見た瞬間色っぽさは何処へやら、年相応の子供のような反応を見せて僕の手を自身の部屋のほうへ引っ張るのだった


「こんな立派なものに描いてくれたのか……」

 部屋に入るや否や僕の手から額縁を受け取ると嬉しそうに天井の明かりに照らす

「……登桜代みたいなもの、だから、手は抜けないし……何より誰かにあげるための絵なのに尚更手は抜けないよ」

 そもそも登桜代と言ってもこの絵が一枚売れたところで彼を一夜買うには到底足りない金額にしかならない

 だからこそ対等ですらないのに手を抜けるわけがない

 むしろこれでも足りないぐらいだ

 まぁ、そもそも僕はどんな絵だって遊び半分で描いたことはない

「良いプロ意識だ……さてと」

「……」

 凪は満足といった様子でそう言ってうなずくと額縁をくるむ布を取り払う

 プロ意識……というのとは少し違う

 きっと僕は一度でも遊びで絵を描いてしまえばもう一生絵が描けない

 そういう呪いと戦っているだけだ

 でもそれをここで伝える必要なんてない

「これは……この間のオレか……以前よりも何処かこう、楽しげだな」

 しげしげと僕の渡した絵を見た凪は少し驚いた様子でそう呟く

「や、やっぱり、おかしかったかな……」

 やっぱり僕が楽しそうな絵なんて描いても似合わないだろうか

 そう、思ったのに

「そんなことない! これはとても素晴らしいものだ、大切にするよ……その時までね、それにしても……」

 凪はそれを全力で否定して、それから大切そうに絵を端に立て掛けてから僕のほうを見る

「ど、どうしたの?」

 その視線から逃げるように聞きながら少し後ずされば凪はその距離を詰めるように寄ってくる

「何でそんなに遠くに座るんだ? 君とオレの仲じゃないか」

 そしてまた、バグった距離感で僕の手に自分の手を重ねて笑う

「君と僕の仲って……まだ会って二回目だよ」

 出会ってたった二度目なのに君とオレも何もないだろう、そう思いながら握られた手を引き抜く

「それでも前回はもう少し、距離が近かったと思ったが……」

 凪は自身の手から引き抜かれた僕の手に視線を向けて問いかけてくる

「っ……いや、その」

 僕はその視線すら憚られてその手を包み込んで隠す

 確かに前回は、僕のほうからでないにしろもう少し距離感は近かった、だけど今回はその前に何個かの情報を手に入れてしまったからそうはいかないだけで

「さっきの話か? なにか聞きたいことがあれば聞いたら良い、答えられる限りでなら答えよう」

 やはり敏い彼になにか隠し事をしようというのが無理な話で

「……あの、君はなかなか自分では客を取らないと聞いたよ」

 僕はつっかえながらも自分の気持ちを何とか言葉にしていく

「ああ、その通りだな」

 そして凪はそれを急かすこともなく、否定することもせずにただ肯定する

「……それから、やはり人気も高いと」

 それに関しては以前登桜した時点で分かっていたことだがどうやら彼の価値はその時に知った以上のもののように思う

「それも違いない、なんせこのオレだからね」

 そしてまた凪はそれを肯定する

「じゃ、じゃあ、あの時一目見た僕なんかよりももっと使いやすい駒はあったんじゃないかって」

「……駒?」

 僕がばっと顔をあげてその言葉を口にすると駒、という点に初めて凪が訝しそうな表情を浮かべた

「そう、と、富くじの駒……というか券というか、僕みたいなそれこそ売れてもないような画家じゃなくてもっと良い画家を捕まえて、もっと勝ち口の掴みやすい選択を取れたんじゃないの……? ただの一興だって君は言ったけど、より確実性のあるやり方を選ぶことは出来たよね」

 そう、人は賭け事をする時にわざわざ戻ってくる分配が同じなのに敗けが濃厚なほうを選びはしないだろう

 彼であればそれこそもっと、僕みたいなのじゃなくてもっと若くて、未来ある画家のタマゴを捕まえることだって到底無理なことではない

「……まぁ、そうだな」

 そして彼はまた、それを肯定した

「じゃ、じゃあ何で僕を――」

「一つ、君はなよなよしてるから扱いやすいと思った」

 それに焦って身を乗り出した僕の目の前に前のときのように指を一本立てて突きつけて凪はそう言い放つ

「えぇ……」

 突然の暴露に僕は動揺しながら、それでいて先ほどよりも落ち着いた心境で座り直す

 そして凪はまた目の前で二本目の指を立てて続ける

「二つ、賭けはより確率が低いほうが当たった時の高揚感も強い」

「ああ、そういう……」

 その言葉に妙に納得してしまう

 ギャンブル狂いの人はこう、そういう思考に陥ることがあると聞く

 脳内麻薬がどうとかこうとかそういう話

 そして、凪は三本目の指を立ててしたり顔で

「そしてこれが重要三つ目だ、オレが君の絵のファンだから」

 そう、言ってのけた

「僕の、絵の……?」

 ファン、と、言ったのか

 彼が僕の絵の

「そう、あの日見た君の絵がオレの心に強く刺さった、それが一番大きな理由だ……所謂ファン一号とでも言おうか……って、どうした? そんなに青ざめて」

 僕の様子がおかしいことがすぐに分かったのだろう、凪は心配そうに近付いてきて僕の頬に手を添える

「僕の……ファン……」

 その、一言でその前までの納得しそうだった気持ちが全て霧散してしまった

「……オレはそんなにおかしいことを言ったか? 笑うようなところじゃないだろ、そんな自虐的に」

「いや、ごめん……何でもないよ」

 少し機嫌が悪そうにそう言う凪に僕は上っ面だけの謝罪を述べて、倒れそうになっていた身体に力を入れて座り直すと支えてくれていた凪を優しく押し返す

「……そうか? それで、他に聞きたいことがあれば最初にどうぞ、例えば……オレが花魁でもないのに何でそんな横暴が聞くのか、とかね」

 凪は訝しそうなにしながらもそれ以上追求してくることはなく、別の話へと話題を変える

「……っ、そ、それは確かに少しだけ気になるけど、僕がそれを聞くのは、違うと思うから」

 花魁は客を選べる

 それはよく聞く話だ

 だが彼は売れっ子ではあるが花魁ではない

 初回の客が多くて引く手あまただろうとさすがに抱くことも抱かれることも拒否することがあれば怒る客はいるだろう

 それでも許されている理由は知りたくないと言えば嘘になる、だがそれを聞く程僕たちはまだ深い仲ではない

「そうだな……まぁ、そうか、それなら次に来た時だ」

 凪も納得したのか一度頷くと今度は笑顔でそう言った 

「な、何が……?」

 一体なんの話かついていけない僕がただそう聞き返すと凪は続けた

「遊郭ではな、三回目から馴染みになるんだ、だから次に君がオレの元へ来れば馴染みになる、だからその時に話してあげよう、オレの秘密を、まぁ君は興味ないかもしれないけど……だから必ずまた来てくれよ、変な気は起こさずに、オレらは同じ……賭けをしているんだから、途中で降りられたらそれこそ困る」

 そして、いたずらっ子のような笑顔で凪は僕がもうこの場所を訪れないという逃げ道を塞ぐ

 つまりは、また、絶対に来い、そう言っているのだ

「わ、分かってるよ……大丈夫、ちゃんと分かってる」

 そして僕はそれをよく理解している

 僕にも凪にも、後には引けない、理由があるのだから


「…………」

 あれからまた凪は手ずからのおもてなしをしてくれた

 歌ってくれと言えば歌ってくれたし舞が見たいと言えば舞ってくれた

 そしてまた大門の前まで見送りに来てくれて、指切りをして帰ってきた

 前回と同じなのに、何故か僕の心は以前ほど晴れやいではいなかった

 楽しかった筈なのに、絵の勉強になった筈なのに

 何故かずっと心ここにあらずで

 その理由は僕自身が一番よく分かっていた

 家に帰ってきた僕は真っ先に以前描いた絵をキャンバスに立て掛けて観察する

 それは男の遊女が着物をはだけて扇子を持って舞う一枚の絵

「……やっぱり、こんなもの」

 僕は一通りその絵を見た後に手近にあったパレットナイフでその絵を一閃、真ん中から切り裂いた

 そしてキャンバスから外して床に放る

 ガタッと大きな音をたてて作業のときに使う椅子に身を預けると手を滑ってパレットナイフが床に落ちる

「ファンだなんて……こんな絵の……どこが良いって言うんだよ……」

 そして誰に言うでもなく呟くと

 僕はただ、自重的に笑って、目元を力任せに拭った

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